これは恋慕の物語です。
想像してください。
もしも樹木が人に懸想したならば、それはどんな恋慕となるでしょうか?
樹木と比べたならば、人の命の時間はとても短い間でしょうから、樹木の懸想は想い人が死ぬまで続く。
いえ。死んだ後も続くことでしょう。
死が分かつことのない関係。
永劫の執着です。
追われる者には、自覚がない。
追う側には、理性がない。
本作を読む者だけが、その恋慕の理由を知ります。
近世以前の藤は棚仕立てではなく、松の木に絡ませて植栽されていたそうです。
そして松と藤波。
二つの植物の関係性は和歌によく見られる取り合わせのひとつ。
作品の題材の選定から既に作者である遠部右喬さんの深い学識が窺えます。
また、そんな謂れのある事物を美しくも恐ろしい物語として、たった1600文字で仕立てて見せた手腕は見事の一言です。
ここに紡がれたのは、幽玄な情趣に彩られた怪奇譚。
そして春の季節にふさわしい、花の香りの匂うような物語でもあるのです。
さて、そろそろみなさまも物語の文中へ藤波を愛でる散策に行きませんか?
きっと……楽しんでいただけますよ。
この残酷さと隣り合わせにある、鮮烈なる美。
本作の登場人物は「男」と「女」の二人。
藤の花というのは「蔓」を伸ばすタイプの植物。そして他のものに絡みつくという性質を持っている。
この「絡みつく」という感じが、やっぱり「束縛」、「独占」という強烈なイメージを想起させてきます。
藤の花の怪異である、着流しを着た一人の男。その男による、「残酷なまでの愛」が本作では描かれて行きます。
読み終えて感じるのは、「ゾワリと来るような美しさ」でした。
藤の花の怪異は、一体どのような形で女性を愛しているか。その悠久さや手段を選ばぬ迷いのなさに、ひたすら耽美を感じることになります。
これぞ怪異ならではの「愛」。人間的な倫理や常識なんて踏み越えて、ただひたすら「所有欲」や「独占欲」、そして純粋な「想い」を突き詰める。
だからこそ美しい。人間的な「混ざりっ気」がなく、ただひたすら「欲しい」に振り切っていること。
怪異である「男」の視点。そして、人間である「女」の視点。その二つが交互に語られることにより、「理解不能な日常侵食ホラー」と、「じわじわと絡みつく耽美系ホラー」の二つを同時に味わうことができます。
泉鏡花の世界観も思わせるような耽美と妖艶の風味。とくと味わってください!