第三話:スターグの孤立

 ――――目を開けると、知らない天井が見えた。


 ここはどこだ。いや、そもそも俺は何をしていたんだったか。

 どうやら今の今まで意識を失っていたようで、直前の出来事をすぐに思い出すことができない。

 おいラジット、といつものクセで相棒の名前を呼ぼうとしたところで、頭の奥から記憶が湧き水のように溢れ出した。


 嵐の山。

 落ちた吊り橋。

 仲間たちの骸。

 狼の目の騎士。

 友の死。

 谷底の川めがけて身投げした自分。


 ああ――――そうか。

 あの野郎、もうこの世にはいないのか。


 ちきしょう、と吐き捨てようとしてガラガラに干からびていた喉が詰まり、わずかに咳きこむ。


「あ、気がついた!」


 聞き覚えのない声に目をやり、スターグはぎょっとした。

 仮面とローブで全身をすっぽり覆った、見るからに怪しい人物が隣に立っていたのだ。

 こちらの驚きが伝わったのか、謎の人物――声の若さからして多分まだガキ――は言い訳するかのように仮面のふちを握りしめる。


「あ、ごめん。びっくりするよねコレ。

 でも、家の外では外しちゃいけないことになってるんだ」


 意味がわからない。

 代わりにというわけでもないだろうが、仮面のガキはこちらの口元に水差しの先端を押しつけてくる。

 よせよ、赤ん坊じゃねえんだ。

 そう言い返そうとして、スターグは自分が指一本動かせないほど衰弱していることに気がついた。


 考えてみれば当然だ。

 あれだけの高所から落下した上、おそらくかなりの距離を流されてきたのだ。

 命を落とさなかっただけでも幸運だろう。


 少し迷った末、スターグは素直に好意を受けとることにした。

 相手の妙な格好は気になったが、企みがあるようには思えなかったし、そもそもの話、どこかで倒れていたはずの自分を助けてくれた相手が”同族”じゃないはずがないのだ。


「……ぷはっ。……助かったぜ。俺はスターグ。サンガ郷の戦士だ。おまえは?」

「サンガ郷……? あ、ごめん。ボクはマルク。よろしくね、スターグ」

「ああ。よろしく、マルク。それで……、いったいどこなんだ、ここは?」


 尋ねながら、スターグは唯一自由になる目を動かす。

 少しひらけた室内。

 高窓から差し込む日光。

 丸木を重ねて造られた壁と天井。

 そこかしこに置かれた麻袋に樽、木箱に農具、それにたぶん狩りの道具。

 察するに、倉庫か何かか。


「ここはフィエナの村だよ。ロンバルト伯爵領の端っこ。スターグは近くの川べりで倒れてたんだ。あ、ここに運んできてからまだそんなに時間は経ってないよ」

「……そうか」


 フィエナの村は知らないが、ロンバルト伯爵領には聞き覚えがあった。

 たしか人間たちが決めている大地の区分け方で、スターグの生まれ故郷であるサンガ郷からは徒歩で二日ほど離れている。

 否、もとよりスターグたち戦士団は、そのロンバルト伯爵領の近くまで人間たちの偵察に来ていたのだ。

 そして、…………そして、そこであの忌々しい騎士どもと相まみえ、戦士団は全滅した。

 ただ一人、生き残ったスターグを除いて。


「ちきしょう……ッ」


 胃の腑の底からゆらりと暗い炎が立ち上った。

 このままで済ませるものか。

 仲間たちの無念を必ず晴らしてやる。

 どれだけ時間がかかろうが、必ず、必ず、必ず……ッ。


「だいじょうぶ?」


 ひんやりとした手に額を触られ、スターグは我にかえった。

 仮面の奥の瞳が心配そうに覗きこんでいた。


「辛そうな顔してたよ。悲しいことでもあったの?」

「……ガキに心配されちゃあ、世話ねぇな」


 すると、少しだけムッとした気配が返ってきた。

 子供らしい素直な反応にスターグは笑い、おかげで冷静さを取り戻す。

 殺すのなんだのと血なまぐさい話を聞かせるには、こいつはまだガキすぎる。


「なんでもねえよ。にしても、ロンバルト伯爵領か。まさかそんなところに仲間の集落があるとは思わなかったぜ。それにこの建物、……すげぇな。まるで人間が建てたみたいに頑丈そうじゃねぇか。いったいどうやったんだ?」


 話題を変えたのは本当に気になったからでもあった。

 スターグはサンガ郷では普段、石切工として仲間の家を建てる手伝いをしている。

 だから、こうして壁の継ぎ目を眺めているだけでもこの建物の造りが良いことはすぐに分かった。

 災い転じて、ではないが、この集落の技術を持ち帰ることができれば、故郷の者たちも喜ぶに違いない。


 ――だからこそマルクの返事はスターグにとって一層受け入れがたいものだった。


「えっと、この倉庫を建てたのは人間だよ。リチャードおじさんたちが作ったんだ」

「……なんだって?」


 人間だと?

 マルクは今、そう言ったのか?

 それにその親しげな口ぶりは、一体なんだ?


 なにかがおかしかった。

 いや、考えてみれば最初から違和感はあったのだ。

 明かされない素顔。聞いたことのない村。知らない技術。

 息を呑む。仮面の下は、本当はどうなっているのか。


「おいマルク。まさかと思うが、お前は…………人間、なのか?」

「違うよ?」


 即座に戻ってきた返事に、スターグは、はぁーーーっ、と緊張を解く。

 そりゃそうだ。そんなことがあるはずない。

 スターグは自らの邪推に苦笑しながら、


「だよな。いや恩人に変なこと聞いて悪かった。さっきのはあれだろ? フィエナの村には人間の奴隷が何人かいて、そいつらに作らせたってことだな」

「……違うよ?」


 予想を裏切る答えに、再びスターグは固まった。

 違うだと。一体なにが違うんだ。

 ……そうしてマルクから続きを聞いたとき、スターグは今度こそ言葉を失った。


「奴隷なんかいないよ。フィエナ村は人間の村だもの。違うのはボクだけだよ」


 先ほどもそうだった。人間、と口にした時、マルクの声からは微塵も敵意を感じなかった。


 フィエナ村は人間の村。違うのはボクだけ。

 それは、つまり。


 意識が灼熱した。


「おまえっ、……だったらおまえっ、なんだッ!?

 おまえまさか、人間どもと仲良く暮らしてるってのかッッ!?」

「ッ?」


 こちらの気勢に当惑していることこそが、なによりの証拠だった。

 激情がスターグを突き動かした。

 驚くマルクに手を伸ばし、強引に仮面を引き剥がす。


「ふざけやがって! 俺たちゃ――――俺たちゃゴブリンじゃねぇか!」


 放り捨てた仮面が床の上を転がり、乾いた音を立てる。


 尖った耳に、緑の肌。

 大きな瞳に、つぶれた鼻。


 午後の光に浮かび上がったマルクの素顔は、紛うことなき同族ゴブリンのものだった。


 冗談じゃない。

 無理やり立ち上がろうとして――――左脚に焼きゴテを当てられたような激痛が走った。


「ぐあッッ!?」

「ダメだよそっちの脚は折れてるんだから!

 待ってて、すぐにグラハムを呼んでくるから」

「やめろふざけるなソイツだって人間なんだろッ!」


 無様だった。なにもかもが。

 たった一人で命からがら逃げ延びて。

 助けてもらった相手には早々に裏切られて。

 この先いったいどんな運命が待ちうけているというのか。


「いいかよく聞けマルクッ! 俺のことは人間どもには絶対に知らせるな!

 さもなきゃおまえを生かしてはおけねえ!」


 床の上から睨みつけることしかできない己がこの上なく情けなかった。

 なんのことはない。

 いくら脅したところでこちらの命運はマルクに握られているのだ。

 マルクは労わるようなまなざしをスターグに向け、床に転がった仮面を拾う。


「……わかったよ。みんなにはスターグのことは内緒にしておく。それでいい?」


 無言で目に力を込めると、マルクは頷き、手にした仮面を着けなおした。


「また様子を見に来るよ。大人しく休んでなきゃダメだからね」


 そう言い残し、マルクは倉庫から出て行った。

 扉が閉じられる音。


「ちきしょうが……っ」


 誰もいなくなった倉庫の床を拳で叩く。

 独りで涙を流すには、なにもかもがまだ早すぎた。

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