第八話:信頼、裏切り
――大丈夫かなぁ、マルクのヤツ。騎士さまに見つかってなきゃ良いんだけど。
村長の家。フレッドは落ち着かない気持ちを抱えたまま、うろうろと家中を歩き回る。
今ごろ村では大勢の騎士たちがゴブリンの戦士とやらを探し回っているはずだ。
友人の普段の格好を考えれば、見つかってすぐに正体がバレるとは思わないが、それでも目立つ姿であることには違いない。
どうにも平静を保っていられずに足を止めることができないでいると、居間で読書をしていた祖父が目を細めて苦笑する。
「少しは落ち着いたらどうじゃ、フレッドよ」
「でもさぁ爺さん」
「何か見つかれば村長のワシに一言あるさ。大丈夫じゃよ」
「そうかもしれないけど……」
「そんなふうに焦っていては、自分から怪しんでくれと大声で叫んでいるようなもんじゃぞ。リーゼちゃんがお前を連れていかなかったのは正解じゃな」
からかい混じりの祖父の指摘に、フレッドはう、と声を詰まらせる。
フレッドを訪ねてきたリーゼからマルクの不在を知らされたのがつい先ほどのこと。
手助けを申し出たフレッドに、しかしリーゼは首を横に振ったのだ。
心当たりがある。ひとりで行った方が目立たない。フレッドは普段どおりにしていてほしい。
そういう事ならと送り出したまでは良かったが、まさか待つことがこれほど辛いとは思わなかった。
「案ずることはない。いつもどおりにしていれば良いさ。なにしろ小さな村じゃ。探し物もすぐに終わるじゃろう」
家の扉が叩かれたのは、ちょうどその時だった。
「失礼。村長はおられるか? 村内での捜索が完了したため、報告させていただきたい」
扉越しに聞こえてきた声は、ユルグと名乗った騎士のものだ。
「ふむ。噂をすれば、じゃな」
言ったとおりだっただろう? という風に笑ってみせると、祖父はテーブルに本を置いて立ち上がる。
「なあ、爺さん。もしも騎士様に何か聞かれても、」
「わかっておるわかっておる。安心せい。お前が心配しているようなことは何も起きんよ」
ひらひらと手を振ると、祖父はいつもと変わらぬ足取りで表に出ていく。
「……しっかりしないとなぁ、俺も……」
気持ちを落ち着けようと深く息を吐き出す口元が、少し苦い。
祖父だっていつまでも元気でいられるわけじゃない。
フレッドの両親は流行り病で亡くなっているため、祖父が引退する時期によってはフレッドが次の村長に選ばれる可能性もある。
そうなれば今日みたいなことが起きた時にマルクを守るのは自分の役目になるのだ。
……これぐらいで動揺なんかしてられないよな。
眉間に力を込めて気合を入れ直していると、
「――騎士さまが来てるのかい、フレッド?」
居間に顔を出したのは、寝室で休んでいた祖母だった。
グラハムが調合してくれた薬のおかげで、身体の具合はだいぶ良さそうだ。
「ああ、爺さんがいま話をしてるよ」
「そうかい。ちょうどよかったよ」
祖母はフレッドの前を横切り、ゆっくりと入り口の扉へ歩いていく。
見慣れた横顔の穏やかさに、なぜか胸が騒いだ。
「……ちょうどよかったって、何が?」
「決まってるさ。あのバケモノの子を村から追い出してもらうんだよ」
「なんだって?」
あまりにもあっさりと放たれた一言に、フレッドは耳を疑った。
マルクを村から追い出す? 婆さんはそう言ったのか?
「待てよ婆さん! まさかマルクのことを告げ口するつもりか!?」
「あたりまえだろう。あの悪魔が私たちとおんなじ村で暮らしているのがそもそもおかしいのさ」
「やめろよ! マルクは俺の友達なんだぞ! それに婆さんだってマルクが採ってきた薬草のおかげで身体が良くなったんじゃないか!」
「誰も頼んじゃいないよ、そんなこと」
顔を醜く歪めて吐き捨てる祖母に、フレッドは絶句する。
「だいたい、薬草を採ってきた話だって怪しいもんさ。あの悪魔が私らのために働くだって? ハンッ、馬鹿馬鹿しい。そんな事あるものかい。おおかた何か企んでのことに決まってるよ。牧師さまもお前もすっかり騙されちまってるのさ」
「…………婆さん、それ、本気で言ってるのかよ…………!」
胸の中から溢れそうになった感情の正体が怒りなのか悲しみなのかフレッドにはよくわからなかった。
マルクとは昔からの友達だからよく知っている。
あいつは決して最初から薬草を集めるのが得意だったわけじゃない。
どうしても見分けがつかない。薬草の種類が覚えられない。そう言って泣きべそをかいてたところに出くわしたことがあった。
泣くぐらい辛いならやめたっていいんじゃないのか。子供心にそう伝えると、けれどマルクは仮面の顔をぶんぶん横に振りながら言ったのだ。
グラハムの役に立ちたい。リーゼの役に立ちたい。フレッドや、村のみんなの役に立ちたいんだ、と。
……村人たちにとってマルクは異物そのもので、だからもしかすると溶け込む努力が必要だったのかもしれないと、大人に近づきつつある今では思う。
けれど義務や必要だけでは努力は重ならない。
涙を流した翌日に再び顔を上げて森へと挑んでいたのは、マルクの願いが本心から出たものだったからだ。
みんなの役に立ちたいとはつまり、みんなから認められたいという意味でもあるはずで。
だから、いつの日かマルクが仮面を外して暮らせるようにすることが、フレッドの密かな目標だったのだ。
「くそっ! ぜったい行かせるもんか!」
とっさに腕を掴んで止めると、祖母が鋭く睨みつけてきた。
「何するんだい、フレッド! その手を離しな!」
「イヤだ!」
そのまま無理やり家の奥へと引っ張っていこうとすると、祖母が激しく抵抗した。
家族だとか怪我させたら危ないとか、そういう気遣いをするだけの余裕はどこにもなかった。
互いにもつれあいながら床へと倒れ、なおも玄関に這っていこうとする祖母の胴体に抱き着くようにして押さえこむ。
祖父と話しているはずの騎士が一秒でも早く立ち去ってくれるよう必死で祈った。
「――助けておくれよォォ! 騎士さまァァ!」
いきなり祖母が金切り声をあげた。あまりにも突然の振る舞いに、血の気が引いた。
「悪魔が教会にいるんだよォ! 追い出しておくれよォ!」
慌てて手を伸ばすが、祖母が猛烈に暴れるせいで口を塞ぐことができない。
「くそっ、やめろッ! やめろよ婆さんッ!」
フレッドの懇願にも耳を貸さず、祖母は顔を醜く歪めて叫び続ける。
そんなにも。
そんなにもマルクが嫌いなのか。
そんなにも人間とゴブリンの違いは大きいのか。
そんなにも――――ゴブリンが憎いのか。
マルクを友人に持つフレッドには祖母の気持ちがどうしても理解できなかった。
まるで自分と祖母との間に、目には見えない溝が存在しているかのようだった。
「教会にバケモノの子がいるんだよォ! あんたたちが探してるのはきっとそいつだよォ!」
そう祖母が叫んだ時だった。
唐突に家の扉が開かれた。逆光の中、騎士の鎧をまとった人影が不吉に立っていた。
全身が真っ黒な人影の、ただ二つの瞳だけが異様なまでに鋭い光を放っていた。
「詳しい話を聞かせてもらおうか、ご老人」
――まるで狼みたいだ。
友達を守ることができなかった忸怩たる思いの中、フレッドは場違いにもそんな感想を抱いた。
◆ ◆ ◆
――くそッ、ループスめ。
背後で扉が開かれた時、倉庫の奥で道具を漁っていたスターグは内心大いに毒づいた。
脚さえ無事ならどうにでも切り抜けられたが、倉庫の外から駆け足の音が聞こえてきた時には手遅れだった。
マルクの足音ではなかったし、誰か仲間が助けにくるなど万が一にも期待できない。つまりは人間。間違いなく、人間だ。
――仕方ねえ、どうにか切り抜けるしかねえか。
倉庫の奥で見つけた獲物を握りしめ、全身のバネに力を込めながら覚悟を決めて振り返ると、しかし鼓膜を震わせたのは全く予想だにしない言葉だった。
「あのっ! スターグさんですよね! マルクを知りませんか?」
「…………おいループス。なんだって?」
耳を疑い、瞬きを繰り返す。
扉の前に立っていたのは蜂蜜色の髪をした人間のメスのガキだった。よほど急いで走ってきたのか、肩で息をしながらまっすぐにこちらを見つめている。
悲鳴を上げるそぶりは微塵もない。
「あ、ごめんなさい! 私、リーゼって言います! マルクの家族です! あなたのことはマルクから聞きました!」
リーゼという名前には確かに聞き覚えがあった。マルクの家族。まじまじと見つめる。そうか、コイツが。
「……ここには居ねえよ。とっくに帰った」
ぶっきらぼうに応じた自分自身にひどく驚かされる。
おいおい、コイツは人間だぞ? なんで俺は普通に返事してんだ? マルクの名前が出てきたからか? まさか。今だってアイツのことを頭から信用してるわけじゃないし、そもそもアイツはゴブリンで、コイツは人間だぞ。
だけどコイツが俺に向ける目はまるで――――、
瞠目する。サンガ郷の戦士として様々な脅威に立ち向かってきたはずの自分が、それでも今まで生きてきた中で一番驚いていた。
――――人間が、人間に、
ゴブリンが、ゴブリンに向ける目とまったく同じじゃないか。
その信じがたい事実をすぐには認めることができなくてスターグは視線をそらす。
「そうですか、どうもありがとうございます!」
ゴブリンである自分に深々と頭を下げて、彼女はくるりと踵を返す。
そのまま出ていこうとしたところで、何かを思い出したように振り返った。
「あ、そうだ。スターグさんも早くどこかに隠れた方がいいですよ」
「……なに?」
「村に騎士さまたちが来たんです。ゴブリンの戦士を探しているって言ってました。多分、スターグさんのことですよね?」
騎士たち、だと?
「……一つ教えて欲しいんだが、」
一つの光景が脳裏をよぎる。嵐の山。ラジットを斬り捨てて、俺たちをケダモノだと言い放った、あの男。
「狼みたいな金色の目をしたヤツは、その中に居なかったか」
「金色の目……? ……もしかして、ユルグさんのことですか?」
ユルグ。そうだ。確かにそう名乗っていた。
そうか。いるのか、あの野郎が……。
黒く冷たい炎が胸の中に燃え広がり、生ぬるい、微睡みじみた感情が残らず焼き尽くされていく。
何もかもが灰になっていく中、耳の奥で、絞り出すような誰かの声が蘇る。
やめろと。逃げるんだと。その声は言っていた。
――――幻聴だ。
止めてくれるヤツはとっくに居ないし、止まる必要だって最早ない。
仲間たちの、相棒の仇を討つのだ。たとえ、命を落とすことになろうとも。
「……なあ。ちょっと頼みたいことがあるんだがよ」
「頼み、ですか? なんですか?」
スターグが声をかけると、彼女は素直そうな目を向けてくる。疑うことを知らない目だ。
「何、手間は取らせねえよ。立ち上がるのを手伝ってほしいだけだ。見ての通り、怪我がひどくてな」
「いいですよ。ちょっと待っててくださいね」
親切な微笑みを浮かべて近づいてくる彼女を、スターグは無表情で待ち受ける。
……先ほど見つけた狩猟用のナイフを、背中に隠しながら。
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