三
こうなることが、分かっていなかったとは言わない。むしろ、佐々礼の言うように「いつも通り」なのだ、こうなるだろうとは思っていた。
「うへ……またこれか」
赤い目は消えている。一際大きな黒い影が、今回のリーダー格だったということだろうか。けれどそれもすっかり焼け焦げて、周囲に黒い跡を残しているばかりだ。
自分の体のあちらこちらを見てみても、特に何が変わったわけでもない。ただ手にしていたはずの竹箒は転がっていて、志明は溜息を吐いてそれを拾い上げた。どうにも溜息ばかり出てくるが、それも仕方のないこととしよう。
佐々礼の言う通り、志明は突っ立っていただけだ。ああまたかと、〈骸ノ影〉の赤い目を見ながら、竹箒を握りしめた――それが、何になるわけでもないと知りながら。
「我ながら、どうなってるんだか」
いつも通り。そう、いつもこれだ。いつも気付けば、終わっている。
どうにも気持ちの悪い話だが、いつだってこの瞬間の記憶が志明にはない。佐々礼が言うには「〈白焔〉が暴発しているんだろう」ということらしいが、それが真実であるかなど、当然ながら志明には分からないのだ。
気持ちが悪いなと思いながらも、そういうものだと自分自身を納得させる。そして、本来ならば太陽が沈むはずの方角へと視線を向けた。
咬積神社は、それなりに標高のある山の上にある。たしか山の標高は九九七メートルで、何で一〇〇〇に満たないのかと、そんなことを思ったものだ。もちろんその三メートルがあったところで、何か変わるわけでもないけれど。
暗いばかりの夜の中、ある一箇所だけが光り輝いている。そこにだけ、光がある。屋敷で部屋を照らしていた火のような弱いものではなく、
「〈
どうしてそこにだけ、光があるのかは分からない。
「〈オカクレサマ〉ねえ……本当のところは、どうだか」
草履で焼け焦げた影を踏みつけた。それはもう何でもなく、ざあっと吹いてきた風に攫われて消えてしまう程度のものでしかない。
光り輝く光景から視線を引き剥がすようにして、身を翻した。いつの間にか髪が解けて視界を遮り、舌打ちをして片手でまとめる。結っていた紐はどこへ行っただろうかと見れば、無残にも切れて地面に転がっていあ。
まあ良いかと、手を離す。ばらりと落ちてきた髪は、特に手入れをしているわけでもない。ただ癖というものとは無縁のおかげで、あまり汚らしく見えないだけだ。
門をくぐって、屋敷へと戻る。玄関で草履を脱いで揃えて置き、それから板張りの廊下を進んだ。「おとなしくしていろ」ということばの通り、先ほどの部屋で蒼は正座をして静かに座っていた。
「あのさ、聞きたいんだけど」
「何?」
「〈骸ノ影〉が出た。人間の形をした、赤い目のやつ。君、手引きした?」
「まさか!」
ばっと蒼が立ち上がった。
「そんなことはしていない! そもそも助力を請いに来て、そんなことするわけがない!」
食ってかかるかというような蒼の勢いで、志明と蒼の間にある距離はほとんどない。それでも蒼の身長は志明のそれより頭ひとつ分は小さく、大して近いとも感じなかった。
確かに蒼は〈白焔〉を貸して欲しいと言っていた。助力を請いに来たというのは、まったく嘘ではないのだろう。
「そ。別に何でも良いけど」
「何でも、良い?」
「そう。僕は別に何でも良い。どうでも良い、が、正しいかな」
蒼は釈然としないとでも言いたげな顔をしているが、これが志明の隠さない本心だ。
いつまでも近い場所に立っているのもどうかということで、「僕は座るから君も座れば」と蒼に提案した。志明が座れば、蒼も真正面に腰を下ろす。
これがまた、折り目正しく正座をしている。志明は胡坐をかいて、つい蒼のその姿を眺めてしまった。
「恨んでいるのでは、ないのか」
「愚問だね。それについてはさっきも言った通りだ」
恨んでいない、憎んでいない。そんなことは志明は口が裂けても言えない。恨んでいるし憎んでいる――ただそれは、今目の前にいる蒼を恨むとか憎むとか、そういう話とは違うだけのこと。
ただこんなものは、志明の勝手な感情だ。そしてこんなもの、いつかは消える。
「でも、僕がどう思おうと関係ないから。それだけだよ」
いつか消えるものは、誰にも関係がない。本当は志明の中身が空っぽの方が都合が良いのだろうが、どうしてだか志明は自由だ。
「僕の意思なんて、誰にも何にも関係ないし」
佐々礼は志明に「お前は自由にしておけ」などと言った。佐々礼の真意など志明に分かるはずもないが、佐々礼は何を考えているのだろうか。
そこまで考えてから、佐々礼のことばを思い出す。佐々礼は蒼のことを、「暫し見ておけ」と志明に言った。ということはつまり何らかの理由をつけて、蒼をこの屋敷に置いておかなければならない。
「ああ、そうそう。兄さんから許可が出たから、君しばらく陽新の屋敷にいて良いよ」
「は?」
「〈白焔〉はないけど、何か貸せるものあるかもしれないし」
「はあ、まあ……それなら」
「部屋はいくらでも余ってるし。適当に、使える部屋を貸しておくよ。埃っぽいかもしれないけどね、何せ掃除が行き届かないから」
陽新の屋敷は無駄に広いのだ。けれど今この屋敷には佐々礼と志明しかおらず、佐々礼は奥座敷から出られないのだから、掃除や細々したことはすべて志明の役割だ。
結果、まったく手は行き届かない。隅から隅まで掃除などできるはずもない、というより、したくもない。だから結局、見える範囲だけに留まっている。
「ところで、聞きたかったんだけど」
「何?」
「〈不眠ノ城〉って、〈根ノ国〉は関係してる?」
夜明けのない、〈永劫ノ夜〉の中。〈不眠ノ城〉だけが、煌々と輝いている。
光というものは世の中を照らすばかりではない。電気というものも、情報というものも、光の中にあった。そういうものをすべて取り上げられて、〈不眠ノ城〉以外は夜の中に沈んで静まり返る。
「……していない」
「それはそうか。あの場所には、光があるし」
眩しすぎる光の中、〈不眠ノ城〉は存在している。あの場所に何があるのか、志明は足を踏み入れたことがなく、分かるはずもなかった。
「君らは光は、そんな好きじゃないもんね」
本来〈根ノ国〉は、影だ。此岸がなければ彼岸はない。光がなければ影はない。ある意味では表裏一体のようにして、彼らは存在している。
「強すぎる光は、苦手だ」
「それは同感」
蒼の意見に肩を竦めて、同意をした。
「〈光〉って、気を狂わせるよね」
「それは、どういう」
「どうって、別にそのままの意味だけど」
光というのは何も、字面通りのものばかりではない。人々を照らす光、導く光、そういうものになるのは、様々ある。
「〈善〉とか〈正義〉とか。そういうものを全うしようなんて、気狂いの所業だよ」
それはまるで、良いことばのように聞こえる。これは〈善〉である、これは〈正義〉である、そう信じるのならばそれは好きにすれば良いことだ。
「なんて、〈根ノ国〉の関係者である君には関係ないよね。これは
「あの、誤解があるようなんだが」
「誤解?」
蒼が立ち上がり、志明に近付いてきた。そして何をするのかと思えば、志明の片手を取って自分の首に押し付ける。
ぐっと押し付ければ、確かにそこに動いているものがある。しかし首は、力を込めれば折れそうな白い首は、いただけない。
「自分は、死者では、ないので」
「馬鹿、放せ!」
首という部位がどういう場所なのか、そういう考えの下で志明は慌てて蒼の手を振り払う。蒼はそんな志明の様子を、きょとんとした顔で見ていた。
「何させるんだ、君は」
「何……とは。生きていることを、証明しようと思っただけで」
確かに首に手を当てさせるのは、心臓が動いている証明をするのに最適だろう。だがしかしそれ以前に、大いに問題がある。ただ本当に、蒼は表情からして何も分かっていないらしい。
本気で、彼女は、証明のためだけにそれをしたのだ。志明がどう思うかなど、考えることもしないまま。
「あー。ああ、そうか。ああ、うん」
どう言えばいいのかことばに迷い、結局選んだことばは蒼に伝わるのか伝わらないのか、どうにも分からないものになった。
「君それ、他人にしない方が良いと思うよ」
「何故?」
案の定、蒼は何も分かっていない。
彼女が〈根ノ国〉の関係者である――というより、〈根ノ国〉の住人であるのなら、分からなくもないのだ。あの地に、生身の人間はいない。それはそれで、ではなぜ蒼は生きているのかという疑問はあるが、あの地はともかく影の地だ。
つまるところ、彼女にとって生きているとか死んでいるとか、そういうものは意味を成すものではない、多分。だからこそ分かっていないのだろうと志明は様々なものを飲み込んで、一から教えるつもりでことばを選んで口を開いた。
「何故って、君、首だろう」
「そうだが」
何度か赤い目がまばたきをして、志明を見て、そして蒼は首を傾げた。
「首など命の危険がある場所を――」
「だってお前、女だろう?」
「は?」
つまり何か。蒼は志明を女だと思っていたから、こんなことをしたのか。どうしてそんな判断になったか分からず、志明の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされる。
そもそも男だろうが女だろうが、首が急所であることに変わりはない。蒼の中で「女ならば触れさせても良い」がどのように発生したかは分からない。
そして、それ以前に。
「いや、待て。僕が、女?」
どこをどう見て、そう判断したのか。それは何か、〈根ノ国〉では此岸とは男女の見分けが違っていて、だから蒼は志明を女と勘違いしたのか。
「君、それ何を見て判断した?」
「え」
たとえば、〈根ノ国〉の男はみんな筋骨隆々であるとか、と考えて、若干吐き気を催した。それは非常に暑苦しい。
「髪が長い」
「ああうん、そうだね。事情があるからね」
確かに志明の髪は、腰まである。特に今は結っていたのが解けてしまっていて、畳の上に広がっているような状態だ。
「顔が女性」
「失礼な」
「美人だと思うぞ?」
「ああそうかい、それはどうも」
溜息しか、出なかった。
確かに志明の顔は、男らしいとは言えないだろう。佐々礼にも言われたことはあるが、鏡を見ても確かに、そこにあるのは「かっこいい」とかそういう賞賛とは無縁の顔だ。佐々礼など嘲るかのように「お前は父に似て美人になったなあ」などと言う。
ああ、つまり遺伝か。陽新の男の、やけに強すぎる遺伝子のせいか。
「あのさ、言っておくけど。君の男女の判別おかしいぞ」
「間違えたことはないんだが」
今、まさに、間違えている。
「……僕は男だ」
「は?」
蒼の顔が、「そんなはずはない」と語っていた。そう語られても、事実志明は男なのである。生まれてから十八年、ずっと、正真正銘。
「何の冗談だ?」
「冗談なわけがあるか。生まれてから一度も女だったことはないというか……ああもう、とにかく君の認識は間違っている!」
「そう言われても」
「そう言っているんだ」
「なら、証拠を見せてくれ」
「いや待て、何でそうなるんだ」
「見せられないのか?」
「どうやって見せろと言うんだよ!」
これを見てください、自分は男です。それを証明する方法がないとは言えないが、そんなことを蒼の目の前でしたら志明はただの変質者だ。
「脱いでくれ」
「は?」
「だから、脱いでくれ。そうしたら分かる」
「馬鹿なのか君は!」
そして蒼が提示した方法はまさに、その変質者になる方法だった。
脱いでどうしろと言うのだ。どこの、何を、見せろと言うのだ。そんなことは絶対にしたくない、相手が男であっても志明はしたくはない。
「〈根ノ国〉の教育はどうなってるんだ……」
「お前が分かりにくいのがいけないのではないか?」
「言うに事を欠いて……!」
落ち着けと、深呼吸を繰り返す。
蒼に他意はないのだ。彼女にとっては今までしてきた通りの判断で、志明を女と間違えた。そして未だにそれは疑われているようだが、もうどうしようもない。なぜなら、志明は変質者にはなりたくない。
「ともかく、君が生きた人間なことは分かった! それでだな、話を戻す!」
「何をそんなに怒っているんだ」
「呆れてるんだよ僕は!」
すっかり何の話をしようとしたのか、忘れてしまった。そうだ、〈不眠ノ城〉の話をしようと思っていたのだ。あの場所にいるという、〈オカクレサマ〉とかいう存在の。
明けない夜を、君と咲く 千崎 翔鶴 @tsuruumedo
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