第3話 壁が覚えている その手形は、あなたが来る前からあった
不動産屋は言った。
「前の住人は行方不明です。ただ、事件性はないそうで」
壁紙は新しかった。窓から差す光も悪くない。
「ここにします」
契約書に名前を書いた。
その夜、荷解きをしていて気づいた。
寝室の壁に、薄い手形がある。
右手。指が少し開いている。
俺は触れていない。
三日後、手形は五つになっていた。
一週間で、壁の半分を覆った。
全部同じ形。同じ大きさ。
試しに自分の手を重ねた。
ぴったりだった。
隣人に聞いた。
「前の人?静かだったよ。ただ最後の方は」
「は?」
「夜中に壁を叩いてた。毎晩、同じリズムで」
管理会社に頼んで壁紙を剥がしてもらった。
下から出てきたのは、灰色のコンクリート。
手形が何百と重なっていた。
一番奥、最も古いものに名前が刻まれている。
俺の名前だった。
管理会社の記録を調べた。
この部屋の最初の入居者は昭和四十二年。
名前は違う。顔も知らない。
ただ、生年月日だけが俺と同じだった。
その夜、壁を見つめていたら、手形の一つが動いた。
内側から押すように、五本の指が浮き上がろうとしている。
俺は逃げなかった。
逃げられないと分かっていた。
壁に手を当てた。
ぴったり重なった瞬間、理解した。
俺はずっとここにいた。
名前を変え、顔を変え、記憶を失くして。
何度も何度も、この部屋に戻ってきた。
翌朝、隣人が警察を呼んだ。
「夜中ずっと壁を叩く音がして」
部屋には誰もいなかった。
壁に、新しい手形が一つ増えていた。
三ヶ月後。
不動産屋は言った。
「前の住人は行方不明です。ただ、事件性はないそうで」
男は頷いた。
「ここにします」
契約書に名前を書いた。
あなたは今、どの壁を見ている?
触れた?
Shadowed Japan ― 闇に棲むもの ソコニ @mi33x
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