第六話:騎士たちの来訪
木々の間を抜けるせせらぎの音に、いくつもの馬の足音が重なる。
川下に向かってユルグたちの部隊がゆっくりと行軍を続ける中、副長のゼニスが川の中の一点を指さした。
「――隊長。あれを」
一見して正体のわからない、岩かなにかのようにも見えるそれを、配下の騎士たちが慎重に引き上げる。
傷つき、へこみ、水を吸って重さを増したそれは、
「……ゴブリンの鎧、か」
無理に脱ごうとして溺れかけでもしたのか、革甲同士をつなぎあわせる結い紐が切断されていた。
――それはつまり、持ち主が生きているということだ。
予感が当たっていたことを、果たして喜んでいいのか、悪いのか。
「どうしますか」
静かに緊張を漲らせるゼニスに、
「そうだな……」
川の左右、森の奥に広がる薄闇をユルグは静かに見据える。
◆ ◆ ◆
――なんだか元気がねえな、コイツ。
倉庫の床に座り込んでいたスターグは、常とは違うマルクの様子に内心首をかしげていた。
昨日までは生意気さしか感じなかったのに、この景気の悪いツラはなんだ。
いや、顔は例の不細工な仮面で覆われているからよくわからないが、どんな表情をしているかはなんとなく想像がつく。
昨日のやり取りを気にしているのかとも思うが、それで改心するようなタマならこんなに苦労しちゃいない。
……まあいい。じきにどうでもよくなる話だ。
「明日にでもここを出て行くつもりだ」
そう伝えるとマルクは、え、と間の抜けた声をあげた。
「出て行くって、……その怪我で!? 無茶だよ!」
「大声出すんじゃねえよ。俺は戦士だ。これぐらいどうってことねえ」
いくぶん強がりが混じってはいたが、いつまでもここに居たところで折れた骨がくっつくわけじゃない。
歩くのにはそれなりに苦労するだろうが、太い枝の一つもあれば、まあ、なんとかなる。
なにしろ、長居をしすぎた。
こちらの決意が固いと悟ってか沈黙するマルクへ、数日前から温めていた考えを伝える。
「お前も来るか?」
すると、え、と先ほどとは少し違う響きが返ってきた。
最初から最後まで気に入らないヤツだったが、それでも恩人には違いない。
そして、恩人に返せる恩があるとすれば、これぐらいしか思いつかない。
ゴブリンが人間と暮らしているのがむかつく気持ちも、もちろんある。
「サンガ郷に来れば、俺やお前と同じゴブリンがたくさんいる。
気の会う仲間だって、いくらでもできるだろうさ」
噛んで含めるように伝えると、マルクは食い入るようにこちらの話を聞いて、
「……それは、」
呟き、黙りこむ。
……まぁ、すぐに決められる話じゃねえだろうな。
スターグはマルクから視線を外し、
「無理にとは言わねえよ。けど、ゴブリンはゴブリン同士で暮らすのが幸せってもんだぜ。……明日の朝、答えを聞かせてくれ」
「……うん」
元気のない声を最後に、マルクは腰をあげる。
――とはいうものの、だな。
明日返ってくるであろう答えをなんとなく予想しながら、スターグは見慣れた小さな背中が扉の外へ消えていくのを見送った。
◆ ◆ ◆
付近の住人の安全を確認するために、森を抜けた先にあった小さな村を訪れていたユルグは、村の教会で意外な人物と再会することになった。
「――グラハム牧師?」
「お前、……もしかしてユルグか?」
干し草色の髪を短く切り揃えた男が目を丸くし、次いで懐かしげに細められる。
どこか人を食ったような雰囲気がある細面には経った年月の分だけしわが増えていたものの、確かに昔世話になった仲間で間違いない。
従軍牧師、グラハム。
まだユルグが騎士団に入りたてだった頃、深追いの愚を冒して大怪我を負った自分の命を救ってくれた、恩人だ。
「……いや、驚いたな。まさかこの村でお前と会うとは思わなかった」
「こちらも同じだ、グラハム。辺境で働いているとは風の噂で聞いていたが……」
小さな礼拝堂は、以前グラハムが務めていた王都の大聖堂とは比較にもならない。
彼ほどの腕前があれば、もっと立派な教会に務めることもできたはずだが。
ユルグのまなざしから何かを読み取ったのかグラハムは苦笑し、
「お前から見たら良いところには思えないかもしれないが、住めば都ってやつさ」
古い傷の痛みを思い出したような笑みに、奥方のことか、とユルグは思い出す。
グラハムが妻を喪ったのは、隊を去る少し前のことだ。
産後の具合が悪かったと聞いていたが。
「そっちはどうだ。相変わらずか?」
鎧を見つめながら尋ねてくるのに、ユルグは、ああ、と首肯する。
「今は巡回部隊の隊長を務めている」
「へえ! お前が隊長か! そいつは出世したな! それで、その偉い隊長さんが今日はこんな辺境の村にどうした。まさか道に迷ったんじゃないだろうな?」
冗談めかした物言いは当時のままで、ユルグは久しぶりに自然な笑みを浮かべる。
「ある意味ではそうとも言えるか。……あなたには話しておくべきだろうな。数日前の戦いで討ち漏らしたゴブリンの戦士を追っている。どうやらこの近くに潜伏しているようだ」
「……それは、確かなのか?」
「近くの川でゴブリンが使っていたと思われる革鎧が見つかった」
「なるほど、そうか……」
グラハムは眉を寄せ、何事かを考えるように沈黙する。
心当たりでもあるのかと尋ねようとしたところに、
「お父さん、お客さん?」
礼拝堂の奥、おそらくは居住者用の区画へ繋がっている扉から、蜂蜜色の髪を後ろで束ねた少女が姿を見せた。
「その子は……?」
「ああ、紹介しよう。娘のリーゼだ。今年で十歳になる。こっちはまぁ、俺の昔の仲間だ。ユルグという」
歩み寄ってきたリーゼにユルグは腰を屈め、目線を合わせてから一礼する。
「ユルグだ。騎士を務めている」
「リーゼです。ご丁寧にありがとうございます、騎士さま」
花が咲いたような笑みに、懐かしさを覚えた。
話し方の雰囲気や瞳の色が、死んだ妹と少しだけ似ていた。
「リーゼ。ユルグはゴブリンの戦士を探しているらしいんだが、心当たりはないか?」
するとリーゼはぱちぱちと瞬きを繰り返し、
「――ううん、知らないわ。その人がどうしたんですか?」
リーゼが自然と「人」という表現を使ったことに、ユルグは浅く笑みを浮かべる。
この辺りでは人間とゴブリンの争いはほとんどないと聞く。
きっと彼女は、ゴブリンを見たことさえないのだろう。
……ああ。もちろんその方がいいに決まっている。
「見つけ出して、倒す。放っておいたら人間を襲う恐れがある」
「そう…………ですか」
リーゼの瞳がわずかに陰る。怖がらせてしまったかもしれない。
「心配はいらない。きみも村の人たちも危険な目に合わせたりはしない。
騎士の名に誓って」
――そう、遠いあの日、ユルグは確かに誓いを立てたのだ。
もう二度と妹のような不幸な者を出させはしない。
この地上に巣食う全てのゴブリンを殺し尽くすその日まで、自分は戦い続けるのだ、と。
こちらの真剣さが伝わったのか、リーゼは安心したような微笑みを浮かべる。
「よろしくお願いします。……ね、お父さん。私、マルクを探してくるわ。どこかに出かけているみたいなの」
リーゼに見つめられ、グラハムはわずかに顔色を変える。
「そう、か。……分かった、気をつけて行ってきなさい」
グラハムの言葉に頷いたリーゼはにこりとユルグへ笑いかけると、たたた、と小走りになって礼拝堂から出て行く。
ユルグは少女の小さな背中が扉の向こうへ消えるのを腰を低くしたまま見送った後で、グラハムに尋ねる。
「……マルクというのは?」
「ああ、息子だよ」
「息子? 確か子供は一人だと」
立ち上がりながら振り返ると、なぜかグラハムは失敗したとばかりに頬を歪めた。
「ああ。……一人、男の子を引き取ったんだよ。そう、息子は皮膚に病気があってね。日ごろから肌を出さないようにしているが、そのことには触れないでやってほしい」
「恩人の頼みだ。心に留めておこう。――そろそろ行く。部下たちを待たせているからな。今日は会えてよかった。あなたのことはずっと気がかりだった」
「……おかげで何とかやってるさ。こっちもお前さんに会えてよかったよ」
「用事が終わったらもう一度立ち寄る。心配ない。すぐに片付くだろう」
「ああ。……そう祈ってるよ」
踵を返し、礼拝堂を後にする。
扉を通りながら何気なく振り返ると、ゆっくりと十字を切る恩人の姿が目に映った。
どこか覚悟を決めたような、神妙な顔つきが、なぜだか印象に残った。
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