また旅の途中で

浅川瀬流

また旅の途中で

 金色の髪の毛を耳の下で二つに結んだ少女は、大きな地図を顔の前にかかげ、首を傾げた。

「うーん、どっちに行けば良いんだろう」

 まだ声色に幼さの残るその少女は、地図をくるくると回しながら歩く。右へくるくる。左へくるくる。その場に止まってゆっくり地図を見れば良いものを、少女は歩きながら見ていたため、とうとう人にぶつかってしまった。


「わぁっ」

 びっくりした少女は思わず大きな声を上げる。

 だが驚いたのも一瞬、少女はすぐに不安にられた。ぶつかったのが怖い人だったらどうしよう。文句を言われたり怒鳴られたりするかもしれない。お金を要求される可能性だってある。

 少女はぶるっと身震いをし、そうっと地図から顔をのぞかせてみた。


「おっと、大丈夫?」

 目の前に立っていたのは、少女より頭二つ分ほど背の高い青年だった。フード付きの黒いマントを羽織ったその青年は、固まったままの少女の目線まで身を低くする。どこかおびえた表情をしている少女は、視線を合わせてくれない。

 どうしたものか、と青年はフードの上から頭をいた。

「――ああ、そうか」

 何かに気づいた青年はそのままの体勢でパッとフードを取る。風が吹き、サラサラな黒髪がゆれた。

「怪我はない?」

 もう一度少女に声を掛けると、彼女は顔を上げた。


 顔が見えないのがきっと怖かったのだろう。今度はしっかりと少女と目が合う。少女は安心したように息を吐き出し、「はい、大丈夫です」と笑みを見せた。

 青年は少女が手に持っている地図をゆびさす。

「もしかして、道に迷ってる?」

 そう問いかけると、少女は恥ずかしそうに髪の毛を触った。

「そうなんです。メルドシアに行きたいんですけど、どっちに行ったらいいかわからなくて」


 地名を聞いた青年は腕を組み、頭の中に地図を思い描く。メルドシアはこの街から西の方角、およそ三十キロといったところか。

「メルドシアだったらここから列車に乗れば一時間もあればいけるよ」

「列車で一時間……それって、歩くとどのくらいですか?」

 少女は不安そうに青年を見上げた。

「歩くと半日は確実にかかるかな」

「え、ええ! そんなに遠いんですか!?」

 驚きのあまり、少女の手から地図が落ちる。「お父さんめ……」となにやらうらめしそうにつぶやく少女を横目に、青年は地面に落ちた地図を拾い上げた。

 地図を広げてざっと目を通してみるが、そもそもこの地図にはメルドシアは載っていないようだ。そりゃ迷うわけだ。


「えっと……、君は」

 名前を知らないことに今さら気づいた青年は、開いた口をすぐに閉じる。

「あ、ごめんなさい! わたしはシルフィーと言います。十四歳です」

 急に黙った青年の考えを察したのか、少女が慌てて自己紹介をして頭を下げる。するとシルフィーが背負っていたリュックから紙が五枚ほど落ちてきた。水筒やペン、財布も一緒に。

 リュックが開いていたようだ。

「ああああ、ごめんなさい!」

 シルフィーは地面に散乱したものの中から、真っ先に紙に手を伸ばす。

 青年も一緒になってその場にしゃがむ。一枚拾って見ると、どうやらそれらの紙はすべて手紙のようだった。シルフィーは手紙についた汚れをやさしく手で払い、再びリュックにしまう。青年はシルフィーに最後の一枚を手渡した。


「シルフィーは配達員なの?」

 配達員にしてはまだ若い。それに、配達員のトレードマークである赤い帽子と、ネイビーが特徴の制服は着ていないようだが、青年は思わずたずねていた。

「はい! といってもわたしはまだ見習いで、父の手伝いをしているだけなんですけど。今日のノルマはこの五つの手紙をメルドシアまで届けることなんです」

「なるほど。それでその間に道に迷ってしまったってことだね」

「おっしゃる通りです……」

 シルフィーは肩を落とした。


 青年はあごに手を添え、数秒うーんとうなると、へこんでいる少女を見下ろす。

「良かったら、メルドシアまで案内しようか? まあ案内といっても付き添いみたいな感じになるけど」

 パッと顔を上げたシルフィーは、キラキラした瞳で青年を見上げる。

「い、いいんですか!?」

「うん、俺もどうせそっち方面に行く予定だったし」

「ありがとうございます! よろしくお願いします!」

「俺はジェイク。こちらこそよろしく」


 ◇


 シルフィーは走り出す列車にぶんぶんと手を振り、その横でジェイクはあんな提案をしたことを少しだけ後悔していた。

 まさか全三十キロの道のりを歩くことになるとは、思いもしなかったのだ。

「さあ、行きましょう!」

 シルフィーはくるりとジェイクのほうを向き、右手を高く挙げた。

「そうだね。日が暮れる前に着くと良いんだけど」

 ジェイクは遠くに見える列車を眺めた。

 たまには歩くのも良いだろう。運動にもなるし、と心の中で自分に言い聞かせる。


「それにしても、なんでまた歩き?」

「お父さんが自分の足で歩けってうるさくて。今でこそ乗り物が開発されて手紙を短時間で届けられるようになったけど、昔は人から人へリレー形式で届けていたんだって、いっつも言ってるんです」

 もう聞き飽きましたよ、と言ってシルフィーはあきれたように肩をすくめた。


 昔の配達員は一時間に七から八キロの距離を完走していたと聞く。とんでもない体力だ。届け先まで十キロ以上あるときは、違う人に荷物を引き継いで届けていったそうで、引き継ぐためのスポットが色々な場所に配置されていた。


 シルフィーが今回父親から課されたノルマは手紙五枚。自分の目で街を見ながら届けることを経験しろ、ということだそうだ。

「お父さんもなかなかスパルタだね」

 ジェイクがねぎらいの言葉をかけると、シルフィーは「そうなんです!」と頬を膨らませた。そんな彼女の姿を見て、ジェイクは微笑む。目的地まで案内すると提案したのは自分だが、誰かと行動をともにしているのにここまでストレスなくいられるのは、シルフィーの明るい性格ゆえだろう。妹ができたようで少しくすぐったい。

 シルフィーにとっても、父親や親戚以外の年上の男性と会話するのが新鮮で、想像以上に楽しい道中になっていた。


「ジェイクさんはいつから旅をしてるんですか?」

「まだ旅歴二年目だよ。ある程度働いてお金を貯めてから出ようと思ってたんだ」

 ジェイクは少しだけ恥ずかしそうに頬を掻いた。

「へぇ! 色々な街の美味しいものとか名所とか巡るってことですよね! 楽しそうだなぁ」

「配達だって色んな街に行くだろうし、旅をしているようなものじゃないか?」

「い、言われてみればたしかに。そんなこと考えたこともな……」

 生まれ育った街ハルミリアから出たことがなかったシルフィーは、途中で言葉を止めた。

 いや、配達と旅は繋がっていることを、自分は意識せずとも知っていた。配達員の祖父や父の話を聞いて、訪れたことのない街を想像していたのだから。

「そっか、配達員は誰かの想いと一緒に旅をすることなんだ」

 シルフィーは晴れやかな表情で呟いた。


 途中何度か休憩をはさみながら、シルフィーたちは目的地メルドシアにたどり着く。ジェイクは結局、シルフィーのことが心配ですべての手紙を配達し終えるまで付き添ってしまった。

「ジェイクさん、本当にありがとうございました。楽しかったです」

「俺も楽しかったよ」

「ではまた、どこかで!」

 シルフィーが大きく手を振り、ジェイクに背中を向ける。ジェイクは「シルフィー」と呼び止めた。

「どうしました?」

 彼は鞄から一枚の手紙を取り出し、シルフィーに差し出す。宛名には彼の親友の名であるエルドールと、二人が出会った街ハルミリアと書かれている。

「俺の親友に届けてくれないか?」

「エルドールって……ハルミリアで有名な料理人じゃないですか!」

 シルフィーは知っている名に大きく目を見開く。


「旅での感想とか旅先で食べた料理のこととかを手紙で報告してるんだ。まあ、手紙を書いたところでエルドールは忙しいから返事なんて書けないだろうし、第一俺は特定の住居がないから届けるのも難しいんだけど」

 少しだけ寂しそうな表情を浮かべるジェイクの手を、シルフィーは両手で握った。ジェイクの手の中にある大事な手紙をつぶさないように。やさしく。

「お任せください。ちゃんと届けます」

 最高の笑顔でそう宣言するシルフィーに、ジェイクもつられて笑った。


 ◇


「よし、今日も頑張るぞ!」

 シャツの袖とズボンのすそに白いラインが入った、上下セットアップの紺色の服装。憧れだったその制服に身をつつんだシルフィーは、鏡の前でくるりと回った。金色の髪の毛は今は肩につかないくらいに切りそろえられ、頭にかぶった赤い帽子がよく目立った。

 配達用の鞄を肩に掛け、出発しようと一歩踏み出す。


「シルフィーさん! これ! これもメルドシアてですよ」

 出発する気満々だったシルフィーだったが、後輩配達員が可愛らしい声でシルフィーを呼び戻した。

「ああー! 忘れてた、ごめん」

「もう、しっかりしてくださいよ」

「じゃあ改めて、いってきます!」

「いってらっしゃい。お気を付けて」

 同僚たちに見送られ、シルフィーはハルミリア郵便局をあとにした。


 バイクにまたがり、目的地メルドシアに向かう。シルフィーはあれから十年間、一度もジェイクに会っていない。彼は今どこを旅しているのだろう。

 あのときジェイクに頼まれた手紙はきちんとエルドールに届けた。不躾ぶしつけな質問だとはわかっていたが、「お返事は書かれないんですか?」と聞くと、エルドールは「オレは字がうまく書けねぇんだ。あいつにも恥ずかしくて言ってねぇし」と言われた。

 そんなことを思い出しながら、宛名の住所に次々と向かう。


「あの、この手紙を頼んでもいいですか?」

 ふいに後ろから声を掛けられ、シルフィーは「はい!」と元気良く振り返った。久しぶりに見たその人物の姿に、シルフィーは自然と笑顔になる。

 目の前の青年は、少しだけ身をかがめた。

「久しぶり、シルフィー。元気そうだね」

「お久しぶりです、ジェイクさん」

「もう道はバッチリ?」

「はい、おかげ様で」

「それは良かった」


 シルフィーはあれから背が伸び、ジェイクと少しだけ身長差が縮んだ。彼女は鞄から一枚の手紙を取り出し、ジェイクに手渡す。

「はい、これはジェイクさん宛てです」

「俺宛て?」

 ジェイクは驚いて手紙を裏返し、差出人の名前を見て、ふっと笑った。

「エルドールから手紙をもらうなんて初めてだよ。ありがとう」

 ここで中身を見るのもどうかと思ったが、シルフィーが「ぜひ読んでみてください」と言うので、封を切る。

「『いつでも店に来い』か。あいつらしいな」

 たどたどしい文字で書かれた一言だけの手紙。親友が頑張って書いてくれたその手紙を、ジェイクは大事そうに両手でつつむ。


 シルフィーは満足げに口角をあげると、肩掛け鞄からさらに手紙を取り出した。

「はい、これもジェイクさん宛てです」

「また俺? 俺、そんなに手紙をやりとりする相手いないんだけどな」

 彼女から二枚目の手紙を受け取って、再度差出人の名前を確認すると、ジェイクは破顔した。

「まさかシルフィーからももらえるなんて思ってなかったよ」

「わたしもまさかここで会えるとは思っていませんでした」


 メルドシアはあのころよりも多くの乗り物が行きかい、人も店も増え、街並みが変わった。

 数年前に新しくできた時計塔を見上げ、シルフィーは「あ!」と声を上げる。

「わたし、そろそろ配達に戻らないと。それではジェイクさん、またどこかで!」

「うん、またどこかで」

 彼女は路肩に停めていたバイクに乗り、次の配達場所へと向かう。その後ろ姿を数秒眺めてから、先ほど彼女からもらった手紙をジェイクはそっと開けてみる。


『あなたの旅に幸福がありますように』


 ジェイクは頬を緩め、手紙を丁寧にリュックにしまうと、シルフィーとは反対方向に歩き出した。

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また旅の途中で 浅川瀬流 @seru514

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