5センチメートル

とろり。

第1完結 5センチメートル


「こうちゃん?」

 由香ゆか弘樹ひろきに話し掛けた。

「あんなー、せめて〝ひろちゃん〟って呼べよ」

 由香は〝弘樹〟を〝こうき〟と間違えて以来ずっと弘樹をこうちゃんと呼んでいる。

「あ、ごめん。アイス奢って」

「なんでだよ!」

 返事を予想していた由香だが、アイスを食べられなくて残念そうに小さく俯いた。

 放課後の教室は差し込む夕陽の光りに染まっていた。もう少しすれば冬の夜の寒さが訪れる。

「寒いんだから、アイスなんて食うなよ」

「寒いからいいんじゃん」

「はあー?」

 納得のいかない弘樹だがこれ以上言っても無駄と判断し、ランドセルに教科書類を入れるとそそくさと帰ろうとした。

「あ、待ってよこうちゃん!」

 やれやれ、と由香の支度を待つ。橙色の光りが少し暗みを帯びて来た。家に帰る頃には真っ暗だ。弘樹はたどたどしい由香の動きに苛立ちさえ湧いてきた。

「できたよ、こうちゃん」

 どうだ! と言わんばかりの顔で弘樹に言った。

「あと一分速かったらアイス奢ったのにな」

 意地悪い言葉を由香に投げかけるも、由香には聞こえていない様子だった。由香は弘樹に「帰ろ?」と手を引いた。

 風が吹くたび、由香は黄色い帽子を両手で押さえた。少し大きめのその帽子は由香には合わないようで、顎にかかるゴムがせめてもの救いだった。

 途中、星がぽつりぽつりと輝き出すと二人は時折立ち止まってぼーっと見つめていた。

「こうちゃん? あたしこれからすっごい大切なこと言うよ」

「なんだよ」

「あの、引っ越すんだ明日」

「はあ?! なんでそんな大事なこと黙っているんだよ!」

 由香は俯いた。少し背の高い弘樹からは由香の表情はうかがい知ることができなかった。

「あたし……あたしね、親の仕事で引っ越してばかりだから、あの、友達とかできなくて。でも、こうちゃんが話しかけてくれた時はとても嬉しかった」

「……」

「それからは友達な感じになれたし、良かったって思ってる。ありがとうございます。由香は明日、引っ越します」

じゃねぇよ。俺たちはもう友達だ」

「え?」

「と・も・だ・ち! 電話すっから! だから、ちゃんと出ろよ!」

「う、うん」

「離れてても友達だ」

 弘樹は由香の瞳に浮かぶ涙を見て見ぬふりをした。弘樹自身も泣いてしまいそうだったから。

「こうちゃん?」

「なんだよ」

「あの星、綺麗だね」

 由香が夜空に浮かぶ星を指さす。弘樹が目で追っている最中、由香は少し背の高い弘樹の頬に合わせてつま先立ちで触れたか触れないか分からないようなキスをした。

「ん?」

「ごめん、許して」

 照れ笑いしながら二人とも、目線を合わすことができなかった。

「こんな遅いと親に怒られるの確定だわ」

「そ、そだね」

「アイス」

「え?」

「アイス奢るよ、ただし明日な」

「え? いいの? ありがと!」


 唇が触れる頬はきっと5センチメートルを越えた先……。



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5センチメートル とろり。 @towanosakura

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