流砂の神殿③

 それから何日が過ぎたのだろうか。

 レオナとアステアが戻ると、ファラたちはまだ最初の場所に留まっていた。攫われた少女たちのところに行かなかったのは、行きたくないとジルが駄々を捏ねているのだとか。困った顔で見つめてくるファラにレオナは苦笑した。

 ふたたび竜人ドラグナーと接触しようと試みていたレオナだが、今度は向こうからやってきた。

 怯えるファラをジルに任せて、レオナとアステアは老人のあとを追う。今度は二人だった。しばらく歩いて急に竜人ドラグナーたちが振り返った。

 話をする気になったのだろうか。レオナは相手の声を待つ。しかし、やはり結果はおなじだった。彼らの喋る言葉が、言語が理解できずにレオナはただ立ち尽くすだけ、そのうち竜人ドラグナーたちは去って行く。

「なにかを、わたしに伝えたいのは間違いないのだけど……」

 レオナはつぶやく。竜人ドラグナーたちは攫ってきた少女たちにそうしたように、レオナたちにも食糧を与える。黒パンと杏子と梨と林檎、今日は葡萄も合切袋に入っていた。またどこかの街で盗んできたのだろう。

「先ほど少女たちと話してきたのですが、彼女たちの前で声を発した様子はなかったようです。いつもただ黙って合切袋を置いていくだけで……。やはり、あれは竜族の言葉なのでしょうか?」

「そうかもしれない。でも、わたしにはわからないから、怒っているのかも」

 最初の日のように罵倒されたりしなかったものの、その反対にいつまでも言葉を理解できないレオナに失望しているようにも見えた。

 レオナは膝の上で拳を作る。こうしているうちに幾日も過ぎている。ダナンに残してきたフレイアとクリス、二人とも心配しているだろう。いなくなったレオナたちを案じて、教会に助けを求めているかもしれない。

 しかし、教会は疫病で手一杯な状況にあり、動いてくれる保証もない。助けを待つのではなく自分たちで脱出する。そう、ファラには言ったけれど、洞窟内を探索する途中で竜人ドラグナーたちに邪魔をされて進めなかった。

 実のところ、レオナはすこし焦っていた。

 竜人ドラグナーたちがこちらに危害を加える様子はなかったが、それはいまだけだ。何かを伝えようとしている。それなのに通じないとなれば、早々に見切りを付けられてもおかしくない。無関係な少女たちだけでも先に解放してやりたい。でも、どこへ? 思考が纏まらずに焦りばかりが募ってしまう。

「でも、僕は助けを待つのも悪いことじゃないと、そう思いますよ」

「えっ?」

 魔道士の少年がにっこりとした。

「どうにかここから出られたとしても上は砂漠ですし、行き倒れるよりはいいかと」

「そう、ね。わたしたち、なにも持っていないものね」

 レオナも笑った。着の身着のままで攫われてきたので、砂漠越えに必要な道具はなにひとつなかった。おまけに駱駝もいないし案内人もなし。迷子になりやすいアステアが言うのだから、妙に説得力がある。

「誰が来てくれるって言うのよ。こんな砂漠の地下になんて」

 レオナとアステアは同時に彼女を見た。ジルだ。ほとんど喋らずに、ただなにかをじっと耐えていた少女の目は怒っていた。

「こう考えませんか? 僕たちがいなくなったことを、フレイアさんとクリスさんがナナルにいる公子たちに伝える。真っ先に飛び出すのは、ウンベルトさんだと思いますよ?」

「ばかみたい」

 それきりジルはまた黙り込んでしまった。膝を抱えて、そっぽを向いた彼女の肩が震えているようにレオナには見えた。

「ね、ねえ。喧嘩しないで……。私、謝るから。ちゃんと、私のせいだって、わかってるから……」

 ファラが涙声で言う。最初のうちはまだ元気だったファラも徐々に口数が減っていった。当たり前だ。こんな訳のわからない場所に連れて来られて、何日も放置されていたら誰だって泣きたくもなる。

「わたし、もういちど話をしてくる」

「僕も行きます」

 竜人ドラグナーと接触するのは三度目。これが最後にしたいとレオナは思う。相手がレオナとの対話を求めていることはたしかだ。

 交渉が上手くいく保証なんてない。だとしても希望はあると、レオナは思う。あの黒い渦は危険な力でも、ここへと招いたのは竜人ドラグナーたちだ。その逆だって可能なはず、少なくともこちらの竜人ドラグナーたちに届いているし、彼らは人間の言語を理解していた。

「無駄な努力だと思うけどなあ」

 はっとして、レオナは足を止めた。アステアの声かと最初は思った。でも、ちがう。こちらを見つめている魔道士の少年は、レオナとおなじ表情をしていた。 

「通訳が必要なら、その役目を買ってあげてもいいよ」

 少年が歩いてくる。竜人ドラグナーだ。レオナは口のなかでつぶやく。長衣ローブを纏った老人たちとは、まるで容貌が異なる若い姿の少年。

「やあ、レオナ。はじめまして」

「あなた、誰?」

「僕はニルス。そんなに警戒しなくてもいいんじゃない? 僕は、彼らとちがって

 いいや、その逆だ。言葉が通じる相手だから信用できないのだ。

「通訳ってことは、あなたもドラグナーですよね?」

「そうだよ、人間の坊や」

 見た目はアステアとそう変わらない少年だ。けれどもきっと、ニルスと名乗ったこの竜人ドラグナーは見た目以上の歳を重ねている。レオナにはそれがわかる。

「どうしてあなたに、彼らの言葉がわかるのかしら?」

「それは簡単だよ、レオナ。僕はね、あいつらよりも人間に近くて君より竜に近い存在だから」

 そういう竜人ドラグナーは他にもいる。グラン王国であった風の一族の青年、それから――。

「あなたは、ユノ・ジュールに似ている」

「ふふっ、ユノかあ。そんなのきいたら怒るんじゃないかなあ?」

 レオナは正直に困惑した。かの竜人ドラグナーの名を出して反応を伺うつもりだった。ユノ・ジュールの味方ならば、レオナを前にその敵意を顕著に現すはずだ。

 ところが、このニルスという少年の言動はどうだろうか。ユノ・ジュールとは知己のようだが、どちらであるのかまるで読めない。

「安心しなよ、レオナ。僕はでもないんだ」

 信用してもいい相手だろうか。さっきからやたら大仰に手を広げたりと、わざとこちらを刺激しているようにも見える。

「だったら、なぜわたしに彼らの声を?」

「可哀想だからだよ」

 レオナは目をしばたく。

「あいつらが憐れなだけさ。いちおう、僕も炎の一族のはしくれだからね。でもあいつらと一緒にされるのはごめんだ。火竜族はちょっとおつむの弱いやつらと頑固者のやつらのどちらかしかいない。あいつらを見てごらんよ。話なんてまるで通じない。竜にも人間にもなれない憐れなやつらさ」

 ずいぶん酷い言い草だ。憐れんでいるように見えて、実際は蔑視べっししているだけ。拳が震えるのは不快だからだろうか。それとも、彼が最初に会った子どものユノ・ジュールに似ているからだろうか。

「でも、あのひとたちはわたしに声を伝えようとしていた」

「そうだよ。他にわかってくれそうなのがいないからさ。あいつらは白の姫君なら、伝わると思ったんだろうねえ」

「彼らは、わたしに何を?」

「関わらないでほしんだよ」

 レオナはニルスという名の竜人ドラグナーを睨みつけた。

「あのお、それっておかしな話ですよね? 僕たちをここに攫ったのはあの人たちです」

「そうだよ、人間の坊や。でもさ、君らはついでさ。こんな暗くて湿っぽい洞窟なんかに篭もっていたから、わからなかったんだよ。レオナかそうじゃないか、その見分けも付かなかったってわけだ。被害者ぶるのは勝手だけどね、それだったらあいつらも被害者さ」

「どういう、こと?」

 ニルスはとにかくお喋りだ。ひとつ問えばその倍は声が返ってくる。それでもきかずにはいられない。通訳を買ってくれたのなら、その機会を逃せばきっと後悔する。

「月光石」

「えっ?」

「イレスダート人には馴染みがない? でも、ユング人はあれを取り合いしてるんだよ。なんたって、金になるからねえ」

 嘲るように笑うニルスに、レオナはひとつ息を吐いた。

「ずいぶん、くわしいのね」

「言ったろ? 僕はあいつらよりも人間に近いって。ああ、そうそう。月光石だったね。上であれが採れるんだよ。だから人間たちは縄張り争いしてるんだ。まあ、つまりこっちとしてはとんだ迷惑ってことさ」

 ただ静かに生きていたいだけ――。竜の谷の底にて、風の一族の青年はそう言わなかったか。おなじだわ。レオナは口のなかでつぶやく。

「それをわたしに伝えたかったのね……」

「五月蠅くて迷惑だから、どこか他でやってくれ。そういうことだよ。でも、人間たちはこっちの都合なんて関係ない。平気でこっちの縄張りを踏み荒らす。ほら、いまだって、」

 身震いするようなすさまじい絶叫が響いた。獣の叫びだ。洞窟の奥、さらに進めば神殿が見えたそこから声がきこえてくる。

「ああ、ほら。あれはたぶん、教会のやつらかな?」

「教会関係者……? それが、どうして」

「行かない方が良いんじゃないかな? 教会のやつらだって人間さ。いつも人間同士で争っているきみたちなら、わかるだろ?」

「でも、あそこにはドラグナーたちが」

「無駄だよ。老いてほとんど力をなくしてるやつらばかりなんだ」

 皆まできかずにレオナは駆け出していた。悪い予感がする。ニルスの言葉が正しいのなら、あそこにいたのは戦う術を持たない竜人ドラグナーたちだ。アステアが呼んでいる。レオナは振り返らなかった。

 誰が、何が、敵か味方か。ニルスはそうレオナに諭していた。その意味を、レオナは自分の目で見て知った。

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