天の子
にわ冬莉
ゼレル
「また、朝が来た」
気怠そうに口にする者がいた。
「あなたは、朝が嫌いなの?」
不思議そうに返す者がいた。
「繰り返される朝に、意味などあるまい?」
つまらなそうに呟くと、
「あなたと一緒の朝には、意味がある」
自信に満ちた瞳で、見つめられた。
その時には、わからなかった――。
*****
背まで伸びた髪は白に近い銀色。
瞳は冷たいアイスブルー。
唇だけが、まるで血を啜った直後であるかのように炎のような赤。
美しさと残酷さは紙一重であり、神と邪悪なるものは生き写しであるといわんばかりの造形。
大きく古ぼけた大樹の天辺に座り眼下を見下ろせば、ぼんやりと明かりの灯った街並みが目に映る。
薄汚く醜い生き物たちの住まうその場所を一瞥し、彼、とも彼女、とも言い難いソレは、無表情のまま呟いた。
「朽ちればいい」
高くもなく、低くもない声。
感情の機微も読み取れないその言葉に、どんな意味が込められているのかなどわからない。
ソレは、美しいものが好きだった。
見た目もさることながら、無垢なものが好きだった。
生まれたての人の子は、そういう意味で言えば無垢であり、美しいもののように見えた。
だからあの時、森の片隅に捨てられていた赤子に、手を出してしまったのだ。
それは単なる気まぐれ。
魔が差したに過ぎない愚行。
飽きたり、自分の意にそぐわないと感じればすぐに捨て置くつもりだった。
自分には関係のないものだから。
初めから、自分のものではなかったのだから。
――人の子は成長が早い。
ソレのように永遠にも近い時を生きる者にとっては、日に日に大きくなる人の子は驚きの連続であり、興味深いものであった。
人には二種類ある。
男と、女だ。
どうやらその子供は男だったらしい。
成長するにつれ、体は大きくなり、逞しく育っていった。
ソレは、人の子に言葉を教え、知恵を授けた。人の子は特別な力など持ってはいなかったが、頭のいい、賢い青年になっていく。
「お前はもう、自分の世界へ帰るがよかろう」
すっかり大きくなった人の子に対し、ソレは何度か人の世界へ帰そうと試みたが、人の子は決して頷こうとしない。
「私はあなたの傍にいたい」
そう返されるたびに、不思議と心が温かくなるのを否定できなかった。
名を与えはしない。
情が移ってしまうから。
人の子は「人の子」と呼ばれていたし、ソレにも名前はなく、人の子はソレを「あなた」と呼んでいた。
「あなたはどこから来たのです? あなたのいるべき場所はどこですか? 私をそこへ連れて行ってはくれませんか?」
何度かそんなお願いもしてみたが、人の子の願いが叶うことはなかった。
人の子は捨てられるのが怖かった。
美しく、知恵のある「あなた」と離れたくはないと、ずっとこのままいたいと思っていたのだ。
自分だけが「あなた」を独占できる唯一無二の存在。
それは優越感でもあり、流れゆく時の中で共に日々を過ごすうちに抱いた恋心でもあった。
こうして、命果てるまで一緒に、と。
しかしソレは、人の子のそんな独占欲を見逃しはしなかった。
無垢であったはずの人の子は、もう、無垢ではない。
欲にまみれ、自分を見る目も変わってしまった。
これ以上一緒にいることはできないと悟る。
だから、今度こそ本当に帰すことにした。
人の子が住むべき場所へ。
言葉もわかる。知恵もある。人の子は人の住む場所へと帰って行っても問題はないはずだ。
手放そう。
そう、決めた。
「もう一緒にいることはできない」
人の子に言い聞かせ、別れを告げる。
人の子は最後まで嫌だと首を横に振っていたが、「あなた」の意志は固く、どんなに首を振ったとて聞き入れてはもらえないのだと、今度こそ本当に無理なのだと悟り、諦めるしか道はなかった。
人の子は「あなた」の元を去り、人の世界へと帰って行った――。
*****
それからしばらく経ったころ、ソレの元へ大勢の人間が足を運ぶ。
星空の下、森に松明の明かりが続く。
皆、手に道具を携え、一様に怖い顔でやってきた。
怒号が飛び交い、どうやらそれは、自分に向けられているのだとわかる。
しかし、何故?
理由はほどなく分かった。
あの日、森の片隅に捨てられていた人の子を育ててしまったことを、非難しているようだった。
あの子供は忌み子。
生きていてはいけない子供だった、と言っている。
そして、大きくなった人の子は、人の世界に戻るや否や、なぜ生きているのかを問われ「あなた」の話をしてしまった。
人間たちは人の子を殺し、人の子を育てた「あなた」も殺そうとここまでやってきたのだと口にした。
「人の子は、死んだのか?」
ソレが訪ねると、
「忌み子は始末した。次はお前の番だ!」
と人間たちが言った。
ソレの中に、どす黒い何かが渦巻き始める。
醜い。
自らが嫌う、美しくないものが広がる。
それが何かはわからない。
だが、そんな醜い自分を認めるわけにはいかなかった。
ソレは目の前にある醜い人間たちを一掃した。
風の力を使い、切り刻んで地へ還す。これほどまでに醜い欠片だとしても、森にとっては糧となろう。花は糧を餌とし、美しい花を咲かせるであろう。
薄汚く醜い生き物たちの住まうその場所を一瞥し、彼、とも彼女、とも言い難いソレは、無表情のまま呟いた。
「朽ちればいい」
人の住む場所から、赤い炎が上がる。
ソレの唇と同じ、血を啜った直後のような、赤だ。
遠くから悲鳴のようなものが聞こえた。
逃げ惑う人間の姿も見えた。
炎は、どんどん大きくなり、空を染める。
夜の闇の中、炎は美しく地を染めていった。
そしてやがて、小さなぱちぱちという音に変わり、黒煙が完全に去りゆくころには、辺りを完全なる闇が支配する。
眼下に広がる闇。
見上げれば、空は美しい星たちの光がどこまでも広がっている。
ソレは、空を見た。
夜の境界線が薄れ始めている。
朝が来る。
いつもと同じはずの、朝が。
「また……朝が、来る……」
そしてゆっくりと、目を閉じた――。
了
天の子 にわ冬莉 @niwa-touri
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