禁猟の園
坂本忠恆
禁猟の園
侘しき吾が幼き世を育みし
吾が天つ御使ひなる
吾は爾の堕落をただちに天の寵愛と見定め、怪しむことなく爾を抱き上げ、石の如く熱を吸ふ爾の肌に、抱擁にて絶へず体温を注ぎ与へたり。爾の口には、偶然持ち合はせし菓子の欠片や飴玉を含ませてやりぬ。されど爾は、なほも地上のものとなるを拒むが如く、口に含みし吾が施しを幾度となく吐き散らし、吾が手をその穢れなき体液にて濡らしたるなり。かくて吾は、ただ爾を抱擁してやることのほかなかりき。爾が持てる羽の柔きの下なる骨格の堅きは今にも手に蘇る心地す。あの折れし葦の如く垂るる脱力が、骨の堅さを通して手に直に伝はるあの感触は、吾が腕の中なるものの、いと儚く脆きことを如実に告げたるものなりき。
それから数日の間通ひし吾が献身の甲斐あり、爾の顔色はさながら爾の故郷の天光の名残を偲ばせるほどに恢復したり。斯様にして、爾は吾が情愛を糧として復活せしと言はむも、まことに他に言ひよふもなき奇跡の片鱗を吾の前に示したるなり。
はじめ、爾は殆ど人の言葉を解さざりき。爾はただ呻くよふに、あるひは愛玩の獣類の如き艶めかしき
それより吾は、なるべく保存良好なる書物を選びて、爾に授けてやりぬ。爾はみるみるうちにそれらの書を食らひ、操る言の葉もその度毎に増さりき。初等の書を幾冊か呑み込みし後、爾は漸く稚子並みの知恵を身に宿したり。爾は見目には十四五の麗しき乙女か、はた器量すぐれたる少年の形をしてゐたれば、このほどあひは爾に哀切ともつかぬ、いささか妖しき趣を添へたるものなりき。
爾は真白き
果ては、吾が心は極めて
それよりのことは、ただ茫漠として思ひ出づる許りなり。吾に叶ふる贖ひは唯忘却のみとて、天つ神の裁きを受けし如き心地せり。吾は記憶の底なる爾が裸身の上より、爾が本来纏ひし衣に似せたる白き装ひを重ね描きて、その神々しきを守らむとする虚しき足掻きをなしをり。肉の悦びは、爾が清らかなる魂に捧げられしのち、もはや二度とそれの繰り返さるべくもあらで、此の時より吾は陽の力を失ひたるなり。
爾との別れは思ひもよらず訪れにけり。かの神聖を涜せし日より、後ろめたき思ひに責められ、幾日か爾の前より姿を隠したる吾なりしが、ある日の荒き吹雪の折、心落ち着かずして爾の許を訪ねたるなり。その日のライブラリの様は明らかに異なりて、窓は猛き雪風に打たれながらも、辛ふじて内は守られをりき。されど、書架といふ書架の書物は散り乱れ、否、食ひ荒らされたる有様なりき。吾は胸騒ぎに追はれつつ爾を探し求めぬ。かくて、初めて出会ひしかの書架の隙間に爾の姿を見出でたり。吾が胸の予感は悉く的中せり。その折吾を見据へたる爾が眼差しには、智慧を得し者の楽園を追はれゆく悲しみの色を湛へつつ、言葉なくして吾が罪の深さを諭したるものなりき。
吾が辱めの
禁猟の園 坂本忠恆 @TadatsuneSakamoto
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