現代に蘇った耽美主義短編!

見事である。
見事な耽美主義短編小説である。

日本文學史を俯瞰して、最大の耽美主義者は、高山樗牛か三島由紀夫か、という議論はあるだろうが、矢張り、名実ともに大谷崎であろう。

然様なる絢爛豪華なる文豪たちに埋もれて、意想外に忘却されがちなのが須永朝彦先生であるが、個人的に、日本近代文學で、意識的に――つまり谷崎のように体質的にではなく――耽美主義の高楼を聳立せしめんとしたのは、矢張りこの須永氏である。

須永文學の「契」では吸血鬼が、「ぬばたまの」では人喰い女が主題だったと記憶しているが、坂本先生の本作「禁猟の園」では、瞥見するとおとなしく、『天使』が主題とされている。

が、その結末はまことに耽美にして悲劇であり、愚生としては、須永朝彦氏と匹儔しているといっても過褒ではないと存ずる。

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主人公の『吾(あ)』は、蔵書がそのままの廃墟の図書館で、羸弱なる天使(ルシフェルの叛乱にくわわった堕天使か?)である『爾(なんじ)』と邂逅する。

爾を棲家に招聘した吾は、唖者であった爾が、『書物の頁を喰らう』ことで智慧を獲得することを識る。

そこで、吾は爾にある種の書物をあたえて、瀆神におよばんとするのだが、某日、気付けば爾は書斎中の書物を喰らいつくして、『叡智』を得てしまった。

それに憤怒した吾がとった行動とは――?

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以上、筋書きだけ抽出すると、ほとんど、須永文學の梗概かと錯覚するほどの完成度の高さである。

これほどのレベルの作品が、ネット上で無料で公開されていることに、愚生は非常に感動したと同時に、『これはプロの作品として文藝誌に掲載するべきではないか』と怵惕惻隠させられた。

ただし、僭越ながら、二点だけ疑問がのこる。

本作は文語体なのだが、なぜか、仮名遣いが新仮名なのである。

ためしに、新潮文庫の方針を瀏覧いただければわかると存ずるが、新潮社では、口語の古典は新字新仮名に、文語の古典は新字正仮名にする、というきまりがあるようだ。

たいした手間ではないので、文語の場合、正仮名にしたほうが字面が瑰麗になるとおもわれる。

もう一点。

単純なはなしだが、お手数をかけるものの、一般読者諸賢に幅広く瀏覧していただくために、ルビは最小限ふってくださるとありがたい。

愚生は難儀なく読めたが、古文の苦手なかたの場合、『爾』からして読めない可能性がないか。

そうなると、折角の傑作である本作も、読者によっては、誤読される蓋然性がある。

老婆心ながら、坂本先生に以上の二点のみ進言させていただきたい。

とにかく、このレベルの小説が無料で読めることは驚異である。
躬自らの文學センスに自信のある読者諸賢には、是非、この耽美の悲劇、悲劇の耽美に耽溺してもらいたい。