神を見ずして神を語り、神を知る。人は死んだらどこへ行くのか。

ニライカナイとは、沖縄に伝わる「理想郷」である。
ニルヤと呼ばれることもあり、はるか遠い東に在る。
理想郷から毎年、神が訪れて豊穣をもたらすという。
死者の魂はニライカナイに導かれ生まれ変わるのだ。

では、ニライカナイというのは、常世ではないのか。
黄泉や根の国、妣の国、熊野信仰と相通ずるのでは?
古来別々に文化を育んだ筈の大和と琉球の死生観に、
なぜこのような決定的な類似が見られるのだろうか。

昭和20年3月、激戦の地たる沖縄に配属された宮田は、
米軍による海上からの攻撃を避けて洞窟に潜り込む。
若い女の骸骨に迎えられ誘われ、洞窟を抜けた先に、
宮田は、テダの岬と呼ばれる不可思議な海岸を見た。

宮田はその地で、若い祝女《ノロ》、マヤに出会う。
マヤが独りきりで住まう海岸からは、3日と置かず、
死者が船に乗って東のニルヤへ渡りゆくのが見えた。
宮田とマヤだけが生者の国にもニルヤにも行けない。

兵役招集以前は大学で研究に明け暮れた宮田を通し、
民俗学や神話、宗教の膨大な知識が滔々と語られる。
正直に言えば「概念」「観念」の話はとても難しい。
ひとつひとつ理解して読み進めるには時間がかかる。

大学時代、教養科目の精神医学の夢分析で聴講した、
「女神の死と再生・生産」の夢の話をおもい出した。
琉球にまつわる考古学や文献史学の論文も読んだが、
伝承と呪術と王権が混然一体の社会構造は、難解だ。

戦時中という異様な状況下から逃れてきた宮田は、
マヤと次第に打ち解け、互いの身の上を語り合う。
死者の国や神の不在について論じながら、
不意に郷愁に駆られ、やがて物語は大きく動く。

易々とは読めず、私には決して書けない物語だった。
目に見えず、行って確かめられない場所を想像する。
繰り返し読めば、理解に近付くだろうか。
繰り返し読みたい、極めて興味深い題材がここにある。

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