彼の地から見つめるふたりは

 厳かなる鐘の音が五つ鳴った。

 すでに大通りから人の姿は消えている。露店の主もいなくなり、宿場や酒場の主も客とともに大聖堂のなかだろう。規則正しく並べられた椅子には老爺から子どもまでが大人しく座る。敬虔なる教徒たちは白や銀の法衣、あるいは長衣を纏いながら祭儀がはじまるときを待つ。

 彼がふと足を止めたのは、鐘の音がきこえたからではなかった。

「ユノ・ジュール」

 名を呼んだ彼女もまた白の長衣に身を包んでいる。彼もおなじく、されども二人は大聖堂に用事などなく、別にヴァルハルワ教徒のをつづけているわけでもなかった。

 彼の白い髪と雪花石膏アラバスターのような膚はとにかく目立つ。おまけに連れ立っている彼女にしても、その美しさに魅了される馬鹿な男は多い。つまり容貌を隠すためには都合が良い、それだけの話だ。

 もっとも、あちらとしては彼を血眼になって捜しているのかもしれない。

 山岳地帯にあるグラン王国にて、いささか派手に動きすぎた。エルグランの次期国王だった公子ジェラールに接触していた聖職者、白の司祭と呼ばれた彼はユノ・ジュールの仮の姿だった。

 要人をその手で屠り、グラン王国に混乱をもたらした竜人ドラグナー

 ジェラールの友人だったグランルーザのレオンハルト王子は、教会に説明を求めるとともに警告を送った。おかげで教会内にて動けなくなったのだが、まあそれも潮時だったと彼は鷹揚おうように構えている。彼女に言わせればそういうところが無頓着らしいが、人間ではないから彼にはそういう感情がわからない。ひとつ駒が減っただけ、それの何が悪いというのか。

 となれば、これもまた想定外だったとでも言うべきだろう。

 ムスタール公国を南下して王都マイアよりさらに南西へと進めば、やがて熱砂の砂漠へとたどり着く。ユング人が築いたナナル宮殿、追い立てられるように砂漠の地下に逃げたのは竜族たち。火竜族の名を炎の一族と言ったか。彼はぼんやりと思い出す。するとあのお喋りな竜人ドラグナー、ニルスの声が脳内で蘇ってきた。

 僕はどちらにも味方しない。久方ぶりに会い、そうのたまったのは彼とおなじ竜人ドラグナーである。あの大嘘つきめ。ユノ・ジュールは同族の少年を罵った。

 急に足を止めて、それから声にも応えない彼の顔を彼女がのぞき込んでいた。

月の双剣イ・サハトが奪われた」

「奪われた? あれは、もともとナナル王家の宝剣ではなくて?」

 彼は彼女をじろっと睨む。イシュタリカはくすくすと笑っている。

「でも、奪われたとなれば、厄介なことになりますわね」

「べつに構わない」

「うそ。こんなに怒っているのに?」

 長らく少年の姿をしていたせいか、彼女も子どもに対する物言いが抜けないのだろう。人間という生きものは面倒だ。相手の見た目でころころと態度を変える。

 あれは百年ほど前だろうか。ひとりの女が彼に誑惑きょうわくされた。白い髪、雪花石膏アラバスターの膚、青玉石サファイア色の目。すっかり身も心も彼の虜になった女はしつこく彼を追い回した。こういったことははじめてではなかったので、彼は慣れていた。適当に相手をするだけでそれ以上の感情もなく、しかし面倒だったのはその女に夫君がいたということだ。

 激しい罵り合いののちに、女は台所の包丁を持ちだして夫を刺した。これで自由の身。ところが刺された夫も黙っちゃいない。手に持っていた農具で女を殴りつけ、けっきょくふたりとも死んだ。

 彼はそれ以来、子どもの姿を取っていた。

 ときおり彼の魔力に呼応して姿が大人へと変わるものの、子どもの姿の方が厄介ごとに巻き込まれる回数が目に見えて減った。だが、これも気まぐれだ。彼にとって容姿なんてどうでもいい。だからいまはこうして、大人のなりをしている。

「面倒なやつが面倒なことをしてくれたおかげで面倒が増えた」

 そう、別段怒っているわけでもない。ただただ不快に思うのは、あの口喧しい同族が関わっているせいだ。

「まあ。あなたのお友だちでしょうに」

「誰が友達だ」

 彼としてはここで話題を終わらせるつもりだった。それなのに、彼女はどこか嬉しそうに声を紡ぐ。

「数少ないお友だちだとしても、私は嬉しく思いますわ。それに、このところのあなたはどこか、」

 彼は片手をあげて声を遮った。言われなくともわかっている。人間と長く付き合っていると彼自身も人間のように見えてくるのだ。

「どうでもいい。あの剣が人間の手に戻ったところで、些事さじに過ぎない」

「でも、月の双剣イ・サハトはあなたたちの」

「あんなもので死ねるのなら苦労はしない」

 強引に話を打ち切って、彼はそこから口を閉ざした。彼女はまだなにか言いたそうにしていたものの、ひとつため息を吐いただけだった。

 変わった女だと思う。これまで彼に纏わり付いてきた人間は、男も女も彼に魅了されながらもどこかで畏怖いふを感じていた。

 ソニアという女にはそれがない。自分も人間ではないだけと、彼女はそう言う。だが彼にしてみれば彼女は人間だ。そんな女を、長く連れ合いとして認めている自分自身も変わり者なのかもしれないと、彼はそう思った。

 

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イレスダートの聖騎士 朝倉 @asakura

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