幻想ニライカナイ―海上の道―
ハコ
〇 比較神話学以前の事
むかしむかし 琉球国のとある海岸。
男も女も沈みつゝある夕陽を拝み、静かな
「もしもし。一つお尋ねしてもよろしいですかな?」
祝女達の歌を遮る不躾な大声が響いた。人々はぎょつとして声の主を見やる。
声の主は頭を丸めた僧侶であった。粗末な袈裟を肩からかけている。
「はい。一体何事でしょうか、お上人様」
これに応へたのは鮮やかな青色の着物を纏つた一人の若い祝女であった。
僧侶は祝女の姿と人々が熱心に行っている儀式を交互に見やり、尋ねる。
「
僧侶の咎めの言葉を聞き、鼠を紐で括って一匹づつ小舟へと乗せていた男が手を止めて口を挟んだ。
「余計な事を申されるな。今年は鼠が真に多く、作物にまで害をなすので、かうしてお返しいたすのだ」
「返す? 鼠を海へと返すのですか?」
僧侶の言葉に今度は先ほどの祝女がこう答えた。
「はい。海の向こうにあるニルヤの国へとお返しするのです。鼠はニルヤのオトヂキヨの悪戯子だとこの島の者は信じております」
「さはいへども、海へ流すなど、あまりに――」
すると祝女はクスリと笑ひながらさらに答えた。
「あらおかしやお上人様。貴方様などは三宝に仕えるいと尊き僧身を、海に流したではありませぬか」
祝女の言葉を聞いた僧侶は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに大きな声をあげて笑った。
「
祝女の方もにつこりと微笑んでこう答える。
「あの日の事は私今でもよく覚えております。
「いやお恥ずかしい。拙僧、
「私の方もニルヤからの使者かと思いましたとも。海の果てから舟で流れてきなさつたのですもの。しかし実際は、ヤマトから流れてきた尊いお上人様でございました」
――全ての儀式が日没までに滞りなく終わり、鼠は皆海に流されていつた。
一仕事終えた人々は火を囲み、楽しげに夜の酒宴を始めた。先ほどの祝女と僧侶だけは少し離れた場所の篝火の下、海を眺めて話し込んでいる。
「我が
「
「日本の仏法も大昔は
「不思議な事と言いまするのは」
「日本と琉球。この二つの国は明らかに別の国といへど、やや深く見ゆれば言葉の端々も似ているし、
「似ていると、言いますと……」
「拙僧から見ますると、たとへば貴女らが小高い丘の上で海を見ながら遥拝している神。そなた達はこの海の向こうにその神が御座す国が在ると信じているそうですが――拙僧が仕えていた熊野の権現様にどこか似ているやうに思はれます」
「クマノ……? すみませぬ、私には分かりませぬ」
「
「イザナミ……」
「なにゆへ二つの国に伝わる神が似ているのか。琉球の神にも御仏が垂迹しているのか。或いは日本の神と琉球の神は同じ処から来た
――祝女様! こちらへ来て下さいまし! お酒も用意してございます! 神歌をお聞かせ下さいまし! ヤマトのお坊様もどうぞ!
酒宴の方から呼ぶ声が聞こえる。二人は連れ立って歩き出した。
「やれやれ、祝女殿は人々に慕われておりますな。拙僧の方はさっぱりです」
「そんな事はありませぬ。現に私はお上人様の話をもっと聞きとうございます。私からも貴方のお話――ヤマトの神のお話を皆に語りませうとも。お教へ下さひ、そのイザナミといふ神が御座す国の名前を」
「イザナミの御座す国の名を
「イザナミ……トコヨ……ネノクニ――ニルヤ」
祝女はふつと海の方を振り返る。そしてじっと水平線を眺めた。海の果てまで何も見えず、唯静かに小波がうつ音だけが聞こえていた。見渡してもどこまでもどこまでも平和で穏やかな海であった。
……
爾に
――『古事記』神代――
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