しわ取りクリーム

かたなかひろしげ

使用済み

「そうなのよ。これが良く効くらしくて」


 聞き耳を立てるまでもない。

 昼食を終えたばかりの昼休み、残り僅かなひと時。俺のデスクの正面の席で、中野さんは、S子さんにフェイスクリームを薦められているようだった。


 「私も使ってみてすごく良かったから中野さんにもどうかな、と思って。このクリーム、すごくシワがとれるの!」


 まるでS子さんは営業トークのような語りで、クリームを売り込んでいる。

 「これを使えばシワがとれるの!」などと、オフィスの中で同僚に向かって言うのは、いわばそれは「お前はシワだらけだ」と言っているようなものである。これを苦笑いしながら受け流している中野さんは、随分と人間が出来ている。


 男の俺としては、こういった女性の皮肉の言い合いみたいなバトルにはてんで興味が無いのだが、それが自分の正面で繰り広げられているのであれば話は別だ。


 あぁ、中野さんが「助けて!」という目でこちらを見ている。そっと俺は手元の焼肉弁当の、やけに硬いカルビを熱心に食べるフリをして、見て見ぬふりを決め込むことにした。

 折角の昼休みの穏やかな時を、不毛なディスり勝負に巻き込んで、台無しにしないでもらいたい。 まあ、そんなことを横から口を挟む勇気など、俺にさらさらないわけではあるが。


 何故、ウチの課長はこんなにも仲の悪い二人を隣合わせの座席にしたのか、そしてその正面に俺の席を配置したのか、なんとも恨んでも仕方のない話ではある。

 以前、課長にその真意をそっと尋ねてみると、「険悪なまま席を離しておくより、いっそ隣でやりあって発散してくれた方がいい」という実に攻めた発想だった。課長……その発想は兎も角、俺をその戦場の前に配置しないで欲しかった。


 ───そんな日の仕事も無事終わり、S子さんはトレードマークの帽子を深く被り、オフィスから帰っていった。それを横目で見計らった中野さんは、待ってましたとばかりに、正面の席から恨めしそうに俺の方を見ている。


「お昼ごめんねー。でも助けてくれてもよくない?」


「いやいや、俺なんかじゃ、あのバトルに横から入れないっすよ……」


 俺は顔の前で大げさに両手を合わせて、平謝りをすると、話題を逸らすことにした。


「そういえば、薦められてたクリーム。あれ、なんだかあやしくないすか?」


「だよねえ。実は私、このクリーム知ってるんだ。海外製で最初は良く効くらしいのだけど、結局、シワがとれるのって、”塗ったとこが腫れる” からシワがとれて見えるだけらしいの。ヒアルロン酸注射と同じようなもん」


 どうやら彼女は、既にあのクリームについて良く知っているようだった。やはりOLさんは、美容へのアンテナが常に高いものなのだろう。


「へー。じゃあ効くことは効くんすね」


「こんなの皮膚が伸びるだけで、全然良くないものだよ。まったくね、こんなもの薦めてくるとか、ほんと悪質だよ、あのヅラ女」


 最近S子さんは、頭頂部の毛がなにやら薄くなり、少し頭皮が見えるようになってきていたのは、社内でも密かに評判になっていた。それを中野さんは悪く言っているのだ。


「わはは。さらっと酷い悪口いいますね。」


「あの人、気に入らない相手にわざと不味い食べ物渡したり、みんなの前で人の欠点を大声で慰めてみたり、ほんとどうしようも無い女だから。ま、これは有効活用するけど」


 中野さんは手元のフェイスクリームの紫のチューブを、ひらひらと振ってみせた。


「でも、良く知ってましたね、そんな話」


「そりゃあ使ったことあるから。効果も実証済みだよ。肉が膨らんで皮が伸びる」


 中野さんは、手のひらを頭の上に乗せると、くるくると撫でるように回してみせた。定時過ぎ、人がまばらになったオフィスの室温が、少し下がったような気がする。


「え? それって、どういう……」

「型崩れするからって、彼女、帽子だけはロッカーに入れないんだよね」


 中野さんは、目尻を下げ、口角を片方だけあげた表情で、そっとこちらに微笑んだ。

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しわ取りクリーム かたなかひろしげ @yabuisya

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