第3話 名探偵登場

 僕は完成原稿を印刷し、中さんに渡しに行った。彼女はひったくるように奪い取る。読み終えた彼女は少し憮然とした表情になったが、


「今日はお帰りいただいてかまいません。詳細は明日応接室にて」


「はい、分かりました!」


 僕は今日一元気な声で返事する。中さんはため息をついた。


「全くダメな人ですね……」



 翌日応接室に出向くと、中さんの横に若い男が居座っていた。


 男は右手に僕の原稿を握っていた。切れ長の目でこちらをキッと睨んでくる。僕は一歩後ずさった。


 中さんがニッコニコの笑顔で男を紹介してくる。


「この方は社内でも有名な凄腕校閲マン・じゃばみさんです。せいぜい頑張ってくださいね~」


 それだけ言い残して部屋から出ていった。


 僕はおそるおそる頭を下げる。


「あの、本日はよろし……」


「読む価値なし」


 僕が挨拶を言い終える間もなく、蛇喰は原稿を床に投げ捨てた。紙がバラバラに散乱する。


「え、ちょ……」


 僕は慌ててかがみこみ、原稿をかき集めようとした。


 すると蛇喰は僕の背中を土足で踏みつけた。背中が押しつぶされそうだ。恐怖のあまり身動きできなかった。


「あんた、この文字の羅列を何のつもりで書いたんだ?」


 蛇喰は僕の髪をひっつかみ、無理やり顔を向けさせた。


「なあ。何のつもりで書いたんだと聞いている」


「ふ、普通に、菊池と梨乃の青春の恋模様を……」


 すると蛇喰は僕の頭をいきなり放り捨てた。ひどく顎を打つ。


 こいつ、パワハラで訴えたら一発アウトだろ。


 僕は顎をさすりながら抵抗を試みる。


「何がそんなに気に食わないんですか。たしかにネタに困っていたのは認めますが、そこまでなじられる謂れはないはずです」


「まずもって全く面白くない。これといった展開がないからだ。平坦な砂漠を歩かされている気分だった。読者を舐めている」


 返す言葉もなかった。妥協して適当に書いた時点で読者を舐めていたのは事実だ。この男には全部お見通しらしい。


「それは……すみませんでした」


「加えて、この文字の羅列にはありえない矛盾が生じている」


 小説と言わずにいちいち「文字の羅列」と言ってくるのが腹立たしい。だがこいつを下手に刺激するのは良くない。


「……どこがですか」


「二人が屋上で出会っているのは何月何日だ?」


「それは……えーっと……」


「そんなことも考えずに書いているのか。ハロウィンが三日前という描写があることから11月3日だろう。あんたは11月3日が何の日か知らないのか」


「うーんと……」


「この非国民が。。『自由と平和を愛し、文化をすすめる』日と法律で定められている。どうせあんたのことだから毎年『祝日だヤッター』くらいにしか捉えていないのだろう。だからこんな初歩的な間違いに気づかないんだ」


 こいつの言葉、いちいちグサグサ刺さってくる。


「文化の日であることから、冒頭の『学校から一旦帰宅』という描写は現実と矛盾する」


「……部活である可能性は?」


「あ?」


「祝日だとしても学校の部活に勤しんでいた可能性はあります。あるいは学校行事があった可能性も否定できません」


 僕の反論に、蛇喰は額を押さえた。


「これだから馬鹿は……」


「誰が馬鹿ですか」


「梨乃は『月が綺麗ですね』と呟いたんだったな。だが二人が中学生であると仮定すると、これもありえない」


「何を言って……」


「梨乃が生まれたのは、日本でコロナウイルスが蔓延し始めた年。したがって、彼女の誕生年は2020年だ。つまり彼女が中学生ならば、この文字の羅列は2032年から2035年の間の出来事だということになる」


「はあ」


「『月が綺麗ですね』と呟くには。だが2032年11月3日はだ。同様に2034年11月3日は下弦の月、2035年11月3日は三日月。月の満ち欠けは約29.5日周期で変化しており、これらは2025年11月5日が満月であることから算出可能。いずれの月もだ」


 僕は理解した。なぜこのパワハラ野郎が会社でしぶとく生き残っているのか——。


「したがって。2033年11月3日は月齢11弱であり、午後八時すぎに観測することが可能だ。よって、梨乃の学年には二つの可能性が生まれる。早生まれならば中学2年生、そうでなければ中学1年生だ。ここで梨乃が来週誕生日を迎えるという描写から、彼女は11月生まれであることが分かる。すなわち彼女は中学1年生だ」


 僕は呆れて物も言えなくなる。中さんが〝凄腕〟と評していた理由が痛いほど分かった。


「論理的に考えて梨乃は中学1年生以外に考えられない。ここで、菊池が彼女の誕生日を知ったのは『去年地理の授業を終えた後』だったという。梨乃が中学1年生であることから、その一年前は彼女は小学6年生だったはずだ。義務教育だから留年することは原則ありえない。ということは、菊池も梨乃と同じ小学校出身であり、なおかつ物語当時は中学1年生であると分かる」


「その通りだと思いますね」


 半分投げやりになりながら答えた。蛇喰は推理を続ける。


「しかしこれは矛盾している。からだ。社会が地理・歴史・公民に分かれるのは中学校からだ」


「……たしかに」


「これらのことから、あんたの文字の羅列は根本的に破綻していることになる。——ただひとつの解釈を除いて、だが」


「ただひとつの解釈……?」


 僕はすがるように蛇喰を見つめる。彼は下卑た笑いを浮かべた。


「そんなに知りたいか。別に教えなくても俺としては何の痛手もないが」


 足元を見られているらしい。締切に追われている僕は藁をもつかむ思いだった。


「どうかお願いします」


 膝をつき、頭を床にこすりつける。こんなクソ野郎のために頭を下げるのは癪だが、背に腹は代えられない。


 蛇喰は「ケッ」と嘲ってから付け足した。


「じゃあ特別に教えてやろう。菊池と梨乃が中学生であることは前段の通りありえない。しかし矛盾が発生したのはあくまで二人を中学生と仮定したからだ。


 僕はごくりと唾を飲みこんだ。


「教員だとしたら……辻褄が合う気がします」


 すると蛇喰はゲラゲラ笑い始めた。


「あんた、自分が作者であることを忘れてんじゃねえぞ。だがその通り。二人とも教師であると仮定すれば、すべてが矛盾なく成立する。作中の描写から、少なくとも菊池は地理を教えていることが分かる。『去年地理の授業を終えた後』というのは生徒として受けたのではなく、教師として教えたと解釈できるわけだ。同様に梨乃は家庭科を教えていることが分かる。しかしここで大きな罠がある」


「罠……」


「紅一点の舞谷先生が付き合い始めた、という描写があったな。それに菊池は嫉妬していた」


「あっ……」


「一応補足しておくと、梨乃は家庭科を教えていることから事務員や管理人の類いではない。したがって、紅一点すなわち唯一の女性教員は梨乃であるとしか考えられない。ゆえに彼女のフルネームは。菊池は嫉妬を抱えながら屋上で会ったことになる。菊池は梨乃を屋上に呼び出せる仲であることからして、舞谷梨乃が最近浮気したのだろう。憤怒した菊池はハロウィンのクッキーに毒を盛った」


「は……? 毒……?」


「だってそうだろう。んだ。校閲の観点からすれば、だ。通常キスはハグよりも難度が高いものとされている。ハグを通り越していきなりキスしようとするならロマンスを演出できるが、逆ならばただアンバランスになるだけだ」


 それはただの僕の描写力不足です——とは到底言えなかった。


「これを合理的に解釈するとすれば、菊池はクッキーに毒を盛ったとするのが自然だ。梨乃はキスを求めた時点ですでにクッキーを食べていたから、口元に毒が付着している可能性があった。菊池はそれを摂取してしまう可能性を恐れ、急遽ハグに切り替えたわけだ」


 最後に蛇喰はニタッと口角を上げた。


「つまりこれは恋愛小説ではなく失恋小説と解釈される」


 僕は圧倒されていた。このとち狂った校閲のおかげで僕の小説は真の意味で完結した。


 そうだ。この意味不明な解決まで含めてアンソロに出したらいいんじゃないか。字数も5000字に近づいてきてるし、唐突だけどこの辺で締めることとさせてもらおう。


 変な形になりましたが、中さんどうか許してください。中さんのこと大好きです。


(了)

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編集者印:㊥

備考欄:温情で許す。

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名探偵蛇喰はドS校閲者 天野 純一 @kouyadoufu999

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