第3話 目玉焼き

 フライパンに沢山の卵を落とす。それから水をひと回し。水が蒸発する音を聞きながら、ご機嫌なロゾフに声を掛ける。


「今日は、ハルトヴィ家に行く」

「鶏小屋の設計図ができたんですか?」

「ああ」


 目玉焼きの数は、全部で十個。今日は自分の分も含めて二パック使った。中でも大きな目玉焼きをトーストの上に乗せる。

 レタス、目玉焼きが乗ったトースト。最後に溶かしたチーズを垂らしたら、平らな皿の上に乗せる。添え物はトマト、焼いたウィンナー。ロゾフの分はタコの形をしている。


「神に感謝を」

「「頂きますマルムーシュ」」


 食事の祈りを捧げると、ロゾフはさっそくトーストに齧りついた。彼女の前にはたくさんの目玉焼きがある。一方で、ドンシュはゆっくりと食べ進めた。食事は楽しいものじゃないが、少なくともうるさくなくていい。

 最初のころのロゾフはとても食べ方が汚かった。

 だが、そこは徹底的に直したので、今では見られるぐらいになった。

 ロゾフは食べるのに夢中で、ドンシュは口数が少ない。だから食事中は静か。とても優雅な時間で幸せだ。


 ──軍にいた頃は、そんなこともなかったな。

 あの頃は、周りを見ればみんなが明るく振る舞っていて、マナーこそしっかりしていたが、どこか和気藹々あいあいとしていた。別に、今を卑下するわけではないが。


「……ロゾフは、静かなのは嫌いか?」

「うーん。ドンシュと一緒にいられるなら……静かでも、うるさくても、なんでもいい」

「そうか」


 ドンシュは顔を背けると、トーストをかじった。頭の上にあるまん丸の耳は、ほんのり赤いような気もする。

 それを見たロゾフの機嫌がもっと良くなったところで、食事を終える。食器を片付け、二人は出かける準備を始めた。ドンシュの支度は早い。大体が上にコートを羽織るだけだからだ。

 一方で、ロゾフは身嗜みだしなみをちゃんと整えるタイプだった。お陰さまで出発までに時間がかかる。あんなの非効率的だと思っているが、ロゾフの好きにさせるしかないので、仕方がなく玄関で待つ。


「ドンシュ~」


 ロゾフが玄関にいたドンシュへ声を掛けるのと、ドンシュが玄関の扉を開けるのは同時だった。

 ゴオオオオと雪が吹き荒ぶ。外は視界のすべてが白くて、とてもじゃないが小屋を建てるのに向いていない。建てるにしても、雪かきから始めなきゃいけないだろう。


「二日は無理か……」

「無理難題すぎだった」

「そうだな」


 ドンシュは少しだけ反省した。それから部屋の中に戻ると、コートの下にもう一枚服を着た。

 ロゾフからマフラーを貰うと、巻き付けるだけの簡単な巻き方をする。


「よし、準備は万端だ」

「手袋はいいの?」

「……してくる」


 また仕切り直すと、猛吹雪の中を二人は手を繋いで歩いて行った。


   ❆


「それで、猛吹雪の中歩いてきたと……」


 どん引きのモッセは、雪まみれの二人を慌てて家に上げた。雪をはらい、服を着替えさせる。女性が着るような服は母のものがあるとして、子供のものはない。だからといって、二人と違って馬鹿じゃないモッセは買いに行けと言えない。

 とりあえず、モッセが幼いころに着ていた服を着させる。ぶかぶかだが、仕方がないだろう。


「ありがとうございます!」

「いーえ」


 笑顔でお礼を言ってくれる娘に、モッセは思わず笑みが零れる。にしてもあの猛吹雪の中を歩いてくるなんて、この子も大概では? なんて思っていると、ドンシュが「途中からはわたしが運んだからな」と言った。


「運んだって……」

「旦那さま、お湯の支度が整いました」

「あ、ああ」


 とりあえずは風呂に入らせる。そう考えて伝えると、ドンシュは足を組みながら娘の背を押した。別々に入るつもりなのか。娘はこちらをちらちらと振り返りながら、侍女と共に歩いて行く。


「では、仕事の話をしようじゃないか」

「その前に父の話をしないか?」

「興味ないな」


 モッセは、なんとか時間を稼ごうするが、ドンシュはつれなかった。それどころかモッセの吹雪の中で作業したくない──という考えを見ぬいたのか、大きな溜め息を漏らす始末。


「こんな吹雪の中で作業させるわけないだろう」

「……言いそうだけど」


 ぽつりと言えば、鋭い目で睨まれた。ともかく、今すぐやれと言われなかったことに安堵していると、ドンシュは紙を取り出した。

 出てきたのは少し濡れっぽい設計図。

 目を通したが、見やすくて本格的だ。思わず関心してしまう。熱心に設計図をめくるモッセに、ドンシュは宙を見つめながら言った。


「無理そうか?」

「うーん。休みの間に知識は詰め込んだけどね。ハイレベル過ぎない?」

「分かりやすく書いたつもりだが」


 彼女は、あろうことか無表情で言ってのけた。もちろんモッセは頬をひきつらせる。まあ頑張るしかないだろう──そう諦めるような息を漏らしたそのとき、ロゾフが風呂から戻ってきた。同時にドンシュが湯船に向かった。

 よっぽどここに居たくないんだろうなぁと遠い目をしていると、ロゾフが声を掛けてきた。


「あの……」

「あ、ああ。ごめんね。そこにかけてくれていいよ」


 小さくなった彼女を前に、モッセは慌てて話題を探した。


「……えと、アスタン殿とはどこで?」

「あす……」

「そこからか」


 モッセは慌てて、昔の彼女を教えた。と言ってもモッセ自体が知っているわけではないので、正確に伝えられるわけではないのだが。

 ドンシュ・アスタンと、父であるアドルフ・ハルトヴィは軍の同期だった。父が言うには軍学校時代から一緒だったそうだが、接点はなかったようだ。父は好かれていたし、逆に、編入生だったアスタンは避けられていたとか。アスタンが親しかった人物は、実質いない。


「避けられて……なぜ」

「自分と違うところがあると、人は避けたがるものだからね」


 言いながら、モッセも少し傷ついた。

 自分の目は人と違って──頭を振るとロゾフに笑顔を見せた。


「変だよな、人間って」

「はい。ドンシュはあんなにもいい人なのに……」

「まあ、そんなわけで、アスタン殿は軍にいた頃、姓を承ったんだ」


 それをなかったことにしているというのは、とても失礼なことなのだが。まあ彼女はこの国の人間ではないのだし。何より、戦争で耳を失っている。


「そういえば、アスタン殿は音が聞こえるのか?」

「一応、逆の耳で聴きとっているそうですが──基本は、読唇術と言っていましたよ」

「どくっ、そんなこと言っていいのかい?」

「あ……」


 ロゾフが顔を真っ青にしたので、モッセは笑顔で「聞かなかったことにしておくね」と言った。内心では良いことを知ったと思っているが。

 その後、風呂から戻ってきたドンシュは不機嫌そうな顔で「帰れそうですか」と聞いてきた。泊まらせることもできるが、それだと彼女が嫌がるだろう。彼女はアルムハルムの街のことがあまり好きじゃないと思う。感でしかないが。


「服は水気を取っておいた」

「感謝する」

「吹雪の方は……止んでそうだね」

「明日、吹雪いていなければ家に来い。雪かきだけはしておく」

「……頑張ってみるよ」


 ドンシュは「世話になった」と言って屋敷を出て行った。

 別れの言葉はなかった。少し寂しく思いつつつ、後ろを振り返る。そこには従者が立ってた。


「なに?」

「絆されてませんか」

「まさか。絆すのは僕の方だよ」


 そう言いながら、自分の言葉に自信が持てないモッセだった。


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2024年12月29日 15:00 毎日 15:00

雪熊のドンシュ 蛸屋 匿 @toku_44

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