イ・サハト
「気がついたか?」
固くて冷たい石の上でずっと眠っていたらしい。
ブレイヴはのろのろと身体を動かしながら起きあがる。夢は見ていなかったように思う。けれども、耳の奥に残るのは幼なじみの声と砂の音だ。
「ここは……?」
「俺たちは流砂に巻き込まれた。神殿にたどり着ければ、ここが流砂の神殿ということになるな」
ブレイヴよりもかなり前に目が覚めていたのだろう。クライドの声は落ち着いている。目覚めたばかりでうまく働かなかった頭が一気に覚醒した。
「流砂の神殿。ここが……?」
「図らずともたどり着けたみたいですね。運が良かったのでしょう」
「ウンベルト」
先に砂に引き摺り込まれた少年も無事だったようだ。しかし、まだ完全に安堵するのは早い。
「フレイアは?」
「あいつは最初に目が覚めていた。俺が起きたらすぐに行った。たぶん、そこらを探索しているのだろう」
見あげた先には光が見える。あれが太陽の光だとしたら、ずいぶん地下まで落とされたようだ。次にブレイヴは左右を見渡した。周囲は岩に囲まれた空洞だった。どのくらいの広さにあるのか不明だが、他に生きものの気配はしなかった。
「ここに、ドラグナーたちがいる」
ガエリオが客としてブレイヴに引き合わせた男、それが炎の一族だ。
同族には気をつけろと、その
「あっちに神殿が見えた」
フレイアが戻って来た。いきなり見知らぬ場所に連れて来られたというのに、けろっとしている。
「俺たちの他に誰か会ったか?」
「誰とも会ってない。でも、ずっと向こうから血のにおいはする」
ブレイヴはクライドを見た。このフレイアという少女は嘘を吐かない。
「早く行きましょう。ここにジルもファラもいるかもしれない」
落ち着きがないのはウンベルト一人だけだ。急く少年をひとまず宥めて、先頭はフレイアに任せた。皆、それぞれ考えごとをしているのか無言で洞窟を歩いた。ブレイヴも別に落ち着き払っているわけではなかった。年少のウンベルトが焦りや怒りといった感情を露わにしてくれるおかげで、こちらは却って落ち着けているだけだ。
しばらく歩いているうちに、ブレイヴはとある違和感に気が付いた。
違和というよりは既視感だろうか。そうだ、ここはグラン王国の竜の谷に似ている。あのときも、と。ブレイヴの唇が動く。レオナを連れ去ったのは
ここにも竜がいるのだろうか。ブレイヴは無意識に
「あいつ……、俺たちよりずっと鼻が利くな」
クライドのつぶやく声で、ブレイヴは思考から覚めた。血溜まりのなかに、何人も重なり合うようにして倒れている。いずれも
ブレイヴは込みあげる吐き気を抑えるように、意識して呼吸を繰り返した。背後で誰かが嘔吐いている。たぶんウンベルトだ。
「死んで、いるのか……?」
「だろうな。誰も生き残っちゃいない」
人間に友好的な
ブレイヴは老人の背に突き刺さったままの剣を見た。鞘の刻印には見覚えがあった。十字と盾。ヴァルハルワ教会の騎士団だ。
「教会が、ここに……?」
あり得ない話ではなかった。フレイアはブレイヴたちに知らせに来てくれたが、クリスはそのまま教会に留まって助けを求めた。
「ダナンで行方不明者が多発していた。教会は炎の一族を探していたはずだ。やつらが竜族だと知っていたんだろ」
「それにしてもこれは……」
だとしても、これは。あまりに酷い。こんなものはただの虐殺でしかない。
「仕方ないでしょう。あいつらは、人間じゃないんですから」
クライドに止められなければ、ブレイヴはウンベルトを殴っていた。ユングナハルに来てからそろそろ三ヶ月が経つ頃だ。クライドの弟にもこちらの事情は話していたから、当然幼なじみのことだって知っているはずだ。
気色ばむブレイヴに気圧されたのだろう。気まずそうにウンベルトが視線を外す。それから黙りこくっていたフレイアと目が合った。
「あっち、誰かいる」
指差された方に向かってみる。もしかしたらレオナたちかもしれない。淡い期待はブレイヴ自身がそうではないことを一番知っていた。そうだ。幼なじみならば、同族がこんな目に遭わされる前に真っ先に飛び出す。
「ウンベルト……?」
最初に奥へとずんずん歩いて行ったのは少年だった。おそるおそる少年を呼ぶ声にきき覚えはなかったが、ウンベルトとクライドは顔を見合わせた。
「ウンベルト! クライドも!」
赤毛の少女が二人に飛びついた。
「ファラか? お前、どうして」
「わ、私たち、隠れてたの。教会の騎士が大勢やってきたのが見えたから、慌ててここに隠れて。他の子たちは、保護してもらったのかも。で、でも私たちこわくって。そうしたら、急に大きな声が響いて」
「わかった、わかったから。落ち着け」
矢継ぎ早に声を繰り返すファラの肩を抱きながらクライドは言う。言葉とは裏腹に、声がいつもよりやさしくきこえる。
「わ、私、こわくてずっと耳を塞いでいたから、なにが起こったのかわからなくて」
「もう終わってる。こわいことは、もう起こらない」
「ほんとうに……?」
抑えていた嗚咽を堪えきれずにファラは泣き出した。ほとほと困り果てたといったようにクライドが助けを求める目をしていたが、ブレイヴは苦笑する。こういうのは他人よりも身内の方がいい。ファラとクライドから視線を外してもうすこし奥を見た。赤毛の少女は一人きりではなかったはずだ。
「ジル……」
少年が愛しい恋人の名を口にする。ジルは両膝のあいだに頭を入れてじっとしていた。ちらとこちらを見たきり、そっぽを向いてしまったのは、恐怖による震えを隠すためか。それとも意地が勝っているのかわからない。
「ジル、話をしよう。僕はきみを……」
「おい。話をするんなら、こんなところじゃなくてもいいだろう」
皆が同時にクライドを見つめた。ブレイヴは思わずため息を吐いて、ファラはクライドの胸をたたいた。でも、そのとおりだ。感動の再会は無事にナナルへと戻ってからの話だ。
「待って。あなたが、ブレイヴ……でしょ? レオナがいつも話してくれていた人」
「レオナは……。レオナとアステアは?」
ブレイヴは赤毛の少女を見た。
「私たちに食べものを届けてくれるおじいさんがいたの。その人に、また会いに行くって言ったきりで……」
それは
「とにかく、お前たちは先にナナルに戻れ」
「で、でも出口なんて、どこにも」
「教会のやつらが来ていたのなら、出入り口はどこかにあるだろ」
クライドに促されてファラが先に歩き出した。そのすぐあとをフレイアが追った。目顔でクライドの意を汲んでくれたらしい。ウンベルトとジルの背中を見送ってから、ブレイヴはクライドに視線を戻した。
「あの姫さんは、あんたみたいな巻き込まれ体質なのか。それとも自分から厄介事に首を突っ込んだのか?」
ブレイヴはこれにも苦笑で返す。小一時間ほど掛けて神殿へとたどり着いた。ブレイヴもクライドも絶句した。ここでも
「酷いものだな。ここまでする必要があったのか……?」
「ドラグナーが少女たちを攫ったのはたしかだ。でも、これは」
「あれえ? まだいたんだ?」
神殿の奥から少年が一人現れた。黒髪と
「残念。もうここには誰もいないし、何も残っちゃいないよ」
「レオナとアステアがいる」
「レオナ? ああ、なるほど。じゃあ、君が聖騎士か」
ブレイヴは目を
「どっちもいないよ。白の姫君も人間の坊やも。教会のやつらが連れて行ったからね」
「教会が……?」
それは保護という意味だろうか。しかし
「だからさ、早く帰りなよ。もうここには用事なんてないだろ?」
ブレイヴは竜族の少年を睨めつける。
「お前は、何だ……?」
「僕はニルス。炎の一族の末席さ」
肌が粟立つのを抑えられない。なぜ、この
「言っておくけど、僕はどっち側でもないんだ。レオナにあれこれ教えてあげたのも気まぐれってやつさ。白の姫君と話してみたかったしね」
クライドもまた攻撃の機を狙っている。止めるべきだろう。ニルスと名乗った
「でもまあ、ここまで来て手ぶらで帰るのも、ね? 入ってみる? 酷いものだよ。もうめちゃくちゃ。墓荒らしだってここまでしないのにね」
白亜と大理石で作られた神殿だった。外装だけなら、王都マイアの白の宮殿に見える。
「ああ、でもひとつだけ残っていたな。教会のやつら、あれを抜けなかったんだよ。そこの君は、剣王の末裔だろ? もしかしたらあれに触れられるかもね」
くすくすと笑いながらニルスが去って行く。ブレイヴとクライドは、竜族の少年が二人の脇を通っていくのを目で追うだけだった。
動けなかったという方が正解だ。その姿が見えなくなってから呪縛を解かれたように身体は自由になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます