後段
この国は
陰を陽に転じて『
陽に陽を重ねて『生命を育てる』
陽を陰に転じて『生命を刈り取る』
陰に陰を重ねて『生命を巡らせる』
四家は呪術界の帝たる
『万物を不活性化させる』という呪力特性を持つ不香家は、その力の特性を活かし、あらゆるモノを封じてきた。
小さいモノならば、ちょっとした呪いの品。大きいモノならば、大妖や国を滅亡させかねない呪詛、荒ぶる神まで。
梓が今相対しているモノは、そんな不香家が代々封じてきたモノの中でも指折りで『厄介なモノ』だ。
「まぁた腕を上げてやがる! 一体どこまで強くなるつもりなんだ、お前は!」
男は嬉しそうに笑いながらも、一切容赦なく梓を殺そうと刃を振り被る。静かに己の得物……宝刀『
梓ならばそれくらいのことはできるとすでに承知の男は、一撃一撃が骨の髄まで響く重い斬撃を絶えることなく繰り出し続ける。
「楽しいな! 実に楽しい! ここ数年のお前は、数百年の
その言葉にも、梓は一切表情を変えなかった。斬撃の嵐をその細腕で
これは、神事だ。
目の前の、この嵐のような
──その数百年を、お前は暇さえ感じることなく、
この男は、災厄の化身だ。世に解き放たれれば争いを呼び、人々を恐慌の渦に叩き落とす禍神。
数百年前の不香の当主は、この禍神を異界に封印した。
だが不香当主一子相伝の封術を施されてなお、この禍神は完全な眠りには落ちない。一年に一度、陰に陰が重なり、不香の術者の力が一番強まる日を選び、古い封印に新たな封印を重ねてより深い眠りに導くことで、この災厄をかろうじて封じ続けている。
禍神が封印された異界に入り込み、直接禍神とやり合うことで、一年の間に蓄えられた力を散らす。その上で封印をかけ直す。
その大役を担う術者は、毎年不香当主一族の血筋の中から選ばれる。
不香一族に名を連ね、そこそこに腕がありながら、死んでも特には問題ない者の中から。決して当主には選ばれないが、存在するだけで次期当主候補の地位を
梓が初めてこの任を負わされたのは十歳の時のことだった。無事に禍神を封印し、現世で目を覚ました時、周囲の人々が自分に向けた落胆の表情を、今でも覚えている。
以降五年、この神事はずっと梓に負わされ続けてきた。
己は死を願われている。全ては兄に無事に跡目を渡すため。
そのことに何かを思ったことなど、一度もない。
ただ。
──私も、お前と
唇を開くことはなく、表情を変えることもないまま、梓は胸の内だけでポツリと呟いた。
──お前と殺り合っている時だけ、私は自分の価値を感じることができる。
不香本家の血筋を示す、雪のように白い髪と冷気を
あまりにも完璧な不香すぎて。
その容姿も、実力も。あまりにも兄よりも梓の方が『不香』らしいから。
……だから無事に兄へ跡目を渡すためにも、梓はどこかで消えなければならない。
この任は、梓の死に場所として相応しいものなのだろう。不香の家の者らしく、不香の出来損ないを演じる場として最高の場所に、梓は上げられている。
だけど。
「最っ高だよ、お前はっ!!」
よりにもよって、梓に終わりをもたらすはずの存在が、そんなことを言うから。
誰もに疎まれた梓の全てを、この男だけが認め、手放しの賞賛を与えてくれるから。
「もっとだ! もっと殺り合おうぜっ!! 俺は……俺はなぁっ!!」
閃光のように、嵐のように振るわれる刃の向こうから、真っ直ぐに梓を見据えて、
「お前と殺り合えば殺り合うほど、またあの凍てつくような眠りに
だから、死ねない。
この男を失望させることだけは、したくない。
楽になることよりも、その思いの比重の方が、梓の中で勝るから。
梓はその一念でまた刃を振るう。再び梓と距離を取った男が、ニヤリとどこまでも楽しそうに笑いながら、再び梓に向かって真っ直ぐに刃を構えた。
「さぁ、殺り合おう。つまらん午睡の日々の中で、また来年のこの日まで、俺の心を躍らせるお前の剣筋を、存分に思い返せるように」
その言葉と、眼差しと、切っ先に応えるべく。
梓も再び、一切を揺らめかせることなく、己の手の中にある刃を構えた。
❖ ❖ ❖
この雪が、ずっと溶けなければいい。
お前を凍てつかせる雪が溶けさえしなければ、私がお前に再び
私の価値を、お前に教えられることもないだろうに。
お前にさえ出会わなければ、私はいつか、何も感じることなく、それこそ雪が溶けて消えるかのように死んでいけただろうに。
……この雪の下で、お前が私を夢見ながら微睡んでいると知っているから。
だから私は今日も、お前の眠りを
【了】
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