第十話:戦士の誇り
「……よろしい。この男の勇気は確かに示された。アグバーの子、スターグよ。お前を戦士と認め、サンガ郷の栄誉ある戦士団(ウォーバンド)の一員として迎え入れる」
壮年の戦士長がスターグに重々しく告げると、岩場に集まっていた連中が一斉におたけびをあげた。
戦士団の奏楽士たちが太鼓や木笛を音高く鳴らし、新たな戦士の誕生を讃える勇壮な詩曲を晴れ渡った峰々に響かせる。
「ハハハッ! やったなスターグこの野郎め!」
喜色満面で飛びついてきた悪友が肩に腕を回してくるのに、スターグは顔をしかめる。
「やめろラジットうっとうしい。俺のことを喜ぶ余裕があるなら自分の心配をしろ」
「ハッ、こんな時までスカしたこと言いやがって! せっかく一番乗りで試練に合格したんだ。少しは嬉しそうにしやがれってんだ」
「俺とお前の顔面がこんなに腫れ上がってなけりゃ、もっとせいせい喜べたかもしれねえがな?」
じろりと見返すと、ラジットは露骨に目を泳がせる。
言うまでもなく、昨晩郷長の酒蔵に忍び込んだ一件のことだ。こいつがヘマを踏んだせいでものの見事に侵入が発覚し、袋叩きにあったのだ。正直、よく今日の試練を受けさせてもらえたものだと思う。
「悪かったって。まさかあんなところに箱が積んであるとは思わなくてよ。全く、ループスのやつめ」
お前のは単なる不注意だろうが。そう罵る代わりに鼻を鳴らしておく。
「どうだっていい。とにかく、言い方は悪いがこんなモノはママゴトだ。命を捨てる覚悟でやれば誰だって通る。大変なのはこれからだろ」
「その通りだ。若き戦士よ」
眼前、そう応じたのはたったいまスターグに試練の合格を言い渡したばかりの戦士長だった。
賑々しく空気を震わせる音楽に愉快そうに目を細め、けれど眼光の鋭さは幾百と血を浴びてきた刃のそれだ。
「一度でも戦に出れば、試練などママゴトに過ぎなかったのだと嫌でも理解するだろう。血の匂い。仲間の悲鳴。積み重なる屍。己に降りかかる突然の死。残酷な現実に打ちのめされることは、幾度となくあるだろう。戦う勇気を失うことも、あるいはあるだろう」
切り傷で潰れた左目が、何本も欠けた両手の指が。
すべては自分が経験してきたことだと無言のうちに物語る。
「だが、そんな時は仲間が戦う姿を見るといい。お前が守るべき者たちを振り返るといい。お前が戦士としての勇気を示した今日この日のことを思い出すといい。それで勇気が取り戻せるなら、このママゴトにもやはり意味はあるのだろうさ」
渋い笑みを見せる戦士長に、スターグは図らずとも試練を軽んじてしまった無礼を詫びるべく頭を下げる。
「戦士よ。お前が口にしたとおり、我らの行く道は困難だ。人間どもの膂力は我らを上回り、バラバラに戦っては勝機は薄い。ならばこそ、我らが、仲間たちが、戦士団がいる。どんな困難の中でもお前は決してひとりではない。戦士よ、我らはお前を歓迎しよう。お前の重荷を共に背負おう。お前には我らがついている。栄誉ある戦士団の一員として、誇りをもって戦うがいい」
「……ありがとうございます、戦士長」
戦士長直々の激励に再び頭を下げた。お前は決してひとりではない。その言葉が胸に残った。
「安心しろってスターグ! お前にはこのラジット様がついてるんだからよ!」
「お前はまず試練に合格しろ」
色々と台無しにしてきた悪友を睨み返す。
下らないやりとりを見せつけられた戦士長が愉快そうに笑っている。
――しかしその戦士長も悪友も、今はみんな泥の中だ。
眼前に広がるのは、サンガ郷とは似ても似つかぬ異郷の風景。
村の広場の真ん中に陣取るスターグを遠巻きにしているのは人間どもばかりで、仲間の姿はどこにもない。
――くそ。本当に俺しか残っちゃいねえんだな。
心の中の大事な部分を無理やり削ぎ落とされたような喪失感。
膝が崩れ落ちそうになるのを堪え、スターグは再び声を張り上げる。
「こいつの命が惜しかったら、騎士どもの親玉を出せ! この村に来てることはわかってんだ!」
リーゼと名乗った娘の喉にナイフを突きつけると、居並ぶ人間の顔から一斉に血の気が引いた。
「こんなことしたって何にもならないわ! いいから早く逃げなさいよ!」
「うるせえ! ケガしたくなかったらおとなしくしてろ!」
当の娘はというと、一向におとなしくする様子がなかった。
喉元に当てた刃物にもさして怯えることなく、しつこくスターグを説得してくる。
小屋で拘束して広場に連れてくるまで、ずっとこの調子だ。やかましいことこの上ない。
くそ。なんだってコイツはこの期に及んでこっちの心配をしてきやがる。
本当に自分の立場がわかってんのか? イライラするったらありゃしねえ。
無理やりにでも娘を黙らせるべきか検討しはじめた時、
「リーゼ! スターグッ!」
広場の隅で声を張り上げたのはマルクだった。どういうわけか、いつもの仮面はつけてない。
人間どもの目が、こちらとマルクとの間をせわしなく往復する。
「マルク! お父さん!」
「暴れるんじゃねえ!」
娘が身をよじるのを無理やり押さえつけると、マルクが顔色を変えた。
「やめろスターグ! なんだってこんな酷いことをするんだ!」
「決まってるさ! 復讐のためだ! あの狼野郎をぶち殺さねえことには、腹の虫が収まらねえんだよ!」
「だからってなんでリーゼを巻き込むのさ! リーゼは関係ないだろ!」
「世の中には巡り合わせってモンがあるのさ! 俺とお前が出会ったようにな!」
「そんな……! そんなの理由になるわけない! きみが勝手に巻き込んだだけじゃないか!」
「勝手に巻き込んだ、だと……?」
この期に及んで寝ぼけた物言いに、胃の底が沸騰する。
「なに勘違い抜かしてやがる! 最初に俺を巻き込んだのはお前だろうが!」
喉が焼き切れそうなほど強く言葉を叩きつけると、マルクは愕然と目を見開いた。
――ああそうだ。俺はずっとコイツが気に食わなかった。
いくら言葉をぶつけても他人事みたいな態度を崩さないコイツのことが、ずっとずっと気に食わなかったんだ。
「お前が俺を助けたんだ! お前が俺をかくまったんだ! それなのに何を今さら無関係みたいなツラしてるやがる! 俺を責めようってんなら、まずテメエを責めやがれ!」
「そんな……」
マルクは心臓を射抜かれたように絶句し、視線を落とす。
いい気味だ。そんな風に思った時だ。
「いい加減にしなさいよ! この弱虫!」
いきなり罵声を飛ばしてきたのは、あろうことか人質の娘だった。
よほど命が惜しくないのか、小さな顔を真っ赤にして怒りをぶつけてくる。
「リーゼ、よすんだ!」
「お父さんは黙ってて! ……先に巻き込んだのはお前だ!? 責めるなら自分を責めろですって!? よくもそんな風に自分に言い訳できるわね! かっこ悪くて笑っちゃうわ!」
「……言い訳だと?」
思ってもみなかった文句に、怒りと疑問が等分に湧き上がる。
「あっきれた! あなた本当にわかってないのね! だったら教えてあげるわよ! いい!? あなたが私を人質に取ってるのは、今の怪我したあなたじゃ騎士さまに敵わないと思っているからでしょう!?」
――それは、その通りだ。
もしも体調が万全ならば、いいや今より少しでもマシな状態だったらもっと別の方法を選んだだろう。
「それなのにあなた、マルクがうちのお父さんに怪我を診てもらおうって誘ったのを何度も断ったんでしょう!」
「当たり前だ。人間なんか、」
「人間なんか信じられない! だから怪我を治すことができなかった! だから私を人質に取るしかなかった! みなさい、全部あなたのせいじゃない! マルクは関係ないわ!」
「――――」
「結局あなたは私たちが怖いだけ、マルクを信じられなかっただけよ! それなのに他人のせいにするなんて、弱虫じゃなくてなんだって言うのよ! これ以上私の家族に変な言いがかりをつけたら許さないわ!」
「この……っ」
だが、それ以上反論の言葉が出てこなかった。
たかだか人間の小娘に詰られただけで滑稽なほど心が揺れていた。
あるいは相手がこの娘でさえなければ、なんとでも言い返すことができただろう。
しかしゴブリンと人間が殺しあってる現実を指摘したところで、マルクを家族と言い切り、今なお躊躇わず自分を見つめてくるこの娘に通用するとは思えなかった。
口の中で舌打ち。迷った末、喉元に突きつけた切っ先に改めて力をこめる。
「……いいからお前は黙ってろ」
事実上の敗北宣言に、娘は唇を引き結んだまま睨みつけてくる。
「通してください!」
鎧を着た一団が慌ただしく広場に入ってきたのは、その時だ。
先頭にいたのは、見紛うはずもない狼の目をした騎士。
狼野郎の顔を見た途端、冷静さが失われていくのを自覚する。
「……よう。数日ぶりだな」
多少なりとも平常心を取り戻そうと笑みを浮かべるが、上手くいかない。
狼野郎は挨拶を無視し、黙ったまま娘と娘の父親、マルクを順繰りに見やる。
何かを諦めたような、小さなため息。
石ころでも眺めるような熱のないまなざしをこちらに向けてくる。
「何が望みだ」
「……話が早いじゃねえか。この娘を救いたけりゃ、一人でこっちに歩いてこい」
無茶な要求とは百も承知だ。ひと悶着あるだろうと思いきや、狼野郎はあっさりと頷いた。
「いいだろう」
本気かコイツ!?
思わず叫びそうになるが、そう思ったのは人間どもも同じだったらしい。
「隊長!?」
「ダメです! 考え直してください!」
「状況は詰まっている。あの娘を無事に救い出すには他に方法がない。お前たちは絶対に動くな」
部下の騎士どもを抑え、狼野郎は念を押す。
「私の命をくれてやる。娘は必ず無事に解放しろ」
「……こいつの家族には借りがある。なるべくなら怪我させたくねぇ」
一瞬マルクに視線を走らせてから答えると、狼野郎は納得したのか表情を変えずに頷く。
「ユルグさん、やめて! 来ちゃダメ!」
「気にしなくていい。そして安心してくれ。――きみのことは、必ず私が救ってみせる」
娘が上げた悲鳴に、狼野郎はなんと笑みを浮かべてみせた。
「……ゼニス、後は任せたぞ」
「隊長ッ! お待ちください!」
狼野郎は騎士どもの制止を振り切り、ゆっくりと歩き出す。
「ユルグ、待て!」
娘の父親らしき人物が声を発するが、
「グラハム、お前を恨むつもりはない。だが、これで目が覚めただろう。――こいつらは滅ぼすべき敵だ。どうあってもな」
凪いだ目だった。配下の騎士どもが考え直すよう叫び続けているが、足を止めることも振り返ることもしない。
狼野郎の堂々たる歩みに認めたくないが驚嘆の念が湧き、自然と口を開く。
「……わからねえぜ。どうしてそんなにあっさり命を投げ出せる?」
「必要であれば、己の命を犠牲にしてでも民草を守る。それが騎士というものだ。――ケダモノ風情には理解できないだろうがな」
「てめェ……」
この期に及んでまだケダモノ呼ばわりしやがるか。
怒りで頭が熱くなるが、どうにか堪える。
――馬鹿か俺は。挑発をいちいち真に受けてんじゃねえ。いくら吠えたところで、こいつの命運を俺が握ってることに変わりはねえんだ。好きに言わせておけ。
――だけど実際、違うって言いきれるのか? 年端もいかねえ小娘を盾に野郎の命を奪おうってんだ。ケダモノ呼ばわりされて当然じゃねえか。ヤツの言い分を否定しようと躍起になって、挙句テメエで証を立ててんだ。我ながら救えねえぜ。
――畜生つまんねえこと考えてんじゃねえ。ラジットも他の連中もこいつに殺されたんだぞ。どんな手を使ってでも仇を討つって決めたじゃねえか。
強く舌打ち。千々に乱れる思考を無理やりねじ伏せ、狼野郎に命令する。
「そこで止まれ。……剣を抜きな」
外野の騒ぎが大きくなる中、こちらの命令通りに狼野郎が剣を抜く。
今の不自由な身体じゃ、剣を捨てさせたところで仕損じる危険があった。
事が済んだあとで脱出することを勘定に入れても、自刃でケリをつけるのが一番確実だろう。
だが、
――こんな決着のつけ方で、本当に納得できるのか? 仲間たちの仇を討ったって、胸を張って言えるのか?
隙あらばあふれ出そうとする心の声を押し殺し、狼野郎に最後の要求を伝えようとした時、
「……それでいいの? スターグ」
かすかな声が、耳を打った。
ちょっと小突いただけで消え入りそうな、しかしどうにも無視しがたい声に、嫌々ながら声の主を見返す。
「――何がだよ、マルク」
この場に居合わせた唯一の同族は、こちらの目をまっすぐに見つめて問いを重ねてくる。
「だって、スターグは友達が殺されたのが悔しいからこんなことをしてるんでしょ? だから仇を討ちたいんでしょ?」
「……ああ、そうだ」
死んでいった仲間の姿を思い出し、新たに怒りが湧き上がる。
するとマルクは、どうしてかヤツ自身も怒りを感じているように目つきを鋭くし、
「だったら、やっぱり間違ってるよ」
「だから何の話だ! この期に及んで妙なことを言い出すならいくらお前でも――!」
「そんな方法で仇を討って、本当に友達が喜ぶと思ってるのっ?」
「…………そいつは、」
絶句した。自分を納得させるために用意していたありとあらゆる言い訳が全て消し飛んだ。
この数日、頭の中にあったのはてめえのことだけで、仲間たちがどう思っていたかなど考えてもみなかったのだ。
こちらの様子に構わず、マルクは叫ぶ。
「ボクなら喜ばないよ! 絶対に喜ばない! そんな卑怯な方法で仇を討ってもらったって、絶対喜んだりするものか!」
気づけば唇を噛みちぎっていた。
クソッタレ。
何にもわかっちゃいねぇくせに、無駄に鋭いこと言いやがって。
クソ。ああクソ。まったくどこまでも最悪な野郎だ。
心の底から気に食わねえったらありゃしねえ。
俺は、お前が、大っ嫌いだ。
……ゆっくりとマルクから視線を外した。
娘の喉から刃を退け、とまどう娘を脇に押しのけた。
正面から狼野郎を睨みつけ、最後の要求を口にした。
「――構えろ。狼野郎」
すると狼野郎は訝しそうに目を細め、
「……どういうつもりだ」
「どうもこうもねえよ。ただ、こんな腐ったやり方でてめえを殺したところで意味がねえ。そう思っただけだ」
仲間たちをケダモノ呼ばわりした狼野郎が許せなかった。
どんな手を使ってでも、必ず仇を討つつもりでいた。
だが、ラジットは、仲間たちは、正々堂々と戦って死んだのだ。
仮にそれが勝ちを捨て、己の滅びを招き寄せる道であったとしても、仲間たちの戦いをてめえの弱さで汚すわけには断じていかなかった。
俺は、サンガ郷の栄誉ある戦士団の一員なのだ。
「おい、マルク」
事態の急変に間抜け面を晒している、どうしようもない馬鹿野郎に告げる。
「俺はお前が嫌いだよ。心の底から大っ嫌いだ。……だけどな」
太々しく笑ってみせる。
「礼を言っとくぜ。助けてくれて、ありがとよ」
「っ、スターグッ! ダメだ、逃げて!」
血相を変えて叫ぶマルクから視線を戻せば、狼野郎はとっくに剣を構えている。
「……後悔するなよ」
「後悔? なんだよそりゃ?」
「つまらない意地のために、唯一の勝機を捨てたことだ」
「あぁ? つまらない意地だと?」
はっ、と鼻で笑い返し――心の底からおかしくなって破顔する。
この野郎。あれだけの剣の腕を持ちながら、その実なんにも見えちゃいないらしい。
こんなつまらねえ相手に死ぬほどビビってたことが馬鹿馬鹿しく思え、ますます笑いが止まらなくなる。
まったく、ループスめ。生きるか死ぬかの勝負って時に、笑わせんじゃねえぜ。
「……なぁ、狼野郎。俺がひとりに見えるかよ?」
まっすぐに見つめて問いかけてみれば、
「事実、その通りだ」
ある意味、予想通りの答えが返ってきて、
「そうか。まぁ、――人間風情にはわからねえ話なのかもしれねえな」
会話を打ち切り、呼吸を整える。
いつの間にか、辺りは静まり返っていた。
左脚が折れてる? ――関係ねえ。
膂力で負けてる? ――関係ねえ。
腕前に差がある? ――そんなの全然関係ねえ。
たかだかこんな程度の相手に後れを取る気はさらさらねえ。
ただ、それだけのことだ。
「――サンガ郷の戦士、スターグ!」
「――隊長、ユルグ」
一陣の風が吹きぬけ、
「行くぜえッ!!」
一息で、全速に突入する。
言うことを聞かない左脚はこの際無視し、両腕も使って四つん這いに近い姿勢で地面を走る。
相手の間合いに入る直前、強く両手を突いて上体を跳ね上げ、無事な右足で生涯最速の踏法を刻む。
地を払う初撃は十分に読めていた軌道。軽々と避け、フェイントを交えながら狼野郎の懐めがけて跳躍する。
両手でナイフを握りしめ、
狼野郎が剣を構えなおし、
仲間たちの歓声がどこか遠くでこだまし、
黄金の瞳に暗闇のような憎悪が吹き荒れ、
「うおおおおおおああああああああッッッ!!」
――――――――そして。
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