天地の底ひのうらに吾が如く君に恋ふらむ人は実あらじ

これは恋慕の物語です。

想像してください。
もしも樹木が人に懸想したならば、それはどんな恋慕となるでしょうか?

樹木と比べたならば、人の命の時間はとても短い間でしょうから、樹木の懸想は想い人が死ぬまで続く。
いえ。死んだ後も続くことでしょう。
死が分かつことのない関係。
永劫の執着です。

追われる者には、自覚がない。
追う側には、理性がない。
本作を読む者だけが、その恋慕の理由を知ります。

近世以前の藤は棚仕立てではなく、松の木に絡ませて植栽されていたそうです。
そして松と藤波。
二つの植物の関係性は和歌によく見られる取り合わせのひとつ。

作品の題材の選定から既に作者である遠部右喬さんの深い学識が窺えます。
また、そんな謂れのある事物を美しくも恐ろしい物語として、たった1600文字で仕立てて見せた手腕は見事の一言です。

ここに紡がれたのは、幽玄な情趣に彩られた怪奇譚。
そして春の季節にふさわしい、花の香りの匂うような物語でもあるのです。

さて、そろそろみなさまも物語の文中へ藤波を愛でる散策に行きませんか?
きっと……楽しんでいただけますよ。

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