壁に耳あり――

カンキリ

第1話 壁に耳あり――

 突然、同僚の大山が会社を辞めたのは今から1ヶ月ほど前の事だった。

彼とは部署が違ったが、同期であり何かと気が合い、2人ともまだ独身という事も有って、ちょくちょく誘い合っては酒を飲む間柄だった。

そんな自分も大山の退職は寝耳に水。

悩みが有ったようには感じなかったし、何なら、退職前の数週間は今まで無いほどに機嫌が良さそうだった気さえする。

あまりに突然のことだったので、会社内では宝くじに当たったのでは無いかとか、人でも殺してしまい海外逃亡しようとしていのではないかとかの僻みや悪口が入り交じった憶測が乱れ飛ぶほどだった。

そんな大山から俺の所に連絡が来たのは3日前のことだ。

会社の仕事の最中、彼からの電話が携帯に着信し、出てみるとだしぬけに会って聞いてもらいたい事があるので家に来てくれないかという。

唐突な話の割にその口ぶりは、特に慌てているようでは無かったし、感情的な様子も無かったので、何となくな話の流れで承諾し、次の休みの日に家に行く約束をして電話を切った。

詳しい話は会った時に聞けばいいし、何よりその時の俺は少々業務が立て込んでいる状態だったのだ。


約束の日。

俺は、大山の住む安アパートへと向かった。

大山とは、たまに互いの住居で宅飲みをしたりもしていたので、アパートの場所は知っていた。

見えてきた上下3室ずつの2階建てアパート。

2階の一番奥……、彼の部屋の様子がおかしい。

通りからは部屋のベランダと、そこに続く掃き出し窓の一部が見えているのだが、その窓一面に目隠しでもするかの様に新聞紙が貼り付けられているように見える。

いや――、間違いなく貼り付けられている。

何か不穏な物を感じながらも外階段を上り、突き当たりまで進むと、彼の部屋である203号室の前に立ち、呼び鈴のスイッチを押した。

鈴と言うよりはブザーと言った方がお似合いな、古めかしい『ビーッ』と言う短い音が鳴った。

すると、待っていたかのようなタイミングでドアが開き大山が現れる。

白いTシャツに灰色のスラックス姿で現れた大山は、ほとんど無表情で、心なしか痩せて見えたが、髪や髭はキチンと手入れされ、やつれたと言う印象では無かった。


「よく来てくれたな――。まあ、上がってくれ」


大山は早口でそう言うと、強い力で俺の手を引いてワンルームの部屋の中へと招き入れた。

部屋の右側にはベットがあり、左側にディスクトップパソコンが備え付けられた机。

正面のベランダに続く掃き出し窓は――、やはり一面に新聞紙が貼り付けられ、回りは目貼りをするかの様にガムテープを貼って塞がれている。

新聞紙は、何重かに重ねて貼られているようで、外の光はまったく室内には届かない状態なので、部屋の中が薄暗い。

大山が部屋の電気を点けると、床の中央にはいつも2人で飲みに使っていた小さなテーブルが、いつものようにいつもの場所に置かれていて、まったく自分の知ったままの風景がそこにあった。


「オマエが会社辞めるのが、あまり突然だったんでみんなビックリしてるぞ」


俺は床に胡座をかいて座ると今更かなと思いつつも大山にそう言ってみた。

まあ、社交辞令みたいな挨拶だ。

大山は、苦笑を浮かべて「ああ――」と言うと、俺の前に胡座をかいて座る。

茶を出す気は無いらしい。


「宝くじが当たったって噂があるが――」


俺がそう軽口を叩くと、大山は再び苦笑し口を開く。


「当たってたら、今頃はタワマン暮らしだ」


まぁね。

それもそうだ。


「ひょっとして――、この部屋の有様は、会社を辞めた事と関係あるのか?」


そして、それが聞いてもらいたい事では無いかとは、誰でも察しがつくし、大山もそれを察してもらいたいと思っていると私は勝手に考えていた。


「辞めた事というか――、そうせざるを得なかったことというか――」


「?」


大山は、意味深げにそう言い、少し考えた風にしていたが、訝しげな俺に気づいたようにして立ち上がる。

そのままパソコンの前まで歩いて行くと、俺を手招きしながら口を開いた。


「まずは――、これ見てくれ」


そう言って、机の上のマウスを動かす。

パソコンは起動されていて、休止状態になっていたらしく、真っ黒だった画面に画像が浮かび上がる。

再び大山がマウスを操作すると、画像が動き出した。

動画に一時停止をかけていたらしい。

動画は、何処かの書店の中が映し出された物らしく、本の詰まった書架と、その回りをうろつく客らしき人影が映し出されていた。

一瞬、防犯カメラの映像かと思ったが、それにしてはおかしいとすぐ気づく。

画像が4Kカメラで撮影したように鮮明な事も然る事ながら、防犯カメラならば、かなり高い位置からのアングルになるハズだったが、この動画は映っている人物の頭の高さより少しばかり上からのアングルだったし、何より人の流れに合わせて移動したり止まったりを繰り返していた。

ちょうど、カメラを持った人物が店の中を撮影しているような感じだし、多分そうなのだろうと思った。


「またったく――懲りない奴だよ」


ぼそりと大山が呟く。

そこには、会社の同僚の崎山が映っていた。


「えっ?」


なんで、崎山が映っている?この動画は大山が撮った物なのだろうか。

だとしたら、なんで大山は崎山の動画なんかを撮っているんだ?

崎山は、右手のみで器用に文庫本を開き、立ち読みをしている。


すると、先崎の背中を写していたカメラのアングルが変わり、彼の左側に回り込んだ。

そのまま左手をズームアップすると、そこにはもう一冊の文庫本が、隠すように握られていた。

えっ?まさか――。

そのまさかだった。

崎山は、僅かに辺りを気にして目を配ったかと思うと、左手に握られた文庫を、肩から下げている口の開いたバックの中に滑り込ませた。

窃盗の徹底的瞬間である。

動画の衝撃もさることながら、俺は自分の知人が犯罪を犯したという事実がショックで固まってしまっていた。


「こいつ、週に一回はあちこちの本屋で万引きしてやがる――。そのうち捕まるだろうがな」


大山が何度目かの苦笑を浮かべながら言った。


「こんなのもあるぞ――」


大山がそう言ってマウスを操作した。

モニターには湯船につかった裸の女の姿が映し出される。

気持ちよさそうに目を閉じて、手足を伸ばし湯船につかる姿を、天井からのアングルで撮っている。

そのまま、胸や腰にズーアップしたりを繰り返す。


「あっ――」


被写体になっている女性の顔に見覚えがあった。

たしか、今テレビで売り出し中のアイドルだ。


「盗撮」


俺は呟き、驚愕の念を込めて大山の顔を見た。


「俺が撮ったんじゃ無い」


大山が首を小さく振りながら言った。


「奴が運んでくるんだ」


奴?運んでくる?


「先に見せておいた方が話が早いと思ってな」


大山はそう言うとテーブルの前に戻り、床に胡座をかいて俺を手招きする。


俺は、流れ続ける画像に後ろ髪を引かれつつもそれに従い、大山と向かい合って座った。


「ことの始まりは蝶だったんだ」


今まで見たことの無いほどの真顔になって大山が話し始める。


「ちょう?――チョウチョの事か?」


「そう――蝶々だ。或る日の休日。朝遅く起きてパソコンのディスプレイを見ると、俺の手のひらくらいの蝶が一匹とまっていた。気味の悪い模様の蝶だった」


「気味が悪い?」


俺が訪ね返すと、大山は一つ頷いた。


「全体的には黒い蝶々なんだけど、そこに何やら細かい模様がぽつぽつ浮かんでるように見えた。だけど、よく見るとその模様が、人の目そっくりなんだ。それっぽく見えるとか、目のイラストっぽい模様とか、そんなレベルではなくて、生々しくて今にも瞬きしそうなくらいリアルな目の模様が羽にびっしり浮かんでたんだ」


きもちわりぃ。

それは確かに気持ち悪い。


「窓は閉まっていた。見たとおり他に入ってこれる場所は無い。おかしいとは思ったが、現にそこに蝶が居る。捕まえて外に出そうとしたんだが、近寄った途端パソコンの電源が入ってディスプレイが立ち上がった。そして、あろう事かパスワードが勝手に入力され、デスクトップ画面になった」


「何だよそれ――」


言葉が出ない――。いや、出たけど。


「途端、インターネットが繋がって、さっき見せた動画みたいな物が次々に流れ出した。」


とても信じられない話ではあったが、現にさっき当該の物であろう動画は視聴している。


「動画の内容に驚愕しているうちに、気が付くと蝶は居なくなっていた。暫く茫然自失していたが、ふと、思い当たった。ひょっとしたら、この動画はあの蝶が運んできたんじゃ無いかと。いや、確信していた」


「それで、どうしたんだ?」


我ながら間抜けな質問だとは思ったが、俺は尋ねていた。


「どうもしない――」


大山が遠い目をして答える。


「どうかしようにもどうせ何も出来ないしな。ただ、それからもちょくちょく蝶は動画を運んで、俺の部屋に現れるようになった。パソコンとインターネットを勝手に起ち上げて、知らないプラットホームにアップした動画を見せてくる。動画は自動的にパソコンのハードディスクに保存されて後で見ることが出来るという、アフターケア付だ」


これ、何処まで信じていいのだろう。

自分でやった盗撮を言訳しているだけと言う気もしないでは無い。

ただ、確かにさっき見た動画のアングルを考えると、生身の人間が撮影できるアングルでは無い気もする。

万引きの動画は、店の狭さを考えれば、遠くからズームで撮影することは不可能と思われ、ならば、かなり相手と身体を密着させなければ撮影するのは不可能だろう。

お風呂の動画においては、天井に張り付いていなければまず無理だ。

しかも、背中を貼り付けた状態で。

蝶なら出来る――のか?

しかも密室の出入りが自由に出来る蝶ならば。


「蝶は俺に忖度したような動画ばかりを集めてくる。会社の連中の醜悪な場面――、とか思えば、さっきみたいに好みのアイドルやらのエロい動画とか」


「あんなのが、まだあるのか!」


思わず叫んでいた。


「ある」


大山はゆっくりと首を縦に振った。


「もの凄い量を運んでくるし、画質が4Kくらいあって無駄に重いんだ。SSDの外付けハードディスク 30TBを買い足した 」


だよなぁ。

蝶の話がホントなら俺だってそうするかも――いや、絶対にそうする。

俺は、なんだか大山が段々羨ましくなってきている自分に自己嫌悪していた。


「最初は、楽しかったんだよ。いや、そんな生やさしい気持ちじゃ無かった。狂喜乱舞って感情はこういう物なんだろうなって思った。世間で言われてるように、個人で楽しんでいるうちは良かった。そのうちに、ご多分に漏れずと言うか、自己顕示欲が湧いて来た。周囲に教えて、注目や評価を得たい。俺は、人の弱みも秘密も知っている。だけど、よく考えてみたらこれの何を評価してもらうんだ?俺は蝶の運んでくる画像を貯めてるだけだ。そう思ったら、これは何も俺の特別という訳じゃ無いんじゃ無いか?て思い出したんだよ」


俺の部屋にも来るかも知れないって事か?


「なあ、なんで蝶は俺の部屋に来るんだ?」


そんなこと、俺が知りたい。


「なあ――ひょっとして――ひょっとしたら、俺の動画を撮りに来てるんじゃ無いのか?」


あっ!


「だとしたら、俺の動画も何処かの誰かが共有してるんじゃ無いのか?」


「えっ?だって、ちょっとまって――」


言葉に詰まってしまった。

だとしたら、俺だって対象者じゃないか。

いや、ひょっとしたら、大山は俺の人に言えないような動画を保存しているかも知れないって事じゃ無いか!


「怖いんだよ。外に出るのが――。会社にいるのも、いや、どこに居るのも!」


大山の言葉に、俺は叫びだしそうになっていた。


「無駄だと思っていても、窓を目隠ししてみた、隙間という隙間を目貼りしてみた――。だめだった。奴は入ってくる」


そう言って項垂れた大山に、辛うじて支えた正気で俺は尋ねる。


「なんで、俺を呼んだんだ?」


大山は無表情で俺を見ている。

何か様子がおかしい。


「なんで?」


大山が尋ね返して来た。


「そうだよ、なにか用事があったんじゃ無いのか!」


イライラし出した俺は、怒鳴りつけるようにそう言った。


「なんでって――なんで、なん、なん、ななななななななな」


奇声を発しながら、大山は嘔吐きだした。


「な、うぼっ、おろろろろろろ゛う゛」


「おい!」


「う、う、う、おろろろろろうばぁ」


「おい、大丈夫か!」


苦しそうに喉を掻きむしって嘔吐く大山の背中をさすってやろうとして、俺が立ち上がったその時だった。

大山の口から、ビー玉くらいの大きさをした目玉がボロボロとこぼれ出た。

まるでカエルの卵のような目玉の塊が床にこぼれ落ち、次々と辺りに転がっていく。

床に敷かれたカーペットの上を無数の目玉が転がり回る。

やがて、床から沢山の黒い蝶が湧いて出て来るのが見えた。

思わず自分の顔が歪むのが感じられた。

転がり回っていた目玉達は、蝶に吸い寄せられるようにしていくつも貼り付いて行くと、そのまま羽の模様になって行く。

その間にも、深淵を覗き込むような瞳をした大山は、歪んだ笑みとともに不気味なうめき声を発しながら目玉を吐き出している。


やがて――。


いくつもの目玉を模様にして貼り付け、床にとどまり静かに羽を動かしていた蝶達が一斉に飛び立ち、部屋一杯の旋風となって舞い上がったかと思うと、そのまま閉じられた掃き出し窓に吸い込まれるように消えていった。

その姿を俺は、あっけにとられたようにして、見守るしか無かった。


どれくらいの間そうしていただろう――。

部屋の中に視線を移し見渡すと、そこに大山の姿はどこにも無く、何事も無かったかのように、目玉も、蝶の影すら消えていた。

見たい者には見せる。そして見た者を、見る――この倒錯した関係性の先にあるもの――。

ふと、気配を感じて自分の胸元に目をやると、そこには一匹の目玉の模様をした蝶が静かに張り付いていた。

その羽の模様は他の蝶の目玉模様よりも一際大きな目玉が羽の片側に一つずつで、一見すると仮面のようだ。


そして、その目元はどこか――、


大山のそれに似ていた。

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