第七話:二人の出逢い
メルヴィアでも珍しい女性の騎士となって、多くの期待ややっかみの声を浴びて、それでも私はそんなに多くのことを望んでいたわけじゃない。
ただ私は、たった一人、大切な人の幸せを守れればそれでよかった。
――本当に。ただ、それだけだったのだ。
◆ ◆ ◆
「うん? あれは……」
ゴブリンの戦士の手がかりを求めて森の中を探索していたゼニスは、林立する木々の向こうに小さな建物を見つけた。
近づいてみるとそれは丸木を組み上げて建てられた小屋で、どうやら近くの住民が倉庫として使っているらしい。
もしかしたらゴブリンが隠れているかもしれない。
そう考え、小屋の中に入ろうとしたちょうどその時、内側から扉が開かれた。
「あ」
中から現れた小柄な人影に、ゼニスは一瞬息を飲んだ。
全身を覆い隠すローブに、不気味な木彫りの仮面。
なにより、ゴブリンと同じぐらいの背格好。
あまりの不審さに反射的に腰の剣へ手を伸ばしかけたところへ、
「あの、こんにちは……?」
おそるおそるといった様子でかけられた穏やかな声に、ゼニスは自らの動きを中断した。
もしも相手の正体がゴブリンであれば武器を向けてくるなり逃げるなり――いずれにせよ、間違っても挨拶などしないはずだ。
とすると、おそらくは近くの村の子供か。
ゼニスは緊張を緩め、意識的に声を和らげ挨拶に応じる。
「こんにちは。きみは、この辺りに住んでる子かな?」
「はい、そうです。マルクって言います。近くにあるフィエナの村に住んでます」
マルクと名乗った少年のはきはきとしたしゃべり方は好感が持てるもので、初めに抱いた不気味な印象はすぐに払拭された。
「そうか。はじめまして、マルク。私はゼニスという。この国の騎士を務めている」
「えっ、騎士さま……ですかっ!?」
仮面の奥、わずかに見える瞳に驚きと憧れの気配が宿った。
辺境ではやはり珍しいのか、ここ数日で何度かあった反応にゼニスは微笑。
「ああ。任務の途中でね。よかったら幾つか質問をしてもいいかな?」
「はい、なんでも聞いてください!」
「この小屋は、倉庫かなにかかい?」
「はい、村の人たちが狩りの道具なんかをしまうために使っています。もっとも、今の季節はほとんど使われていませんけど」
「それじゃあ、今は空っぽなのかな?」
「ええっと、……その、えっと、はい。空っぽです。その……本当に」
マルクはちらちらと背後を振り返りながら、歯切れ悪く答える。
何かを隠していることが丸わかりの反応に、ゼニスは思わず笑みをこぼしそうになる。
まぁいい。今まで彼が中にいたのだ。
いくらなんでもゴブリンが隠れていることはないだろう。
「それならいいんだ。きみは、この近くでゴブリンを見なかったかい?」
「ゴブリン……ですか?」
「ああ。緑色の肌をした危険な生き物でね。人に危害を加える。見ていないなら構わないんだけど」
「……………………はい」
返ってきたのはなぜか沈んだ声で、ゼニスはおや、と眉を上げる。
「すまない。怖がらせてしまったかい?」
「あ、いえ。その、だいじょうぶです。えっと、……ボクは今から村に戻りますけど、よければゼニスさんを案内しましょうか?」
この小屋から自分を遠ざけたいという意図が見え見えの提案に、ゼニスは少し考える。
近くの村のおおまかな位置は把握しているし、そちらへはユルグをはじめ数名の騎士が向かっている。そうした意味ではマルクの提案に乗る理由はないが、しかしこの素朴な少年からはもう少し役に立つ情報を聞き出せそうな予感があった。
「……そうだね。それじゃ、お願いしてもいいかい?」
「わかりました。こっちです」
マルクが先導するのに従い、ゼニスもまた歩きはじめる。
◆ ◆ ◆
「……この辺りで気をつけたほうがいい場所は、大体こんなところだと思います」
「ありがとう。おかげで助かったよ」
マルクに礼を伝えたゼニスは、内心で舌を巻いていた。
思いのほか得られた情報が有益だったこともあるが、マルクの説明が実践的でわかりやすく、十分に筋道立てられたものだったからだ。
頭の回転がかなり速い。少なくともゼニスの見立てでは、王都で学校に通っている子供たちと比べてもひけをとるものではない。こんな辺境では学校など望むべくもないだろうから、よほど親の教育がいいのだろう。
「……ところでマルク。そのローブと仮面は、この辺りの風習か何かなのかい?」
彼自身への興味もあり、棚上げになっていたことを訊ねてみると、
「ええっと、ボク、皮膚の病気なんです。日が当たるとダメだから、外ではずっとつけてるんです」
「……ごめん、悪いことを聞いたね」
「いえ。全然気にしてませんから。……あの、ボクからも質問してもいいですか?」
「もちろん。なんだい?」
「その、ゼニスさんって騎士さまなんですよね? 女の人なのに騎士さまって聞いたことがないなって思って。どうして騎士になろうって思ったんですか?」
興味深々といったマルクの質問にゼニスは苦笑する。
実のところ、同じことを訊かれる機会は多い。
大抵の場合、それは自分にまつわる下世話な噂の裏づけが目的で、そうした話を聞くたびにゼニスは辟易とした気分を味わっていたのだが、さすがに目の前の少年が同じ目的で尋ねているはずもないだろう。
とはいえ、貴族の話など聞かせても王都など一度も行ったことがなさそうな彼にはピンとこないだろう。どう説明したものか。
ゼニスは頭の中で整理してから、話しはじめる。
「……私がまだきみと同じぐらいだった頃、とても私によくしてくれた人がいたんだ。だけど、その人はそんなに評判が良くなくてね。しょっちゅう周りの人から悪く言われてたんだ。私にはそれが悔しくてね」
剣を捧げたとき、自分が口にした言葉は今でもはっきりと覚えている。
「だから私は、その人の名誉を守るために騎士になったんだよ。その人を悪く言うやつは私が許さないぞ、ってね」
「その人は、今は……?」
「うん。もう死んじゃったんだ。だけど、今でも大切に思ってるよ」
「大切な人のために……」
ゼニスが話し終えるとマルクは感じ入ったように沈黙し、やがてぽつりと呟いた。
「……ボクにも、大切なひとがいるんです。リーゼに、グラハム。二人とも大切な家族です。でも、ボクはその人たちとは……………………違っていて、」
不意に立ち止まったマルクの声は、痛みに満ちたものだった。
「……二人は、きみのことをなんて言っているんだい?」
「ボクを愛してくれてます。だけど、一緒にいたら迷惑がかかるかもしれない。ずっと一緒にいたいけど、村を出て行かなくちゃならないかもしれなくて、……ボク、もう、どうしていいのかわからなくて…………」
マルクは声を震わせて俯き、ゼニスからは見えないように仮面を外して目元を擦る。彼の悲しみを思えば、顔を覗き込んでみる気にはとてもなれなかった。
おそらくは、彼の言う病に関係する話なのだろう。
風変わりな病気を持った者やその家族は、周囲から奇異の視線にさらされることが多い。
ゼニスには医術の心得はないが、日に当たったらいけないとなるとよほどの難病であるはずだ。
あるいは、皮膚病のせいで顔や肌が醜く変形している――ああ、もしかするとそれを隠すためのローブと仮面でもあるのかもしれない――ことも考えられる。
だとしたら、周りからの風当たりが強いのも頷ける。
例えば自分が騎士の立場を振りかざしてマルクの村の村長と話をすれば、一時はマルクを責める声は止むかもしれない。けれど、声が止むことと声がなくなることは違う。自分がいなくなれば、再び声は聞こえはじめるだろう。根本的な解決にはならない。
大切なのは、偏見の声をどうやって失くすかだ。そう答えを導き出したとき、ゼニスはマルクの置かれた状況が昔の自分とそう変わらないことに気づいた。
「――だったらきみも、騎士を目指してみるかい?」
するとマルクはこちらの言葉が意外だったのか、再び仮面を着けた顔を向けてくる。
「……え? ボクが……騎士に、ですか?」
「きみの病気は、身体を動かすことには支障はないんだろう?」
先ほど教えてもらった情報はかなり広い範囲の土地をカバーしていた。
ならば、騎士を目指すための基礎的な運動能力はあると見ていいだろう。
ゴブリンの脅威から人々を守る騎士の看板の効果は絶大だ。マルクを取り巻く偏見の声などたちどころに消滅するに違いない。そうでなくとも騎士を目指しているというだけで、周囲の目はずいぶん変わるはずだ。
「そうですけど……、でも、ボクなんかが騎士になれるんでしょうか……?」
「大丈夫。騎士団の門は誰にでも開かれているからね」
「誰でもなれる……。でも……」
「――誰かを守りたいと強く思うこと。それが騎士としての第一の資格である」
はっ、と息を呑む音。
マルクの目が吸い寄せられるようにゼニスへ向けられた。
ゼニスは微笑み返し、
「私に剣を教えてくれた人の言葉だけどね。家族のことを強く思っているきみは、その資格を満たしているように私には思えるよ。……大丈夫。私だってなれたんだ。きみになれない理由はないさ」
そう。元々は最下層民出身の自分がなれたのだ。
この聡明な少年に無理だとはとても思えない。
「……騎士になったら、グラハムとリーゼとずっと一緒にいられるんですか?」
「任地はある程度選べるからね。三人で暮らせるだけの給金だって出るだろう」
「そうですか……」
考え込むように俯いたのは一瞬。
再び上げられた仮面の奥の瞳には、強い輝きが宿っていた。
「その、ボクは騎士のなり方とか全然知らないんです。だから――、」
「その気にさせてしまった責任もあるしね。基本的なことは私が教えてあげられると思う」
そう答えると、マルクの声が真剣な熱を帯びた。
「――よろしくお願いします。ゼニスさん」
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