第五話:人間とゴブリン
「――よし。だいぶ良さそうですね、ノーラさん」
患者の喉の具合を確かめていたグラハムは、ベッドに腰掛けていた老婆へにこりと笑いかけた。
すると、隣で神妙な顔をしていた村長がほぅと安堵の息を漏らす。
「いや、助かりましたぞ、グラハム牧師。うちのが急に倒れたときはどうなることかと思いましたが」
「大げさなのよ、あんたは……」
「よく言うよ婆さん。あれだけ死ぬ死ぬ騒いでおいてさぁ」
孫のフレッドに茶々を入れられたノーラは盛大に顔をしかめ、寝室の空気が朗らかなものになる。
「なんにせよ、すぐに症状が収まってくれてよかったですよ。念のため、お薬のほうはもう少し続けてください」
ところが、グラハムの話を聞いたノーラは急に顔を曇らせる。
「その……、牧師さま。あの薬はまだ飲まなきゃいけないのかい?」
「ええ、病は治りかけが肝心と言いますからね。……どうしました? もしかして薬が身体に合いませんでしたか?」
グラハムが煎じた薬は昔から良く使われているもので、副作用もほとんどない。
以前ノーラに煎じた時も特に問題はなかったはずだが――内心首を傾げていると、しかしノーラは首を横に振る。
「そうじゃあないけどね、でも……あの薬は、牧師さまのところのバケモノの子が集めてきた薬草を使ってるんだろう?」
――――一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「おい婆さんっ!」
「なにバカなこと言ってんだよ!」
グラハムが反応するよりも早く、村長とフレッドが激しくノーラを咎める。
ことに、友人を悪く言われたフレッドはかなり刺々しい目つきだ。
「だって本当のことじゃないか! あの悪魔が採ってきた薬草なんか、何が混じってるかわかったもんじゃないよ!」
グラハムは唇を噛む。
以前からノーラが息子のことをよく思ってないのは知っていた。
だから、これまで薬草の出所についてはあえて彼女には伝えずにおいたのだが。
グラハムが黙っていると、フレッドがすまなさそうに見上げてくる。
「……その、ごめんなさいグラハムさん。この前婆さんがあんまりマルクのことを悪く言ってたから、つい……」
なるほど。息子を庇ってくれたのか。
納得したグラハムは、気にしなくて良い、とフレッドに笑顔を返した後で、改めてノーラに向き直る。
「ノーラさん」
静かに話しかけると、しかし声を聞いた全員がはっきりと顔を強張らせた。
失敗した。冷静を保っていたつもりだったが、そうでもなかったらしい。
グラハムは咳払いを挟み、気持ちを落ち着けてから再び声を出す。
「ノーラさんにお出しした薬は、昔から良く使われているものです。あの薬を飲んで身体を悪くした人は、俺が知るかぎりではいません。それともノーラさんは、俺が何かおかしな薬を作っているとお考えに?」
「わ、私はなにもそんなつもりで言ったんじゃ……」
「でしたら、」
有無を言わせず、グラハムは押し切る。
今日はもうこれ以上彼女の顔を見たくない。
「完全に治りきるまではちゃんと薬は飲み続けてください。大丈夫。もうほとんど治ってます。すぐに薬を飲まなくてもよくなりますから、それまでの辛抱ですよ。――それでは、お大事に」
◆ ◆ ◆
教会への帰路の途中、グラハムは何度も舌打ちを繰り返した。
牧師にとって、相手の不満に耳を傾けるのは大切な務めの一つだが、しかし牧師だって人間だ。
何を言われても腹が立たないというわけではもちろんない。
自慢じゃないがマルクは良い子だ。穏やかで真面目で、問題があるとすれば少々素直すぎることぐらいのものだろう。
教会の手伝いも率先してやってくれるし、薬草採りの腕前は手ほどきした自分をとっくに上回っている。
贔屓目なしに、村に貢献していると断言できる。
それを、あの婆さんはなんだ。
バケモノだと? 悪魔だと?
ああ、そうかい。確かにそう見えるかもしれないな。マルクが人間じゃないことは事実だ。
だが、それがどうした。あいつが問題を起こしたことなど、この数年で一度だってあったか?
もちろん、無茶を通している自覚はあるし、自分の思想は異端だと認識してもいる。
人間とゴブリンとの間で争いが続いている現実も理解している。
しかし、それを差し引いた上でも、先ほどの暴言はとても飲めたものではない。
マルクは、自慢の息子なのだ。
「……はぁ。このまま帰ったらリーゼに心配されちまうかな……」
カンの良い娘のことだ。何かあったと一発で気づくだろう。
どこかで頭を冷やしていくかと考えていると、
「おおぅい、グラハム牧師ぃーっ!」
「……ん、村長?」
自分の名前を呼ぶ声に振り返る。
すると、今しがた別れたばかりの村長がよれよれと走ってきて、グラハムの目の前で足を止めた。
「はぁ……はぁ……。いやーあ走った走った。こんなに走ったのは久しぶりじゃわい」
「どうしました? そんなに慌てて。まさか、ノーラさんに何か?」
「いやいや。そうじゃあないさ。ただ、一言謝っておかねばと思ってな。先ほどはうちのが失礼した」
ぺこり、と見事に禿げあがった頭が下がる。
「いや。気にしないでください。俺も気にしていませんから」
表面上は平静を保って告げると、しかし村長はおかしなことでも聞いたように皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、
「ふほッ。お前さんあれだけおっかない顔をしておきながら『気にしてない』はないじゃろ。久しぶりに肝が冷えたぞ」
「……すみません。そう見えましたか」
「なに、謝ることはないさ。お前さんがあの子を可愛がっておるのはよく知っておる。悪く言われて怒るのは当たり前じゃ」
深々と頷く村長に、グラハムもまた頭を下げる。
今まで大した事件もなくマルクを育てることができたのは、この老人の理解によるところが大きい。
そこで、村長は態度をやや真剣なものに改め、
「だからこそ、これは頭に入れておいて欲しいのじゃがな。……お前さんの働きにはみな感謝しておる。しかし一方で、婆さんのようにずっと不安に思っている者がおるのも事実じゃ」
「………………ええ、わかってます」
「今は良い。お前さんは上手くやっておるよ。お前さんほどの腕の医者、こんな辺境ではまず望めんしな。じゃが、この先不安の声が大きくなるようなことがあれば、もしかするとわし一人では抑えきれなくなるかもしれん。そうなった時は――」
そうはならないことを願うような、苦い声。
「――マルクに村から出て行くよう命じなければならんかもしれぬ」
「それは……」
横暴だ、とはとても言えなかった。村長の立場からすれば、まったく正当な言い分だった。
むしろ、今までこの話が出てこなかったのが不思議なくらいだ。
そして同時に、本当に村長が言いたいのはこの先の話だということも理解する。
この先どうするのか。なにか考えはあるのか。
一体いつまでこの村で暮らしていられるつもりなのか。
たびたび脳裏に浮かび上がる問いを前に今もまたグラハムは立ち尽くす。
返す言葉を見つけられずにいると、
「…………なによ、それ」
背後からの震えを帯びた声を聞いた時、グラハムは内心で激しく自分を罵った。
どうして気づかなかった。村の往来で話していればこういうことも起こりうるとたやすく想像できたはずなのに。
振り返るとそこには身体を硬直させたマルクと顔を真っ赤にしたリーゼの二人の姿。
「村から出て行けですって!? 本気で言ってるの、村長さん!?」
「リーゼ、よせ! 村長さんだって、言いたくて言ってるわけじゃないんだ」
村長に食ってかかろうとするリーゼを押さえると、娘の矛先はグラハムにも向けられる。
「お父さんもなんで言い返さないの!? マルクがなにか悪いことでもしたわけ!?」
「そうじゃない。そういう話じゃない。ただ、」
ただ、――――ただ、なんだと言うのか。
マルクを目の前にして、「仕方がない」とでも言うつもりなのか自分は。
続きが出てこないグラハムに、リーゼはぎゅっと眉を寄せるとマルクの手を握りしめ、
「マルクは大切な家族よ! 追い出すなんて絶対に許さないわ!」
動けないままでいる大人たちを、険しい視線でなぎ払う。
村長は何事かをリーゼに伝えようとして、しかし何を言っても言い訳にしかならないと悟ったのか、
「……すまなかったな。二人とも」
ただそれだけを言って、ひどく疲れたような足取りで来た道を引き返していった。
「……お父さん?」
見上げる娘のまなざしと呆然と立ちすくむマルクへ、しかしグラハムは答える術を持たない。
◆ ◆ ◆
その夜。
自分の部屋でベッドに横たわっていたマルクは、いつまでたっても眠ることができずにいた。
――昼間のことは、あまり気にするな。
帰ってきてからもずっと難しい顔をしていたグラハムは、夕食の席でマルクたちにそう告げた。
もしもの話だ。村長さんは、気をつけるように教えてくれただけだ、と。
マルクたちを安心させるように穏やかな声で伝えたグラハムは、しかし、話そのものを否定することはなかった。
「知らなかった……」
まさか、あんな風に思われていたなんて。
みんなと同じつもりでいた。
村の一員だと思っていた。
自分のことを、天の御方が言うところの『良き隣人』だと信じていたのだ。
『この先、不安の声が大きくなるようなことがあれば――』
村長の言葉が、鐘のように頭の中で何度も反響する。
――本当はみんな、ボクのことを嫌っていたのだとしたら。
――ただボクと一緒にいるのを我慢してただけだとしたら。
そう想像するだけで、胸が締めつけられるような苦しさを覚えた。
「……人間とは違う、か……」
ベッドから身を起こし、自分の部屋を見回す。
質素な調度品でまとめられた小さな部屋は、さまざまな思い出の品で溢れていた。
川で拾ったきれいな小石に、木を削って作った人形。
初めて採った薬草を乾燥させたものに、猪の頭から取った牙。
他人から見ればきっと取るに足りないのだろうそれらは、しかし一つ一つに大切な思い出が詰まっている、マルクの宝物だ。
――物心がついた時からずっとこの村で暮らしてきたのだ。
――周りには人間しかいなくて、それが当たり前のことだったのだ。
「……いつか、出て行かなくちゃいけないのかな」
こぼれた呟きが空気に溶けた、その時。
「マルク? 起きてる?」
「……リーゼ?」
床に降りて扉を開けると、寝巻き姿のリーゼが思いつめた顔で廊下に立っていた。
こんな時間にどうしたのか。そう尋ねようとした瞬間、リーゼはぎゅっとマルクを抱きしめる。
「リ、リーゼ?」
戸惑っていると、リーゼはしばらく黙ったままそうしていて、
「……あのね、マルク。覚えておいて。たとえこの先何があっても、私はマルクの味方よ。人間だとかゴブリンだとか、そんなことは関係ないわ」
「リーゼ……」
そこでリーゼは身を離すと口を尖らせて、
「もちろんお父さんだってマルクのことを一番に考えているわ。今日はちょっとだらしなかったけどね」
はぁ、と不満そうに息を吐いてみせる動作がマルクを叱る時とまったく同じだったので、マルクは思わず笑ってしまった。
「……心配してくれてありがとう、リーゼ。もちろん、グラハムのことだって信じてるよ」
曇っていた心が幾分か晴れていくのを感じながらそう答えると、マルクの顔をじっと見つめていたリーゼはうん、と満足そうに頷いた。
「言いたいことはそれだけだから。それじゃ、おやすみ、マルク」
「うん。おやすみ、リーゼ」
軽く手を振りあって扉を閉じ、再びベッドに横たわる。
――人間だとかゴブリンだとか、そんなことは関係ない。
もちろんボクだってそう思ってる。思ってるけど。
…………なんでボクはゴブリンに生まれてしまったんだろう。
人間だったらこんなに悩むこともなかったのに。
マルクの思いをよそに、窓の外に広がる夜はゆっくりと深さを増していく。
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