子供たちが初めて加法、例えば1+1という式に触れる際、彼らは被加数と加数のそれぞれの自然数に、具体的な事物(リンゴやビー玉など)を対応させることで、数学の形式的本質を感得しようと試みる。
我々は、数学的概念と初めて出会う瞬間から、このようにして、数がいかにして現実世界を記述しうるのか、あるいは現実世界が形式としての数学をいかに表現しうるのかを認識する。
我々は、1+1=2という式と同様の直観的理解によって、1+2=3という式を導出することが可能である。ここで重要なのは、我々は1+1=2や1+2=3という事実を先験的に知っているわけではないという点である。例えば、我々は101+977の解を予め知ってはいないが、それが1,078であると導くことができる。
我々が一般に知性と呼ぶものが、いかにして世界と接境するかという問題は、注意深く検討されるべきだ。特に、ある議論において我々が措定する公理や推論規則が、現実世界からいかなる影響を受けているのか、それを歪曲してはいないか、あるいは歪曲されたものではないかという点については、慎重に考究しなければならない。
ある事物を指し示して、それが論理的であると主張すること(またはその逆に、それが矛盾していると主張すること)は、この自然界が語る形式に従って、我々が本来知りえないことを知りうる可能性を、暗に示している。