【ホラー】優秀な悪魔 爆発する娘
花田縹(ハナダ)
第1話
押し入れの奥に古そうな壺が置いてあった。その赤黒い壺は小汚く色褪せ、煤けている。
妻の趣味だろう。
最近、私に隠れて魔除けの天然石とか、お祓い用の塩だとか、身を護る御札とかを集めては押し入れにしまっていた。
学歴しか取り柄がないくせに、全く困ってしまう。
今日の喧嘩の原因も妻の金遣いの荒さであり、つい殴ってしまったではないか。
(中にヘソクリが入っていたりして)
そんなことを思いつつ壺を眺めていると、中から変な音がし始めた。まるで空腹時の腹の音みたいにグルグルと低い音だった。
(カエルでも入っているのか?)
気になって壺の蓋を開けると、中から突然もくもくと白い煙が立ちこめる。
そして、その煙の中から小柄な中年の男が出てきた。
「こんにちは」
男はマヌケなほどニコニコと笑いながらあいさつする。私は突然の出来事に押し入れから飛び出し、呆気にとられたまま開け放たれた戸を見つめるしか出来なかった。
「まあまあ。そんなに驚かないでくださいませ」
私を追うようにして、小柄な中年男もゆっくりと押し入れから出てきた。そして、おもむろに目の前で跪いた。
「ワタクシは悪魔です。しかも、優秀な悪魔です。あなた様の願い事を叶えてさしあげますよ」
「願い事? 悪魔だって? どんな仕掛けのイタズラなんだ?」
「仕掛けではありませんよ」
小柄な中年男はニコニコと答える。
「怪しいな。じゃあ、なんで好き好んで人の願いなんて叶えるんだ? メリットないだろう?」
「いいえ。ワタクシは人の願いをかなえることで空腹を満たすのです。食べるためにやっていることなので、切実にあなたの願いを叶えたい」
悪魔は微笑みながら、でも、真剣に私を見つめている。
「願いを2つまで叶えて差し上げます」
「こういうのって普通3つじゃないのか?」
「ええ。よくご存じで。でも、ワタクシの願いは一家族につき3つ。すでに奥様にひとつ頼まれておりますので残りはふたつです」
妻に先を越されていたなんて。私は思わず舌打ちを打つ。
「あいつ、何を頼んだんだ?」
「それは言えません。他の依頼主のお願い事をベラベラとなど。ワタクシ、優秀な悪魔なので」
「あ、そう」
私は少し考えて、
「それならたくさんお金が欲しいなぁ。働かなくてもいいくらいの額を。できる?」
と、適当に答えた。どうせ叶うわけもない願いだろうから。しかし、悪魔は大きく頷いた。
「はい、もちろん。でも……いいんですか? ここは現代日本ですよ? 大量のお金をお札で手に入れても、不信がられますよ?」
「それはそちらがどうにかしてくれるのでは?」
「申し上げにくいのですが、私が叶えられるのはお金を得るという事実だけ。辻褄あわせまではサービスの範囲外でございます」
悪魔はわざとらしく眉尻を下げてみせる。
「お金には番号が記されているの、ご存じですよね? 大量のお金を現金で手に入れたとして、人に見られた時に魔法の力で集めましたと説明するんですか?」
「じゃあ銀行に振り込んでおいてくれよ」
「つまり、どこの銀行口座からでしょうか?」
「その辺は魔法でなんとかなるだろ?」
「データ上で額を操れても、実態はありません。実態のない口座から入るのは魔法によるお金。この魔法のお金が発覚した時、どうご説明するんですか?」
悪魔は口ごもる私を覗き込む。
「硬貨でお渡ししましょうか? 重みで床が抜けても責任は負いかねますが」
「もういい」
こいつ、カネを渡すきはないのかもしれない。こうなったら突飛なことを頼んでみよう。
「じゃあ。妻の死体を隠してくれないか?」
私は床に倒れたままの妻を指さした。
「さっき、口論してたら殴り殺してしまったんだ」
大して稼いでもいないくせに娘を大学に行かせたいなんて、ふざけたことをいい出して聞かないからつい殴ってしまった。妻がいけないんだ。こちらの苦労など全く知りもしないくせに偉そうなことを言うから。
「ーー奥様を生き返らせることは考えないのですか?」
「いや。それより保険金が欲しい。事故死に見せかけることはできるか?」
「いいえ、死因を変えることはできません」
「隠すのは?」
「隠すことはできますが」
「じゃあ、それを頼む」
「かしこまりました。あなたの妻の死体を見つからない場所へ隠しましょう」
悪魔の口角がぬるりとあがる。その胡散臭い笑顔で、願い事をする相手が悪魔であることを思い出した。
「悪魔、もしや願いに代償とかあったりするか?」
「ありますが、それはあなたの妻にいただいたのでご心配なく」
その言葉に私は胸を撫で下ろす。
その時、タイミング悪く玄関の鍵が開く音がした。娘が帰ってきたのだ。
「おい、早く妻を隠してくれ」
焦りのまま悪魔の方を見ると、穏やかに微笑んでいる。
「もういませんよ」
見ると、妻の死体は既に消えていた。
「そうか。叶えたならさっさと消えてくれ。娘が来てしまう」
「わかりました」
悪魔はニッと笑う。
「ワタクシがあなたの目の前から消えることをお望みで。3つ目の願い、いただきました」
私は思わず目を見開いていた。
(しまった!)
焦ったばかりにうっかり3つ目の願いをしてしまったではないか。いや、こんなの屁理屈だろう。悪魔に抗議をしようとしたが、もう遅かった。
「さようなら、機会があればまたいつか」
悪魔は白い煙とともに、赤黒く汚れた壺の中へと消えてしまった。
私はため息を吐き出すと、ゆっくりと押し入れの戸を閉める。怪しまれないように。
「おかえり」
平静を装い、帰ってきた娘をリビングでお出迎えする。娘は私に気づくと即、嫌悪でいっぱいの顔をして、黙って私から視線をそらした。
「早いね。学校はさぼり?」
訊ねても、娘は答えなかった。帰りが早いのは、たぶんテスト期間中なのだろう。
「ーーお父さん。お母さんは?」
代わりに答えられない質問をしてきた。
「いや、知らないなぁーーパートじゃない?」
咄嗟に嘘をついてしまった。
ひと月前、話し合いの最中に口論になり、妻に私の出身大学のランクの低さを罵られ、激しい言い争いになった。その日からずっと会話をしていなかった。
だから、私が妻の動向を知らなくても不自然ではないだろう。
実のところ、今日妻は私と娘の進学について話し合いをするためにパートを休んでいる。銀行に行きたかったらしい。私も昼で仕事を切り上げ帰ってきた。
折り合いの合わない奴らばかりの職場を逃げ出すように。
そんな私に労いもなく、妻は偉そうに自分の意見を述べまくっていた。そして、話し合いは喧嘩に発展し、殴ったことにより中断。妻は打ちどころ悪く息をしておらずーーなんて、本当のことは答えられない。
娘は不服そうにこちらを睨んでいる。
(何だ、その顔は)
父親を睨むなんて、母親の教育が悪かったんだろう。
「疲れたな。ちょっと座って休むけど、昼飯どうする?」
「いらない」
娘の冷たい返答はいつも通り。妻とのことを怪しんでいないようだ。内心ほっとして、私はリビングのソファにどかっと座る。
すると、
「ちょっと」
リビングの入り口で立ち止まったまま、娘が声を上げた。
「リモコンの上に座らないで」
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