【2 導かれて 後編】

 どれくらい時間が経っただろう。四人の手に包まれているうちに、美代の心は、ようやく靜けさを取り戻すことが出来た。


「今日の朝も、似たようなことがあった。夢の中で名前を呼ばれたり、誰もいないのに声が聞こえたり、部屋の中にも誰かがいるような気がして……」


 静かに語る美代の言葉を、四人は不安を悟られまいと、笑顔を崩さないように聞いていた。


「そっか。そんなことが……」


 誠治は、どこか遠くを見るような目をして、言葉を探していた。


「ねぇさっきさ、暗くてよく見えなかったんだけど、トンネルの入り口に看板みたいなものがあったの。そこに村って文字が書かれてるような気がしたの」


 不安と恐怖が入り混じった震えた声で、紗良が切り出した。


「地図にない村……なのかな。近づいたから、美代にまた異変が起こった……てことか?」


 悠馬は美代の手を強く握り直し、思考を巡らせる。


「なぁ、みんな。ここまで来ておいて言うのも気が引けるんだけどさ、もう帰らないか? 美代のこともあるし……」


 語気を強めて話す誠治の目は、これ以上は危険だと訴えかけていた。


「そうだね、そうしよう」


 紗良は目を伏せ、弱弱しくも力強く賛成の意を示す。


「俺も帰るのは賛成だ。でも、看板だけは確認しにいかないか? 少しでも今日の目的を形に残したいっていうか……」


 大輝は言葉を選びながら、気まずそうに肩をすぼめた。その言葉に目を剥いた誠治が発現するよりも早く、悠馬は制するように大きい声で言った。


「どっちの意見も、俺には分かる」


 一呼吸おいて、美代の目を見つめる。


「美代は、どうしたい?」


 先ほどとは打って変わって、包み込むような声音だった。


「私は……帰りたい。でも大輝の気持ちもよく分かるから、看板の確認だけ……しにいこう」


 美代は喉の奥につかえた言葉を、ゆっくりと押し出すように吐き出した。本当は帰りたい。それでも、心のどこかで、行かなきゃと囁く私がいる。誰のためでもない、正体の分からない使命感が、そう思わせていた。


「美代ちゃんがいいなら、私も行くよ」


 ぼそぼそっと、小さく、納得しきれていない様子で紗良は答える。


「確認する前にまた何か起きたらすぐ帰る。それでいいか?」


 鋭い視線を大輝に向けながら誠治は言う。


「あぁ」


 大輝もまた、同じように誠治を見つめ返し、頷く。


「とりあえず、トンネルの中で車を離れるわけにはいかない。一旦車をだして、止められそうな場所探すぞ」


 悠馬は静かに、車を発進させた。




 真っ暗なトンネルを抜けた先に、ちょうど車一台分が止まれそうなスペースがあった。しかし、道幅は狭く、Uターンは厳しかった。


「しかたない。歩いて戻るか」


 悠馬は車のエンジンを切って、シートベルトを外す。


「え? ちょっと待って。あのトンネル歩いて戻るの? 私絶対いやだよ?」


 紗良はシートベルトすら外そうとせず、外に出ようとしている悠馬に声をかける。


「俺も文句は言ったけど、しかたないだろ。車で戻れない以上、歩くしかないよ」


 誠治は諦めたように既に外に出た大輝の後を追い、車の外に出た。


「ねぇ美代ちゃん。やっぱりこのまま帰ろうよぉ」


 美代の肩を掴んで、紗良は訴えかける。


「ごめんね紗良。私も行ってみたいんだ。怖くないわけじゃないけど……」


 心に感じる使命感を悟られぬように、普通を装いながら、美代はドアに手をかけた。


「怖いなら、ここで待ってる?」


 振り返りながら紗良に問いかける。紗良は、首をぶんぶんと左右に振りながら、

「もう! 信じられない!」と恐怖を紛らわせるために少し大げさに言った。


「1人なんてもっと嫌! 私も行くよ!」


 気を奮い立たせるように力を込めた紗良は、ようやくシートベルトを外し、ドアを開けた。外から入った異様な冷たさの空気が、車内を包み込んだ。




「寒いね」


 美代が肩を震わせながら言葉を漏らした。悠馬はそんな彼女に、自分が羽織っていたカーディガンをかけてあげる。


「ありがと、悠馬。でもそっちは大丈夫?」


 半袖になった悠馬を心配して美代が悠馬の顔を覗き込む。


「あぁ、俺は大丈夫。このトンネルを抜けて、帰ってくるまでの辛抱だ」


 たくましい悠馬の言葉に頬を赤らめながら体を寄せた美代。そんな二人を見て、大輝は紗良に声をかける。


「紗良、俺の羽織るか? 寒いだろ。なんならくっついてきても……」


「嫌」


 大輝が全てを言い終える前に、紗良の辛辣な一言で言葉を遮る。いつもの大輝に、笑いあう五人。あんなに恐怖で満ちていた空気が、少しだけ和らいだように、美代は感じた。


 しかし、そんな柔らかい空気も、五人の前に立ちはだかる闇の入り口によって、瞬時にかき消された。風の音も、木々の隙間から漏れる微かな光も、すべて飲み込んでいる気がして、美代は足がすくんだ。


「これ……さっき通ったトンネルだよな」


 車で通った時とはまるで違う闇の深さ。誠治がそう思ってしまうのも、無理はなかった。紗良は一歩、また一歩とゆっくり後ずさっている。大輝もまた何も言えずに立ちすくんでいる。


「行こう」


 恐怖で動けない四人を鼓舞するように、一人ずつ背中を叩いてから、悠馬は美代の手を強く握り直した。自分の中の不安を抑え込むようにして、そのままトンネルへと足を踏み入れた。


 トンネルの中は、想像以上の闇に覆われ、入り口から入ってきているはずの光さえも、その痕跡を残さない。足音も反響し、五人以外に誰かいるかのようだった。しかし、誰も振り返ることなどできず、ただただ恐怖だけが募っていく。


 ぴちゃん。


「――っ」


 地面に滴る水滴の音に、声にならない悲鳴をもらす。美代は、悠馬の腕をがっしりと掴み、視線を落とした。


 真っ暗闇で先が見えない中、悠馬はスマホを取り出し、ライトで前方を照らした。しかし、そのライトはすぐに点滅を繰り返すようになり、何かを拒むように消えてしまった。


「なんで消えるのよ」


 紗良の囁くような小言は、トンネルの中で反響して、無言で全員を振り向かせた。


「だめだ、もう点かない」


 悠馬は何度もライトのボタンを繰り返し押す。しかし、結果は変わらなかった。



 ――はやく――



 突如美代の頭の中で聞こえた言葉。美代は再び頭痛に襲われ、その場に蹲ってしまった。悠馬はそんな彼女の背中をさすりながら、ゆっくりと包み込んだ。


「大丈夫。離さないよ」


 その言葉で、美代はかろうじて意識を保つことが出来た。


「大丈夫。ちょっと、足挫いちゃっただけ」


 美代は車の中でした約束を思い返す。


『何かあったらすぐ引き返す』


 ここで本当のことを言ったら看板まで辿り着けないかもしれない。そんな思考が、美代に嘘をつかせた。どうしても看板を見たい。気づかないうちに、美代の頭の中はそれでいっぱいになっていた。




「そろそろ半分くらい進んだか?」


 静寂を破ったのは誠治だった。不安の滲んだ表情は、暗闇の恐怖に打ち勝てなかったことを示していた。


「いや、出口は近いぞ」


 大輝が指をさした先には、白い光が見えた。やっとこの恐怖から解放される。五人は光に向かって一斉に走り出していた。


 トンネルを抜けると、空を覆っていた雲もはれ、夏の日差しが肌を刺す。さっきまではヘッドライトが必要なほど暗かったのが噓のように、一瞬にして明るくなっていた。


「三夜(みや)トンネル……」


 大輝が通ってきたトンネルを見つめている。隣で、美代も同じように視線を向けていた。古びたコンクリの壁面に刻まれた名前のすぐ隣、かろうじて読める文字で「東坑口」とあった。


「あっ、これ」


 紗良の声で、現実に引き戻された。視線を送ると、紗良が何かを指さしてこちらを見ていた。もう一度トンネルに視線を戻すと、美代はゆっくりと紗良の元へ向かった。


 紗良が指をさしていたものは、苔に覆われ、所々が朽ちかけた看板だった。しかし、そこに刻まれた「美夜神村(みよがみむら)」という文字は、妙にくっきりとしていて、異質感を放っていた。まるでその文字だけ時間に逆らっているかのように。


「美夜神村……」


 どこか懐かしさを覚えるその響きに、美代の心がさざめいた。


「美夜神村って、なんか美代ちゃんに似てるね。名前が」


 周囲が明るくなったことで元気を取り戻した紗良が、笑いながら美代に話しかける。


「そうだ……ね」


 笑い返そうとした美代は、ふと言葉に詰まる。そんな美代の違和感を振り払うように、誠治の声が聞こえた。


「でも、この先かぁ。この道、人が通れるのか?」


 看板の指す方向へと延びる道を見ながら呟いた。


「もう、そっちには行かないはずじゃなかった? さっさと写真でも撮って帰るよ」


 紗良が誠治の服を引っ張って、看板の近くへと引き戻した。


「大輝、こっちにこい」


 悠馬がまだトンネルを見つめる大輝を呼んだとき、美代はまた頭痛に襲われた。



 ――美代。よくここまで来ましたね。あと少しです。さぁ、こちらへ――



 頭の中に響く声は、これまでとは違い、どこか優しさを帯びていた。しかし、その優しさとは裏腹に、美代の意識は即座に支配され、看板が示す方向へと歩き出してしまった。


「おい、美代?」


 悠馬が美代の腕を掴むが、彼女はそれを力一杯に振りほどいて走り出す。


「どうしたんだよ!」


 悠馬は叫びながら、美代の背を追った。

 獣道のように細く続くその道は、彼らの足音さえ吸い込むように、静かだった。後に続く三人のうち、誰かが小さくつぶやいた。


「……帰れるのかな」


 その言葉だけが、道の奥へと消えていった。

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祈りの代 水奈瀬りの @rino07minase

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