第九話:仮面の半分
道すがら、ゼニスは色々な話をしてくれた。
彼女によると、なんでも騎士になるには先だって従騎士という身分につく必要があるらしい。
従騎士というのは騎士の見習いみたいなもので、主人である騎士の身の回りの世話をしたり、雑務や伝令を務めたりするのが主な仕事なんだそうだ。
そうして一定期間従騎士として働き、十分に実力が備わっていると判断された者だけが、騎士として認められるのだという。
普段ゼニスが暮らしている王都では騎士を目指す子どもが大勢いて、彼らはみんな、有力な騎士に従騎士として登用されることを夢見て、日夜鍛錬に励んでいるという話だった。
「……その。ボクをゼニスさんの従騎士にしてもらうことはできないんですか?」
遠慮がちに尋ねてみると、澄んだ湖のような瞳に真剣な輝きが宿る。
「……それが一番いい方法だろうね。でも、今すぐにと言われるとちょっと難しいかな」
「どうしてですか?」
「例えば、きみはまだ剣の使い方を知らないだろう?」
言われてマルクはゼニスの腰に下げられている鞘に収められた剣に視線を落とす。
使い方もなにも、実物を見たのだって今日が初めてだ。
「騎士になりたい者は大勢いるからね。何の功績も準備もない者が従騎士になれば、悪く言う者だって出てくるだろう。きみのためにならないよ」
なんだか実感のこもった口調で諭される。
ゼニス自身、似たような経験があるのかもしれない。
「何冊か教本を送るから、しばらくは基礎訓練に取り組むといいよ。私は王都で暮らしているから、準備ができたと思ったら手紙を送ってくれればいい」
「……わかりました。その時はよろしくお願いします」
深々とお辞儀すると、ゼニスは応援するように微笑んでくれる。
異変に気づいたのは、教会の前まで戻ってきた時だった。
夏も近いのに珍しくぴったりと閉じられた扉の奥から、誰かが言い争っているようなくぐもった声が聞こえてきたのだ。
「え、グラハム……?」
言い争っている声の片方の正体に気がつき、マルクは目を瞠る。
「……親御さん、かな?」
「そうだと思います。でも……」
小声で尋ねてくるゼニスに答えながら、マルクは首をかしげる。
そもそもグラハムがあんなふうに声を荒げること自体、かなり珍しい。何があったのだろうか。
ともあれ、ここで悩んでいても答えはわかりそうにない。
中の様子を知るべく、そっと扉を開けてみる。
「――――るのはやめろ、グラハム! 村の者から証言も得ている! 隠しても無駄だ!」
開いた扉の隙間から冷えた空気とともに漏れ聞こえてきたのは、知らない男の声。
ほの暗い室内に目を凝らすと、礼拝堂の奥に飾られた白十字のタペストリがまず目に入り、その手前、苦虫を噛み潰すような顔をしたグラハムが先ほどの声の主らしい男と向き合っているのが見えた。
ここからでは後ろ姿しかわからないが、それでも鎧を着けていたから男の正体はわかった。
どうやらゼニスと同じ、騎士であるらしい。
「ゼニスさん、あの人ってもしかして……?」
ゼニスの仲間か確かめようと背後を振り返ると、どういうわけか彼女は目を丸くしていた。
「隊長……?」
意外そうにつぶやいたゼニスはいきなり扉を開け放ち、中へと入っていく。
「ゼ、ゼニスさんっ?」
突然のゼニスの行動に驚きながら、マルクもまた彼女を追って礼拝堂に足を踏み入れる。
「マルク!?」
最初に反応したのはグラハムだった。
こちらの姿を認めるなり、さっと顔を青ざめさせたのだ。
「ダメだマルク! こっちに来るんじゃないッ!」
「え、えっ?」
育ての親の必死と言ってもいい形相に、マルクは驚いて足を止める。
その時、鎧の男が振り返った。こちらの姿を認めた金色の瞳が、なぜか針のように細められる。
「……そうか。そいつがそうなんだな、グラハム……!」
「違う、関係ない!」
全身から猛烈な怒気を発して近づいてくる男にマルクが一歩も動けずにいると、男の行く手にゼニスが立ち塞がった。
「お、落ち着いてください隊長っ! 怒りに我を失うなど、あなたらしくもない! いったいこの少年が何をしたというのです!?」
腕を広げて説得するゼニスを、しかし男は鋭い眼光で押しのける。
「騙されるなゼニス。そいつは人間じゃない」
「何を言って……!?」
男はそれ以上取り合うことなく歩みを進め、マルクの前で立ち止まる。
そして、こちらが何かを口にするよりも早く腰に下げた剣を抜き放ち――――、
「隊長ッ!?」
「よせッ、ユルグッ!」
顔に衝撃。何かが床を跳ねる硬い音。
「――――ッ!?」
ユルグと呼ばれた男に向かって手を伸ばしていたゼニスが、信じられないものを目にしたように息を呑む。
頬を撫でる冷えた空気の感触。急に広がった視界に、マルクはゆっくりと床を見下ろす。
「――こいつは、ゴブリンだ」
足元に転がっていたのは、二つに断たれた仮面の片割れだった。
呆然と立ちすくんでいると、ユルグが無言で剣を構えなおす。
総身に震えが走った。
だってユルグの瞳に宿っていたのはぞっとするほど暗くて冷たい輝きだったのだ。
殺される――――!
恐ろしさで息もできず、ぎゅっと目を閉じる。
「それ以上、俺の息子に乱暴するのはやめてもらおうか」
世界で一番頼りになる声。そっと目を開けると広い背中が見えた。
グラハムの要求に、ユルグは耳を疑ったように顔を歪める。
「正気かグラハム!? こいつはゴブリンだぞッ!?」
「ああ、そうだな」
激しい痛みを訴えるような叫びに、グラハムははっきりと頷く。
「あなただって幾らでもやつらの所業を見てきたはずだ!」
「ああ、そうだな」
「ゴブリンなど、一匹残らず根絶やしにするべきだ! 連中を生かしておく道理などどこにもない!」
「……ああ。お前の言うとおりかもしれないな」
「ならば!」
「それでもマルクは俺の息子だ。手出しは許さん」
きっぱりと言い放ったのを最後に音という音が失われ、礼拝堂の空気が張り詰めていく。
緊張を先に破ったのは、グラハムだった。
「ユルグ。お前、俺に借りがあると言っていたな。――その借り、今ここで返してもらおう」
「グラハムッ!?」
「この村には何もなかった。ゴブリンの子どもなどいなかった。……どのみち、探していた相手は見つからなかったんだろう。嘘にはならないはずだ」
グラハムの要求にユルグは燃え上がるようなまなざしをぶつけていたが、何かを断ち切るように目を閉じてうなずき、それきり誰とも目を合わさずに教会の入口へと歩いていく。途中、一度だけ立ち止まり、
「――あなたとは、良き友人でいられると思っていた」
ぼそりとつぶやくと、そのまま教会から出て行った。
二度と振り返ることもなく。
「……ああ。俺もお前のことは友人だと思っていたよ」
永久に喪われてしまったものを見送るようなグラハムのつぶやきは、相手に届くことなく空気に溶けて消えた。
――そして、
「…………」
マルクの正体を知った時からずっと立ち尽くしていたゼニスもまた、無言で歩き出した。
隣を通り過ぎる時に目に入った横顔は固く強張っていて、これ以上マルクと関わることを拒絶しているように見えた。
教会から出ていこうとするその背中へ、
「あの、ゼニスさん……」
一縷の望みをかけて呼びかけるとゼニスは足を止め、しかし、
「――すまないが、先ほどの話はなかったことにさせてほしい」
感情を伺わせない、淡々とした声。
「あ……」
「君の正体については私も黙っておこう。近くの土地の話を聞かせてくれたこと、感謝する」
それきり、知っている言葉をすべて使い果たしてしまったような深い沈黙が生まれた。
……騙すつもりなんか、なかったんだ。
新しい道を教えてくれたことに感謝してるんだ。
道を断たれた今だって、同じ気持ちなんだ。
伝えたい言葉はたくさんあったのに、どれ一つとして口に出すことができなかった。
沈黙の重みに耐えるような時間の後、
「――それではな」
絞り出すように別れを告げると、ゼニスもまた教会から出て行った。
……どうしようもなくやるせない気持ちが轟々と胸の中で渦を巻いていた。
こいつはゴブリンだ。
おまえはゴブリンだ。
異なる口から放たれた双子の言葉が、呪いのように頭に焼きついて剥がれなかった。
視線を床に落とすと、二つに断たれた仮面の片割れが目に入った。
二つに割れた仮面では、顔の半分しか隠すことができない。
それはまるで、どんなにがんばっても決して人間にはなれない自分を表しているようだった。
「……ボクが、ゴブリンなのが悪いのかな」
胸の中で身を裂くように暴れ続ける渦の一滴が跳ねたように、呟きが零れ落ちる。
零れた感情が床の上で弾けて醜い水たまりを作るよりも早く、ぽんと肩に手が置かれた。
「そうじゃないさ」
グラハムだった。
「今のはたまたま、巡りあわせが悪かっただけだ。お前が悪いわけじゃない」
こちらの目をまっすぐに見て、励ますようにそう告げる。
「……そうなのかな」
「ああ、そうさ。だいたい人間同士だって上手くいかない時は上手くいかないもんだ。お前だって見てただろ?」
唇の端を上げて微笑んでみせるのに、今さらながらグラハムが自分を守るために友達を失ったことに気がついた。
「……グラハムこそ、よかったの? さっきの人、グラハムの友達だったんでしょ?」
そう尋ねると、グラハムは傷の痛みを我慢するような笑みを浮かべる。
「ああ……まぁな。でもいいのさ。今の俺にとってはお前やリーゼの方が大切だからな」
雲の間から光が差すような確信が訪れたのは、その瞬間だった。
――ボクの居場所はここなんだ。
――二人のそばが、ボクのいるべき場所なんだ。
――人間だとか人間じゃないとか、そんなのは関係ないんだ。
朝日みたいに眩しい気持ちに、マルクはそっと目を細める。
そこへ、
「ところでマルク。お前、ゴブリンを匿ってるだろ?」
「……え。ええええ!? なんでわかったの!? あんなに秘密にしてたのに!」
動揺の声を上げると、なぜかグラハムは小さく肩を震わせながら目をそらし、
「んん……ま、これでも父親だからな。お前のことならなんだってお見通しってわけさ」
「はぁー……」
やっぱりグラハムはすごい。
感心しているとグラハムはむず痒そうな顔で続ける。
「お前が匿うぐらいだ。悪いヤツじゃないんだろ? どこに隠してるかは知らないが、連中に見つからないうちに早いとこ――」
その時、ひとりの人影が礼拝堂に駆け込んできた。
「あ、ああーっ! マルク! 無事で良かった!」
「え、フレッド? ど、どうしたの?」
抱き着いてきそうな勢いの友だちに目を白黒させていると、
「……そうか。ノーラさんだったか」
「本当にすみません!」
よく意味の分からないグラハムのつぶやきに、フレッドは深々と頭を下げる。
グラハムは苦い表情でフレッドの茶色のつむじをしばらく見つめていたが、やがて肩の力を抜いた。
「いや…………いいさ。この通り無事だったんだからな」
「えっと……どういうこと? フレッドのおばあちゃんがどうかしたの?」
「あー、それはだな……」
答えにくそうな顔をするグラハムにどうしたのだろうと思っていると、
「って、そうだごめんこうしてる場合じゃなかった! マルク、牧師さま、聞いてくれ! リーゼがっ、」
そこでフレッドは息を詰まらせる。
突然出てきた家族の名前に、不意に嫌な予感が膨らみはじめる。
ただ事ではない友人の様子にマルクはグラハムと顔を見合わせ、フレッドを問いただす。
「リーゼがどうかしたの、フレッド!?」
するとフレッドは何度か自分の胸を叩いて声を取り戻すと、絞り出すように叫んだ。
「リーゼが人質に取られたんだ!」
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