後日譚〜蝶だった女
「すっかり忘れられているんだと思ってたわ」
カウンター越しにからからと笑うそのショートヘアの女性に、
忘れていたわけではないけれども、わざわざ記憶に留めておこうと考えていたわけでもない。
その女性――赤の事件で結果被害者となった
ゼロイチ管区中央二二四六第イチロク分家の、前夫人であった
長年折り重なってきた罪は、幾年もの刑期として
とはいえ、本人は至って落ち着いた様子であるらしい。
むしろ、これまでのことが白日の元に晒されたことで、解放された心持ちであるというのが本音であるらしかった。
セイはといえば、前当主
ただ彼は、相変わらず精神科病棟内にあてがわれた部屋へ収容されていたし、これからも――少なくとも自らを傷付ける恐れがなくなるまで、今暫くは――そこから出ることはないだろう。
そして何より、彼本人に自らの生みの親が
否。
もしかすると、知っている者はもっと多くあったのかも分からない。
けれども、その誰もが口を噤んだ。少なくともセイを置いて行方を
あの地下シェルターへ飾られていた骨達は、未だほとんどが身元の確認が取れていない。
例外はといえば、やはり最初の
ただその最初の
どうにか体裁を取り繕い、丁重に火葬された
元より骨は空洞だらけであったし、人として残っていたのが、そも、首から上だけしかなかったために。
それを伝えられた
考えれば分かることではあるけれども、医者が、やはり今の段階では知らせない方が良いと、そう判断したからだった。
今回の事件は、そういうことで、一応の終息を迎えた。
ただ、問題は様々残っている。
そのほとんどに
むしろ
その内の一つが今、カウンターの向こうに座って呑気に珈琲を飲んでいる
雇え、という。
正確には、雇えと言ったのは
何故か、と
忌まわしく、哀しく――触れられたくない、何より癒えてすらないだろう傷を遠慮なく抉るような所業ではなかろうかと。
それなのに、何故。
「ふぅん、副班長さんの言った通りね」
カップを両手に包んで、
副班長さんとは、十中八九
何がです、と
「いつもなんだってお見通しみたいな顔をしているのに、自分の理解が及ばないもの……特にそんな人間なんかが目の前に現れると、目を細めてじいっと観察するんだって……睨まれているように感じても、そうでもないから気にしなくて良いわって副班長さんが言っていたの」
「……そんなに見ていましたか」
「ええ。人ってきっと、視線で死ねるわね、って思うくらいにはじいっと」
「それは失礼を」
「平気よ、見られることには慣れてるもの」
珈琲を飲む
揺らぐ和ろうそくの火に絵を固定しながら、
勿論それは、事件に関わったことで知り得た過去の傷ではなく、雇用主として、職歴であるとかそういった一般的なことに関してだ。
聞いたところ、この夜の街イタルヤでも高級な部類に入るナイトクラブであったらしい。
馬鹿ではないし――何もこれは、安い店のホステスを貶す心積もりで言うわけではない――知恵もあった。
元々の性格なのか
そも、
特に彼女の職を考えれば、戻れたとしてもこれまでのように働いていけるとは到底思えない。
人の口には戸が立てられないとよくいうし、これまでも、詛呪事件絡みの人間が社会復帰することへの難しさは言われてきたことだ。
それでもやはり、不思議だった。
幾ら考えたとて、それこそ『自分の理解の及ばないもの』である彼女の思いなど分かるはずもない。
ならばいっそ、本人に尋ねれば良いのだ。
和ろうそくから、今度は観察する意味ではなく、
「貴女は、何故ここへ」
「何故、っていうと」
「選択肢が、なかったわけではないのでしょう。普通ならば、私や店などには近寄りたくないのでは」
「じゃあ、きっと私が普通じゃないのね」
茶化すように笑う
真意は果たしてどこにあるのか。
彼女の中身を覗き込もうとしたけれども、それより早く彼女自身が再び口を開いたために、成されることはなかった。
「詛い屋さんが考えることは、よく分かるのよ。私もね、どうして班長さん達の勧めに頷いたのか、よく分からなかった」
それはそうだろうと思う。
詛いはあくまで道具に過ぎない――
けれども例えば、包丁で人を刺殺したとしても包丁の使用目的はあくまで食材を切ることで、金槌で撲殺したとしても金槌の使用目的は釘などを打つことだ。
詛呪殺である場合はどうかというと、詛いの目的は、殺すこと――それ以外にも使えるというだけで、結局そこには変わりがない。
詛呪殺犯になり損ね、結果詛われて、そして自ら以外を失った
裁いては貰えない罪の象徴でもある詛いの側に、何故また寄り添おうとするのか。
「詛い屋さん達の前にいると、すごく、そうね、居た堪れないような気持ちになるのは確かよ。でもやっぱり私、後悔してないの。
両手で包み込んだカップを、
波紋を作った珈琲に、彼女の目は何を見るのだろうか。
店の端で、白い少女が座り込んでその後ろ姿をじっと眺めている。
「まともじゃないなって、思うのよ。分かってる。でもね、私、あの二人が死んで、ほっとしてるの。自分で殺したかったとも、やっぱり思ってるし、だけど……自分が今生きていることを、少しだけ……嬉しいと思ってしまっているのも事実」
細い吐息が、店の湿度を帯びた空気に溶けていく。
目には見えないはずのそれが、妙に存在感を持っているような気がして、
「
カップに落とされていた視線が、
その眼にはやはり相変わらず仄暗さがあったけれども、それでも、生きている、生きていこうとする人間の色を宿していた。
怨みを晴らすためならば命すら惜しくないと、そんな危うさは見えない。
「私がしたこと、私がしようとしたこと、
彼女は詛われたのだ。
種違いの弟である
だからこそ、それが世間的に見て正しいのか、若しくは
「それで。何故ここに」
問い掛けに、
どこか照れ臭そうなその表情は、無邪気なものに見えた。
「嬉しかったのよね」
「何がです」
「シューニャさんが、私の手を握ってくれたのが。頭を撫でてくれたのが……何の思いも含まない手って、きっと、初めてだったから」
深々と溜め息を吐いて、思わず額を押さえた。
それは、
「家事は出来ると思って良いのですね」
「え」
「朝食はいりませんので昼食と夕食の準備を。必要であれば貴女の分も一緒にお作りなさい。料理は、シューニャにも教えてやって下さい」
「あの、それって」
「あまりにも使えないようならライコウ殿へ突き返します。しっかりと働いて頂きますので、そのつもりで」
立ち上がり、宜しくお願いしますと頭を下げる
――――――蝶だった女、了
キイロハ、イチマイノ、エヲエガク。
――――――黄の章、了
うけひ、えがきて 相良あざみ @AZM-sgr
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