第十一話 反射する鏡像
——春先の子午谷。
霧を裂いた風が、谷間を渡って冷たく吹き抜けていた。
崖上の陵烈、崖中段の荘岐たち、さらに一段下の森林地帯——
三層に分かれた地形が、逃げ場のない袋小路を形作っていた。
崖の上と下で、敵味方の視線が絡み合う。
「ようやく会えたな、青い光を宿す者よ。 だが、もう勝負は着いたぞ……?」
陵烈は崖の縁に立ち、後方に目配せした。
そこに視線をやった荘岐の表情が凍りつく。
「な……あれは……」
陵烈はその顔色の変化を見逃さなかった。
(揺らいだな……)
陵烈の背後に並ぶ兵たちが構える弩——それは荘岐が設計した二重連弩だった。
魏の間諜であった韓仁から漏れた設計をもとに、わずか数張ではあるが、陵烈がこの戦の前に複製させたのだった。
その二重連弩が、すべて崖下の荘岐の隊に照準を合わせている。
「なかなか面白い物を作るじゃないか。 楽しませてもらったぞ。 無論、お前たちの兵糧も全ていただく」
陵烈は崖下に留まる全ての魏兵に聞こえるよう声を張り上げた。
「そんな……こちらの武器を使って私たちを追い詰めていたなんて……」
芙蓉は顔を強張らせ、対峙する敵の底知れなさを痛感した。
明け方から続く執拗な矢の攻撃の中には、
彼ら自身が切り札のひとつとして用意したはずの二重連弩の矢も混じっていた。
その事実は兵士たちの士気を下げるのに十分だった。
「潔く投降しろ。 たとえお前が何を企んでいようと無駄だ。 いま降伏すれば——」
「断る……! 敵の武器を真似るしか戦術がないとは……どうやら、蜀はよっぽど人材不足のようだね」
荘岐は崖下の岩壁に向かって歩み寄っていく。
「ふっ……負け惜しみとは哀れだな。 だが才ある者は、いずれしかるべき場所へ引き寄せられる。 俺に降れば、お前のその才を孔明先生に進言してやってもいい」
「誰が降るか……!」
荘岐は陵烈に向かって歩を進める。
荘岐の後ろで、芙蓉が険しい声を上げる。
「荘岐くん戻って……! これ以上近づくのは危険すぎる……私にはあなたを守る責任がある」
荘岐は振り返らず、静かに答えた。
「ご心配ありがとうございます。……だけど、芙蓉さんの力をお借りするのはまだ先——いまは、僕が命を張るときです」
その言葉とともに、荘岐は敵の真下へさらに一歩を踏み出した。
荘岐は崖の上に声を投げた。
「君の後ろにいる男——韓仁さんに話がある」
陵烈が眉をひそめる。
「……」
韓仁は沈黙したまま一歩前に出て、ただ荘岐を見下ろしている。
「韓仁さん。 ご無事で何よりです。 しばらく姿が見えなかったので、心配していました」
荘岐の声は、戦場の喧噪にかき消されることなく届いた。
「……私はすでに蜀に降った身。 ご自身の状況をお考えください。 どうか投降を……」
「いいえ、投降などしません。 たとえ蜀についたとしても、僕はあなたを信じています。 一度、志をともにしたなら最後まで。 どんな結果になっても、僕は決して後悔しない」
「……荘岐殿……」
韓仁の瞳がわずかに揺れた。
長安を出立する前、荘岐と交わした言葉が彼の頭をよぎった。
『韓仁さんの子どもたちが安心して"自由に暮らせる世"にするため、いっしょに力を尽くしましょう』
韓仁の武器を握る手が震える。
陵烈はそれを見て舌打ちした。
(下らん……いまさら友情など確かめて何になる……)
二人の様子を伺いながらも、陵烈の視線がふと荘岐の背後へ向かった。
荘岐たちの立つ道のさらに一段下の森林地帯——その奥でわずかに動く影があった。
三台の木製のからくりが、薄い霧に半ば隠れて並んでいる。それらの姿は小型の"投石機"のように見えた。
陵烈はにやりと笑った。
(そうか、それがお前の秘策か。 だが設置場所を誤ったな……その距離と角度ではこちらに届くまい……)
陵烈は右手を上げ、兵たちに矢を構えさせる。
「降伏せぬというなら仕方ない。 力ずくで奪わせてもらうぞ」
「やれるものなら——」
⸻
森の音が消えた。
柏斗はただ、心臓の鼓動だけが谷全体に響いているように感じた。
指揮台から見上げる崖上には、敵の弩弓兵がびっしりと並んでいる。
(ほんとにあいつの言うとおりになりやがった……)
「柏斗、用意はできてるぞ。 後はお前の指示でやれる」
兵の一人が柏斗に声をかけた。
「ああ……」
柏斗は荘岐の言葉を頭の中で反芻していた。
『敵が崖の淵に寄ったら、どんな状況でも迷わず放ってほしい』
「おい、でも……あの敵前にいるのって荘岐殿じゃ……どうするんだ……?」
その兵器の傍に立つ兵が困惑の色を浮かべる。
しかし、柏斗は短く呟き、右手を上げた。
「荘岐、お前が——」
彼の声は唸る弦の轟音にかき消された。
その音の主は荘岐と柏斗が三年間の修行の中で考案、建造した兵器の一つ——『破崖機』。
その第一射がついに放たれた。
三国天性 荘岐(そうき) @sangokutensei_souki
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