狂気と恐気と狂喜
Omote裏misatO
狂気と恐気と狂喜
狂気と恐気と狂喜
序章:聖心療養所の異変
聖心療養所の3階、ナースステーションの空気はいつも重い。消毒液の鋭い匂いが鼻をつき、埃っぽい空気が肺にまとわりつく。白いタイルの床は磨かれているが、角には黒ずんだ汚れがこびりつき、蛍光灯の光は冷たく、時折ブーンと低い唸り声を上げる。時計の針は8時17分を指し、朝のミーティングが始まる。部屋には4人のスタッフが集まっていた。白衣の襟を整えた看護師の佐藤美奈子、44歳、髪をきつく束ね、口元に刻まれた細かい皺が彼女の疲弊を物語る。新人の田中悠斗、27歳、緊張で指先が震え、ノートにペンを走らせる手がぎこちない。医師の山本和彦、50歳、眼鏡の奥の目は赤く、カルテをめくる手がやや乱暴だ。用務員の鈴木茂、62歳、モップを握る手は節くれ立ち、窓の外をぼんやり見つめている。
「澤田美咲の昨夜の様子は?」
山本の声は低く、抑揚がない。コーヒーのマグカップから立ち上る湯気が、彼の眼鏡を曇らせる。佐藤がため息をつき、カルテの端を指で弾く。
「いつもの通り。2時頃に奇声。『そこにいる! 見てるだろ!』って叫んで、ベッドを叩いてました。幻覚ですね。リスパダール4mgでも変わりなし」
「10年だろ? 10年、こんな調子で」山本は眉を寄せ、カルテに赤ペンで何か書き込む。「家族からの連絡は?」
「なし。5年前に姉が一度来たきり。あの人は美咲を『化け物』って呼んでましたよ」佐藤の声に、かすかな嘲りが混じる。
田中が恐る恐る口を開く。「あの、澤田美咲さん、25歳ですよね? なんで……こんな長い間、ここに?」
部屋が静まる。佐藤の目が田中を射る。彼女の唇が、わずかに歪む。
「新人はいつもそれ聞くね。美咲は15歳で入院。統合失調症、妄想性障害、疑似多重人格。診断は山ほど。家族は誰も引き取りたくないし、彼女は脱走の名人だから、放っておけない。5回逃げて、5回捕まった。最後は……まあ、誰も追いかけなくなった」
「追いかけない?」田中の声が裏返る。
「そう。だって、戻ってくるんだよ、あの子。この病院が『墓場であり遊園地』なんだってさ。彼女の言葉だけどね」佐藤は笑うが、目は冷たい。
鈴木がモップを床に立て、呟く。「あの子の声、なんか変だよな。まるで、ほんとに誰かと話してるみたいで」
「やめな、鈴木さん。気味悪いこと言わないで」佐藤が睨むが、彼女の指が、カルテの端を無意識に折り曲げている。
美咲の病室は、3階の突き当たり、318号室にある。ドアは重い鉄製で、錆びた蝶番が軋む。部屋の中は、簡素で殺風景だ。ベッドのスプリングはきしみ、シーツは黄ばみ、枕には汗の染みが広がる。窓には鉄格子が嵌められ、朝の光が格子の影を床に落とす。壁には、黒いマーカーで描かれた落書きが広がる。渦巻き、歪んだ顔、意味不明な文字。「ミサキハココニイル」「トモダチガミテル」。美咲はベッドの縁に座り、膝を抱え、ブツブツと呟く。長い黒髪は絡まり合い、ワンピースの裾はほつれ、裸足の爪は伸び放題だ。彼女の目は、虚ろで、時折キラリと光る。まるで、別の世界を見ているように。
「ねえ、キミ、なんでそんなとこにいるの? 出ておいでよ」
美咲は虚空に話しかける。彼女の指が、ゆっくりと空をなぞる。見えない絵を描くように、円を描き、線を引き、止まる。
「ハハ! やめなって! くすぐったいよ!」
彼女は突然笑い出す。子供のようにはしゃぐ声が、病室の壁に反響する。隣の部屋の患者が壁を叩く。ドン、ドン。美咲は気づかない。彼女は立ち上がり、部屋の中央でクルクルと回る。ワンピースの裾がふわりと広がり、埃が舞う。
「遊園地! ねえ、もっと早く! もっと!」
彼女の笑顔が、突然凍りつく。目が鋭くなり、唇が引きつる。
「お前、黙れ。黙れって言ってるだろ!」
彼女は拳を振り上げ、空中を殴る。誰もいない。だが、彼女の目には何かが見えている。敵か、友人か、怪物か。彼女は叫び、虚空に拳を振り続ける。汗が額を流れ、髪が顔に張り付く。
「ハハ! 弱いね、キミ! もっと強く来なよ!」
彼女は笑い、床に崩れ落ちる。息を切らし、目を閉じる。静寂が戻る。だが、彼女の唇はまだ動いている。囁くような声で、何かを語り続ける。
佐藤が病室に入るのは、9時過ぎ。彼女はトレイに朝食と薬を載せ、ドアをノックする。返事はない。彼女は鍵を開け、慎重に中に入る。美咲は窓辺に立ち、鉄格子の隙間から外を見ている。朝日が彼女の顔を照らし、青白い肌に影を落とす。
「美咲、朝だよ。薬飲んで、ご飯食べて」
美咲は振り返らない。彼女の指が、窓ガラスに触れる。ガラスに、かすかな爪の跡が残る。
「佐藤さん、キミも見えるよね? あそこにいるよ。ほら、木の陰」
佐藤はため息をつき、トレイを机に置く。プラスチックの蓋がカチリと音を立てる。
「美咲、誰もいないよ。ほら、薬飲みな」
美咲が振り返る。彼女の目は、佐藤を突き刺すように見つめる。
「嘘つき。キミもグルだろ? あの声、聞こえるよね? 誰が私を監視してるの?」
佐藤は無言で薬を差し出す。美咲はそれを手に取り、じっと見つめる。小さな白い錠剤が、彼女の掌で揺れる。突然、彼女は錠剤を床に叩きつける。
「これ、毒だろ! オマエたち、みんな敵だ!」
彼女は佐藤に飛びかかろうとする。佐藤は慣れた動きで美咲の手首を押さえ、冷静に言う。
「落ち着きな、美咲。いつものことだろ。深呼吸して」
美咲は抵抗するが、やがて力が抜け、ベッドに崩れ落ちる。彼女は笑う。
「ふふっ、佐藤さん、強いね。遊園地の番人みたい」
佐藤は無言で部屋を出る。ドアを閉める音が、廊下に響く。彼女の背中を、冷や汗が伝う。
昼過ぎ、ナースステーションは静かだ。田中は美咲のカルテを読み、眉をひそめる。ページには、10年間の記録が詰まっている。幻聴、幻覚、暴力行為、脱走。診断名は増える一方だ。
「統合失調症、妄想性障害、多重人格……こんな人、ほんとにいるんですね」
「いるよ。美咲みたいなのは、稀だけどね」佐藤がコーヒーをすすりながら言う。「彼女、頭の中がカオスなんだ。何が見えてるのか、誰が話しかけてるのか、医者にもわかんない。山本先生も匙投げてる」
「でも、なんか……楽しそうじゃないですか? 遊園地って言ってるのとか」田中が呟く。
佐藤が笑う。「楽しそう? 田中君、1週間で辞めるタイプだね。新人はみんなそう言うけど、すぐ耐えられなくなる。あの子の奇声、夜中に聞くとゾッとするよ」
鈴木がモップを手に立ち上がり、窓の外を見ながら言う。「昨夜、3階の廊下で足音したんだよ。カツ、カツって。監視カメラ、誰も映ってなかったけど」
「やめな、鈴木さん。気味悪いこと言わないで」佐藤が睨む。だが、彼女の声には、かすかな震えがあった。
夜、病棟は静寂に包まれる。蛍光灯がチカチカと点滅し、廊下の空気が冷える。美咲は病室の窓辺に立ち、月を見ている。彼女の唇が動く。
「ねえ、キミたち、月、キレイだね。ほら、あそこに誰かいるよ。見える?」
彼女は笑い、指で月をなぞる。突然、彼女の表情が凍りつく。
「やめろ……見るな……見るなって!」
彼女は叫び、頭を抱えて床に蹲る。廊下で、足音が響く。カツ、カツ、カツ。ゆっくりと、近づいてくる。美咲は耳を塞ぎ、笑う。
「ハハ! キミ、遅いよ! もっと早く来なよ!」
足音が止まる。ドアの向こうで、囁くような音がする。美咲は立ち上がり、ドアに近づく。
「誰? キミ、誰?」
ドアノブがゆっくりと回る。だが、ドアは開かない。美咲は笑い、ドアを叩く。
「入ってきなよ! 遊園地、楽しいよ!」
その瞬間、蛍光灯が激しく点滅し、部屋の温度が急に下がる。美咲の息が白く見える。彼女は気づかない。彼女の世界では、寒さも、闇も、すべてが遊園地の一部だ。
翌朝、田中はナースステーションで震えている。
「佐藤さん、昨夜、美咲さんの部屋、変だったんです。ドアの外で足音がして……でも、カメラには誰も映ってなかった」
佐藤は笑う。「新人の定番だね。美咲の影響だよ。あの子、頭の中に何かいるんだ。見えない敵と戦ってる」
「でも、ほんとに何か……」
「考えすぎ。ほら、仕事しな」
だが、佐藤の目には、ほんのわずかな不安が宿っていた。彼女は気づいていた。美咲の叫び声が、最近、どこか「本物」に聞こえることを。廊下の足音が、彼女の幻覚だけではないかもしれないことを。
数日後、異変はさらに顕著になる。ナースステーションの電話が、誰もいない時間に鳴る。受話器を取ると、ノイズだけが聞こえる。カルテが、夜中に勝手に床に散らばる。鈴木は、地下のボイラー室で「誰かが笑う声」を聞いたと震える。佐藤は、3階の廊下で、誰もいないのに髪の毛が落ちていたと言う。山本は、カルテに書いたはずの記録が、翌日には消えていると不平を漏らす。
「美咲の影響だろ。あいつの狂気が、俺たちまでおかしくする」山本が吐き捨てる。
だが、田中は気づく。監視カメラの映像が、時折、ノイズで乱れる。乱れた画面に、ぼんやりと人影のようなものが映る。誰もいないはずの廊下に。
そして、ある朝、ナースステーションは空っぽだった。机にはコーヒーカップが倒れ、カルテが床に散乱している。電話の受話器が外れ、ノイズが漏れる。美咲は病室を出て、廊下を歩く。
「ねえ、佐藤さん、どこ? 山本先生、遊ぼうよ! 田中君、キミ、逃げたの?」
彼女の声が、廃墟に響く。そう、ここは廃墟だった。聖心療養所は、10年前に閉鎖されていた。スタッフも、患者も、誰もいない。美咲だけが、ここに住み続けていた。佐藤も、山本も、田中も、鈴木も、彼女の頭の中にだけ存在していた。彼女の遊園地には、敵も味方も、すべてが彼女の創造物だった。
だが、廃墟の奥で、何かが動く。廊下の隅に、埃にまみれた日本人形が転がっている。髪は乱れ、着物の赤が血のように滲む。その目は、ガラス製で、まるで美咲を見ているようだ。彼女は人形を拾い上げる。
「キミ、誰? 新しいお友達?」
人形の目が、かすかに光る。廃墟に、冷たい風が吹き込む。美咲は笑う。
「ふふっ、遊園地にようこそ!」
第2章:遊園地の戦場
廃墟と化した聖心療養所の廊下は、夜の闇に沈む。割れた窓から吹き込む風が、カーテンの残骸を揺らし、埃が舞う。蛍光灯は死に、月明かりだけがタイルのひび割れを照らす。空気は冷たく、湿り気を帯び、どこかで水滴が落ちる音が響く。ポタ、ポタ。廃墟の奥、318号室のドアが半開きになり、錆びた蝶番がキィと鳴る。部屋の中では、澤田美咲が床に座り、膝に抱えた日本人形を撫でている。人形の名は「ミカちゃん」。乱れた黒髪、血のように滲む赤い着物、ガラス製の目が月光を反射し、まるで生きているように光る。
「ねえ、ミカちゃん、キミ、ほんと可愛いね! ほら、笑って!」
美咲は人形の頬に自分の頬を寄せ、クスクスと笑う。彼女の目は虚ろで、焦点が定まらない。長い黒髪が顔に張り付き、薄汚れたワンピースの裾が埃にまみれる。彼女は人形を膝に置き、指でその髪を梳く。
「ふふっ、遊園地のプリンセスだね! ねえ、キミ、どんなゲームが好き? 鬼ごっこ? それとも、かくれんぼ?」
彼女の声が、廃墟に響く。突然、彼女の表情が凍りつく。目が鋭くなり、唇が引きつる。
「お前、黙れよ! ミカちゃんを怖がらせないで!」
彼女は虚空に向かって叫び、拳を振り上げる。誰もいない。だが、彼女の目には何かが見えている。彼女は立ち上がり、部屋の中央でクルクルと回る。
「ハハ! キミ、遅いよ! もっと早く来なよ! 遊園地、楽しいよ!」
▶悪霊の視点
廃墟の空気が、重くなる。廊下の奥から、黒い霧が這うように広がる。霧の中から、形が現れる。白いガウンを着た女の霊、首にロープの痕がある男の霊、目から血を流す子供の霊。彼らの目は空洞で、口元が歪む。ミカちゃんの呪いが、廃墟に眠る地縛霊を呼び覚ました。彼らは美咲を取り囲む。女の霊が手を伸ばし、美咲の首を絞めようとする。彼女の指は骨のように細く、爪は黒く尖っている。
「死ね……この女、狂いすぎている……呪いの器にふさわしい……」
女の霊の声は、風のように低く、怨念に満ちている。男の霊が床を這い、美咲の足首を掴もうとする。子供の霊は、血の涙を流しながら笑う。
「壊してやる……この女の心を、粉々に……」
廃墟の壁が軋み、床が震える。ミカちゃんの目が赤く光り、霊たちの力を増幅する。温度が急に下がり、美咲の息が白く見える。霊たちは一斉に襲いかかる。女の霊の爪が美咲の肩をかすめ、血が滲む。男の霊の手が彼女の足を掴み、引きずろうとする。子供の霊が、彼女の耳元で囁く。
「死ね、死ね、死ね……」
▶美咲の視点
美咲は笑う。彼女の目には、霊たちは見えない。代わりに、彼女の前にいるのは、ふわふわの黄色いクマだ。くまのプーさんだ。プーさんは赤いシャツを着て、にこにこ笑っている。
「プーさん! やっと来た! ねえ、鬼ごっこしようよ! キミが鬼ね!」
美咲は部屋を跳ね回り、プーさんを追いかける。彼女は床を蹴り、壁にぶつかりながら笑う。
「ハハ! プーさん、遅いよ! もっと早く走って!」
彼女の肩から血が流れ、ワンピースが赤く染まる。だが、彼女は気づかない。彼女の目には、プーさんがハニーポットを持って逃げている姿が見える。彼女は手を伸ばし、虚空を掴む。
「つかまえた! プーさん、キミの負け!」
その瞬間、彼女の手が女の霊の顔を貫く。霊は悲鳴を上げ、霧となって消える。美咲は笑う。
「ふふっ、プーさん、弱いね! もう一回!」
彼女は床に転がり、男の霊の腕を蹴り飛ばす。霊の手が砕け、黒い霧が散る。美咲は立ち上がり、子供の霊に向かって叫ぶ。
「キミも遊ぶ? ほら、かくれんぼ! 隠れて隠れて!」
子供の霊が、恐怖に顔を歪めながら後ずさる。美咲の笑顔は、まるで悪魔のようだ。彼女の狂気が、霊たちの力を吸い取る。
▶悪霊の視点
霊たちは混乱する。女の霊が消え、男の霊の手が砕けた。美咲の動きは予測不可能だ。彼女は霊たちの攻撃を避け、まるで遊びのように反撃する。ミカちゃんが床で首を傾げ、赤い光を放つ。
「この女……何だ? なぜ、恐れない? なぜ、壊れない?」
子供の霊が叫び、血の涙を流しながら美咲に飛びかかる。だが、美咲の拳が霊の胸を貫く。霊は断末魔の叫びを上げ、霧となって消える。廃墟の空気がさらに重くなり、壁から血が滲む。ミカちゃんの呪いが、さらなる霊を呼び寄せる。廊下の奥から、巨大な影が現れる。かつてこの病院の院長だった男の霊だ。白衣をまとい、顔は半分腐り、目が黒く落ちくぼんでいる。彼は低く唸る。
「この女……私の廃墟を汚すな……支配してやる……」
院長の霊が手を広げ、黒い霧が美咲を包む。彼女の心に、直接語りかける。
「死ね。お前はここで死ぬ。永遠に、私のものだ」
▶美咲の視点
美咲は笑う。彼女の目には、院長の霊は巨大なピエロだ。赤い鼻、派手な衣装、口から風船が飛び出している。
「ピエロさん! キミ、すっごく大きいね! ねえ、風船くれる?」
彼女はピエロに飛びつき、虚空を殴る。彼女の拳が、院長の霊の胸に突き刺さる。霊は唸り、霧が揺れる。美咲は笑いながら、ピエロの足にしがみつく。
「ハハ! ピエロさん、動かないで! くすぐっちゃうよ!」
彼女の指が、霊の足を掴む。霊の体が震え、黒い霧が薄れる。美咲の狂気が、霊の存在を侵食する。彼女はミカちゃんを手に取り、振り回す。
「ミカちゃん、ピエロさん、弱いね! もっと強いお友達呼んでよ!」
ミカちゃんの目が、赤く光る。廃墟の壁が崩れ、床が割れる。霊たちは悲鳴を上げ、霧となって散っていく。だが、院長の霊はまだ立ち続ける。彼は美咲に近づき、黒い手を伸ばす。
▶両サイドの交錯
美咲の笑い声と、霊たちの悲鳴が交錯する。廃墟の空気が歪み、時間がねじれる。美咲はピエロと鬼ごっこを続け、霊たちは彼女を殺そうと襲いかかる。彼女の肩の傷は深くなり、血が床に滴る。だが、彼女は笑う。
「プーさん、ピエロさん、ミカちゃん、みんなでパーティーだよ! 遊園地、最高!」
院長の霊が、最後の力を振り絞り、美咲の心に侵入する。彼女の頭の中に、声が響く。
「お前は私のものだ。永遠に、この廃墟で苦しめ」
美咲の目が、一瞬、曇る。彼女の多重人格が切り替わる。別の声が、彼女の口から漏れる。
「黙れ。お前、誰だよ? 私の遊園地、邪魔すんな」
彼女はミカちゃんを床に叩きつけ、人形の頭が砕ける。赤い光が消え、霊たちの力が弱まる。院長の霊が、怒りの咆哮を上げる。
「この女……狂いすぎている……!」
美咲は笑う。彼女の拳が、院長の霊の顔を貫く。霊は霧となり、廃墟に吸い込まれる。
▶章の終わり
廃墟は静寂に包まれる。美咲は床に座り、砕けたミカちゃんを手に持つ。彼女の肩から血が流れ、ワンピースは赤く染まる。だが、彼女は笑う。
「ふふっ、プーさん、ピエロさん、楽しかったよ! 次は誰と遊ぶ?」
彼女は立ち上がり、廊下を歩く。廃墟の奥で、かすかな足音が響く。カツ、カツ。美咲は気づかない。彼女の遊園地は、まだ終わらない。
第3章:遊園地の王様
廃墟の空気は、まるで生き物のように脈打つ。聖心療養所の廊下は、ひび割れたタイルが剥がれ、壁から赤黒い液体が滲む。窓ガラスは割れ、月明かりが砕けたガラスの破片に反射し、床に不規則な光を投げる。どこかで、鉄パイプが床に落ちる音が響く。カン、カン。廃墟の奥から、黒い霧が這うように広がる。霧は形を成し、巨大な影が現れる。かつての院長、地縛霊の王だ。白衣は半分腐り、顔の左半分は骨が露出、右目は黒く落ちくぼんでいる。彼の口から、濁った息が漏れる。
「この女……私の廃墟を汚した……私のものになるべきだ……」
院長の霊が手を広げ、黒い霧が廃墟を包む。壁が震え、床が割れ、天井から埃とコンクリートの破片が落ちる。霧の中から、他の霊たちが再び現れる。白いガウンの女、首にロープの痕がある男、血の涙を流す子供。彼らの目は空洞で、怨念が渦巻く。ミカちゃんの破片が、床でかすかに光る。呪いの核はまだ生きている。
▶悪霊の視点
院長の霊は、美咲の心に直接語りかける。声は低く、金属を擦るような不快な響きだ。
「澤田美咲……お前の狂気は、私のものだ。この廃墟は私の王国。お前は永遠にここで苦しむ……」
霧が美咲を包み、彼女の肩の傷から血が滴る。女の霊が爪を立て、彼女の腕を切り裂く。男の霊が床を這い、彼女の足を掴む。子供の霊が、血の涙を流しながら笑い、彼女の耳元で囁く。
「壊れろ、壊れろ、壊れろ……」
廃墟が震え、壁が崩れる。院長の霊が手を振り下ろすと、黒い霧が刃のように美咲を襲う。彼女のワンピースが裂け、血が床に飛び散る。だが、彼女は動かない。彼女の目は、虚ろで、まるで別の世界を見ている。院長の霊が唸る。
「なぜだ……なぜ、恐れない? なぜ、壊れない?」
霊たちの攻撃が激化する。女の霊が美咲の首を絞め、男の霊が彼女の足を引きずる。子供の霊が、彼女の心に侵入し、恐怖を植え付けようとする。だが、美咲の笑い声が、廃墟を切り裂く。
▶美咲の視点
美咲は笑う。彼女の目には、院長の霊は巨大なピエロだ。赤い鼻、派手な衣装、頭には王冠が乗っている。遊園地の王様だ。彼女は床に座り、砕けたミカちゃんの破片を手に持つ。
「王様! キミ、めっちゃカッコいいね! ねえ、最終アトラクション、始めようよ!」
彼女は立ち上がり、ピエロに向かって走る。彼女の肩から血が流れ、腕に深い傷が刻まれる。だが、彼女は気づかない。彼女の目には、ピエロが風船の束を持って笑っている姿が見える。
「ハハ! 王様、風船くれる? 全部欲しいな!」
彼女はピエロに飛びつき、虚空を殴る。彼女の拳が、院長の霊の胸を貫く。霊は唸り、黒い霧が揺れる。美咲は笑いながら、ピエロの足にしがみつく。
「王様、動かないで! くすぐっちゃうよ!」
彼女の指が、霊の足を掴む。霊の体が震え、霧が薄れる。彼女の多重人格が切り替わる。別の声が、彼女の口から漏れる。
「黙れよ、王様! 私の遊園地、邪魔すんな!」
彼女はミカちゃんの破片を振り回し、霊たちに投げつける。破片が女の霊の顔に当たり、霊は悲鳴を上げて消える。男の霊が後ずさり、子供の霊が恐怖に顔を歪める。美咲は笑う。
「ふふっ、みんな弱いね! 王様、もっと強いお友達呼んでよ!」
▶悪霊の視点
院長の霊は混乱する。美咲の狂気は、霊たちの力を吸い取る。彼女の拳は、霊の体を貫き、霧を散らす。彼女の笑い声は、廃墟の空気を歪める。女の霊が消え、男の霊が砕け、子供の霊が逃げる。院長の霊は、最後の力を振り絞り、美咲の心に侵入する。
「お前は私のものだ。永遠に、この廃墟で苦しめ!」
美咲の目が、一瞬、曇る。彼女の頭の中に、声が響く。廃墟の記憶が、彼女の心に流れ込む。患者の叫び声、電撃療法の火花、閉鎖された病室の闇。院長の霊が、彼女のトラウマを掘り起こす。
「お前はここで壊された。家族に捨てられ、医者に裏切られ、すべてを失った。お前は私のものだ!」
美咲の体が震える。彼女の笑顔が、初めて消える。
▶美咲の視点
美咲は、ピエロの王様が突然怖い顔になるのを見る。風船が割れ、赤い血が飛び散る。遊園地の音楽が、歪んだ叫び声に変わる。彼女は耳を塞ぎ、叫ぶ。
「やめなよ、王様! 楽しく遊ぼうよ!」
彼女の頭の中で、別の声が響く。低く、冷たい声。
「美咲、逃げろ。あいつ、ヤバいよ」
もう一つの声が、叫ぶ。
「逃げるな! ぶっ潰せ! 王様なんて、私の遊園地にいらない!」
彼女の多重人格が暴走する。彼女の目は、キラキラと光る。彼女は笑う。
「ハハ! 王様、キミ、負けるよ! 私の遊園地、最高だから!」
彼女はピエロに飛びかかり、拳を振り上げる。廃墟が震え、壁が崩れる。彼女の拳が、院長の霊の顔を貫く。霊は咆哮を上げ、黒い霧が爆発する。美咲の笑い声が、廃墟を満たす。
「王様、バイバイ! また遊ぼうね!」
▶両サイドの交錯
廃墟が、美咲の精神世界と同期する。壁が溶け、床が波打ち、天井が星空に変わる。彼女の遊園地は、カオスそのものだ。霊たちの悲鳴が、彼女の笑い声に飲み込まれる。院長の霊が、最後の抵抗を試みる。彼の黒い霧が、彼女の心を包む。
「お前は逃げられない。この廃墟は、私の王国だ!」
美咲は笑う。彼女の多重人格が、一つになる。彼女の声が、廃墟を震わせる。
「ここは私の遊園地! 王様なんて、いらない!」
彼女はミカちゃんの最後の破片を握り潰し、呪いの核を破壊する。院長の霊が、断末魔の叫びを上げ、霧となって消える。廃墟が静寂に包まれる。
▶章の終わり
美咲は床に座り、血と埃にまみれる。彼女のワンピースはボロボロ、肩と腕の傷から血が滴る。だが、彼女は笑う。
「ふふっ、王様、弱かったね! 次はもっと強いお友達、呼んでよね!」
彼女は立ち上がり、廊下を歩く。廃墟の奥で、かすかな足音が響く。カツ、カツ。美咲は気づかない。彼女の遊園地は、まだ終わらない。どこからか、食べ物の匂いが漂ってくる。彼女は鼻をひくつかせ、笑う。
「ピザパーティーだ! ねえ、みんな、食べる?」
第4章:永遠の遊園地
聖心療養所の廃墟は、静寂に沈む。崩れた壁から埃が舞い、ひび割れたタイルが月光に濡れる。空気は重く、湿り気を帯び、どこかで水滴が落ちる音が響く。ポタ、ポタ。ミカちゃんの破片は床に散らばり、ガラス製の目が砕けたまま光を反射する。美咲は廊下の中央に立ち、血に染まったワンピースをまとう。肩と腕の傷から血が滴り、裸足の爪は汚れで黒い。だが、彼女は笑う。
「ふふっ、王様、楽しかったよ! 次は誰が来る? もっと強いお友達、呼んでよね!」
彼女の声が、廃墟に反響する。突然、彼女は鼻をひくつかせる。どこからか、ピザの匂いが漂ってくる。彼女は笑いながら、廊下の隅に置かれた紙袋を見つける。ウーバーイーツのロゴが、月光に薄く浮かぶ。
「ピザパーティーだ! ねえ、みんな、食べる?」
彼女は虚空に呼びかけ、ピザをむさぼる。トマトソースが唇に付き、彼女はそれを舐めながら笑う。
▶ウーバーイーツの視点
廃墟の外、暗い駐車場に原付バイクが停まる。配達員の女、澤田彩花、30歳。美咲の姉だ。彼女はヘルメットを外し、廃墟を見上げる。彼女の目は、疲れと恐怖で曇っている。10年前、彼女は美咲をこの廃墟に置き去りにした。家族は美咲を「怪物」と呼び、誰も引き取りたがらなかった。彩花だけが、彼女を監視し続けた。なぜなら、美咲の狂気が、廃墟に潜む「何か」を封じているからだ。
彩花はスマホを取り出し、アプリにメモを残す。「7月18日、22:30、配達完了。反応なし」。彼女は廃墟の窓を見上げる。3階の窓で、美咲の影が揺れる。彼女の笑い声が、かすかに聞こえる。彩花の背筋が寒くなる。
「美咲……お前、何なんだよ……」
彼女は知っている。美咲がこの廃墟にいる限り、「それ」は外に出られない。だが、彼女の狂気が強くなるほど、廃墟は危険になる。彩花はバイクに乗り、エンジンをかける。彼女の指が震える。廃墟の奥で、何かが動く気配がする。
▶悪霊の視点
廃墟の空気が、再び歪む。ミカちゃんの呪いは破壊されたが、廃墟に新たな霊が引き寄せられる。暗い階段から、影が這い上がる。白い包帯に覆われた女の霊、両腕がない。彼女の口から、血と唾液が滴る。彼女は美咲に近づき、低く唸る。
「この女……狂いすぎている……だが、私の怨念は尽きない……」
女の霊が手を伸ばす。いや、腕がない彼女は、口を開き、黒い舌を伸ばす。舌が美咲の首に絡みつき、締め上げる。廃墟の壁が震え、床から黒い霧が湧く。新たな霊が現れる。目がない男の霊、背中にナイフが刺さったままの子供の霊。彼らは美咲を取り囲む。
「壊せ……この女の心を、粉々に……」
霊たちの怨念が、廃墟を満たす。温度が急に下がり、美咲の息が白く見える。彼女の傷から血が流れ、床を赤く染める。だが、彼女は動かない。彼女の目は、キラキラと光る。
▶美咲の視点
美咲は笑う。彼女の目には、女の霊はピンクのウサギだ。ふわふわの耳、大きなリボン、口から綿菓子が飛び出している。
「ウサギちゃん! 新しいお友達! ねえ、綿菓子くれる?」
彼女はウサギに飛びつき、虚空を掴む。彼女の手が、女の霊の舌を握り潰す。霊は悲鳴を上げ、霧となって消える。美咲は笑いながら、目がない男の霊に話しかける。
「キミ、目隠しゲーム? ハハ! ずるいよ、ちゃんと見なきゃ!」
彼女は男の霊に飛びかかり、拳を振り上げる。霊の体が砕け、霧が散る。子供の霊が、恐怖に震えながら逃げようとする。美咲は追いかける。
「待って、待って! かくれんぼ、楽しいよ!」
彼女の足が、子供の霊を踏みつける。霊は断末魔の叫びを上げ、消える。美咲は笑う。
「ふふっ、みんな弱いね! 遊園地、最高!」
廃墟が、彼女の精神世界に飲み込まれる。壁が虹色に輝き、床がメリーゴーラウンドに変わる。天井は星空になり、遠くで遊園地の音楽が流れる。美咲はクルクルと回り、笑う。
「私の遊園地、誰にも渡さないよ!」
▶ウーバーイーツの視点
彩花は、廃墟の外でバイクを停めたまま動けない。彼女のスマホに、通知が届く。「配達完了、評価:5つ星」。だが、彼女は注文していない。彼女は廃墟を見上げる。美咲の笑い声が、夜空に響く。突然、廃墟の窓が一斉に割れ、黒い霧が溢れ出す。彩花は叫び、バイクを急発進させる。
「美咲! お前、ほんとに何なんだよ!」
彼女の背後で、廃墟が震える。美咲の狂気が、廃墟の呪いを封じ続ける。だが、新たな霊が、闇から這い出てくる。彩花は知っている。美咲がいる限り、遊園地は終わることなく、霊を引き寄せ続ける。
▶結末
美咲は廃墟の中央に立ち、笑う。彼女のワンピースは血と埃にまみれ、髪は乱れ、目は狂気で輝く。彼女は虚空に話しかける。
「ねえ、みんな、次のアトラクションは? もっと、もっと楽しくなるよね?」
廃墟の奥で、足音が響く。カツ、カツ。新しい霊が、彼女に近づく。美咲は笑う。
「ふふっ、遊園地にようこそ!」
彼女の遊園地は、永遠に続く。
▶エピローグ
夜の廃墟の外、彩花は遠くから振り返る。彼女のスマホに、新たな注文が届く。「聖心療養所、ピザ2枚」。彼女は震える手でアプリを閉じる。美咲の笑い声が、風に乗って聞こえる。廃墟の窓で、影が揺れる。それは、美咲なのか、霊なのか、それとも、もっと古い「何か」なのか。彩花はバイクを走らせ、闇に消える。
世の中にある、呪い、霊、すべての悪霊の因縁を断ち切ったのは、たった1人の精神異常者だった。だが、彼女の遊園地は、決して閉園しない。
狂気と恐気と狂喜 Omote裏misatO @lucky3005
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