第2話


 見てみると、自分の尻の下にテレビのリモコンが落ちていた。


「そんなことしたらリモコン爆発するよ」


 娘の発言に俺は思わず眉を寄せる。


「はぁ? しないよ」 


「いいえ。するかもしれない」


「リモコンは座ったくらいで爆発しません。学校で習わないの?」


 娘は無表情のまま答えない。やっぱり馬鹿だ。大学には行かせられない。

 しかし、私は久々に娘と会話できて嬉しくなり、妻への優越感がむくむくと育ってきていた。


「お前はさっさと着替えておいで。お父さんは腹減ったからなんか食べるよ。カップ麺あるな。お湯沸かさないと」


 少しご機嫌になって、台所へ向かうと私は水を入れた鍋をコンロに乗せ、カチカチと音を立ててガスレンジを点火させた。


「ちょっと!」


 娘が再び叫んだ。


「お湯なんて沸かさないで」 


「はぁ?」


「ガス台爆発するよ」


「しないから。お母さんが使ってて爆発したことなんてないだろ?」


「でも、するんだよ?」


 娘の口元だけがぎこちなく笑っている。冗談なのか、本気なのかわからない。

 意味深な笑顔を残して、娘は自分の部屋へと消えていった。

 私はしばらく動くことが出来なかった。


(娘の顔ってこんなだったか?)


 娘は小さい頃からママっ子で、思春期を過ぎても妻と仲が良かった。だから何となく邪魔者扱いされている気がして話すことが減り、顔を合わせることもなくなっていた。


(いや、それでも)


 爆発なんて冗談だ。本気なはずない。きっと嫌がらせだ。馬鹿なふりをして私をからかっているに違いない。妻のように。


「麺だけじゃ足りないな。冷蔵庫の中に何かあるかな?」


 私は娘のいうことは忘れて冷蔵庫を漁り始めた。唐揚げの残りと缶ビールがあり、それらを意気揚々と取り出す。


「とりあえず唐揚げの残りはレンジで温めて」


「ちょっと!」


 突然の大声に私も悲鳴を上げそうになった。着替えを済ませてリビングに帰ってきた娘が叫んだのだ。


「お父さん、レンジ爆発するよ」


 またかよ。と、私はため息を吐き出す。


「しないから」


「ううん。お父さんみたいな人がレンジ使ったら爆発する」


「本当に馬鹿だな」


 私はだんだん不安になってきた。

 娘は本気なのか? 心配性なのか? 小心者なのか?

 それとも、馬鹿にしているのか、からかっているのか? それなら性格は最悪だ。 


「母さんに似たのかな」


 思わずこぼれ出た言葉に娘が黙り込む。爆発すると連呼され、私はそろそろイライラしてきていたから、娘が静かになるのは好都合だった。


「さて」


 唐揚げもあったまったし、カップ麺にお湯を入れよう。ちゃんと火を消したし、爆発なんてしない。


「ああ、腹減った」


 妻もいないし、ビール飲んで、さっさと寝てしまおう。

 どうせ妻は帰ってこない。二度と現れない。

 悪魔が隠したのだから。

 ソファに座り、ビールで喉を潤してほくそ笑む。

 私の殺人は露呈することなく人生が過ぎていく。


「お父さん」


 驚いて振り向くと、いつの間にか背後に立っていた娘が、私の顔を覗き込んでいた。


「こんな時間にビールなんか飲んで。お父さんのお腹爆発するよ」


「はいはい」


 受け流して、ふと怖くなった。

 娘の顔は青白く、口元は歪んでいる。

 淀んだ眼がこちらをどんよりと見つめている。


(まさか本気で言っているのか?)


 違和感に気づいたと同時に、弾けるような爆発音がした。


「……何だよ、これ」


 目の前にあったテレビのリモコンから煙が出ている。


「ほらね。リモコン爆発した」


 口元を歪めた娘の表情は柔らかな笑顔に変わっていく。


(なんなんだよ)


 リモコンを呆然と見つめ、しばらく黙っていると、台所から続け様に二度、低く爆発音が響いた。

 見ると、レンジとガス台から煙があがっている。


「ほら。言ったとおりでしょ? レンジもガス台も爆発した」


「なんでだ?」


 娘は薄ら笑いを浮かべたまま何も答えない。


「おい、どういうことなんだ。お前が爆発するって言ったものが次々爆発しているじゃないか」


「だって」


 訳がわからず怯える私を娘は楽しそうに見つめた。


「だって、悪魔に言われたから」


「悪魔?」


 押し入れの壺から出てきた、あの悪魔と同じか?

 私の考えを見透かすように、娘は小さく頷いた。


「でも、願い事はお母さんとお父さんで3つ叶えられたはずだ。お前の分なんてあったのか?」


「これはお母さんの願いなんだってさ」


 そう言うと、娘の顔から瞬時に笑顔が消えた。


「私の願いを叶えて上げてほしいって悪魔に頼んだんだって。だから、悪魔は私の前に現れて、母親が生き返る以外のことなら何でも願いを叶えてくれるって言った」


 娘は真顔で淡々と話し続ける。

 母親が死んでいることを娘は既に知っていた。その事実に自分の背筋が冷えていくのを感じることしか私にはできなかった。

 

「死者の蘇生は無理なんだって。過去から変えなきゃいけないから」


「何を頼んだ?」


 答えようとして躊躇った娘の瞳が、一瞬だけ涙ぐんだ気がした。


「その前に教えてーーお父さんは何を頼んだの?」


「お母さんを隠してもらった」


「そう」


 私を見つめる娘の瞳が底暗く曇っていく。それなのに、娘の唇は微笑みを再び浮かべている。


「私は、私が望んだものを爆発できるようにしてほしいって頼んだの」


「お前が望んだもの?」


「うん」


「それで、爆発を?」


「うん」


「お金とか、学力とか、そういうのではないのか?」


「だって。お母さんは生き返らない」


 娘が爆発したのは、父親である私が触れたリモコン、ガス台、電子レンジ。


「お父さん。次に何が爆発するって私が言ったか、覚えている?」


 私は小刻みに震えている手で、持っていたビールの缶を握りつぶす。


「ーーお父さんのお腹」


 娘と眼と眼が合う。娘の眼は暗闇が深く沈んでいる。

 やめてくれ。

 助けてくれ。

 謝るから。

 そんな言葉が過ぎった次の瞬間、爆発音は響き渡った。 


「母の願いの通り、娘さんの望みが叶って何よりです」


 倒れ込んだ私のそばに立つ娘の肩には悪魔が座っていた。  

 声を上げることもできず苦しむ私を見下ろし、微笑んでいた。


「今の私なら、お母さんを傷つけないように、お母さんのいる場所を爆発できる? 見つけ出したいの」

 

 娘が悪魔に訊ねる。


「ええ、もちろんです。あなたの望むものを爆発できますよ。何故なら、ワタクシは優秀な悪魔ですから」


 高揚した悪魔の声も、悲しげに微笑むの娘の姿も、爆発した私の意識は痛みと衝撃で消えかかっていた。

 助けてくれ。

 救急車を呼んでくれ。

 頼む、頼むから。

 

「その代わり、わかってますよね」


 のたうち回る私に歩み寄ると静かに見下ろし、悪魔が言った。


「いいです。父を好きにしてください。それが母があなたに約束した代償なんでしょ?」


 娘と悪魔の声が辛うじて聞こえたその時、私は体が自分の意志とは別のところで動くのを感じた。

 悪魔が私の腕を引きちぎったのだと気づいても、もう痛みも何も感じない。


「ワタクシ、罪人の肉が大好物なんですよ。それも生かしながら食べるのが一番美味しい。それでは、いただきます」


「召し上がれ」


 娘の冷たい声がした。そして、悪魔の牙が私の腹を突き破り、汚い咀嚼音が響き始める。恐怖と絶望に飲み込まれ、私は意識を失っていった。



 終わり。

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【ホラー】優秀な悪魔 爆発する娘 花田縹(ハナダ) @212244

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