第2話 ポーチドエッグ

 鶏小屋の設計を考えていると、カラカラと馬車の音が聞こえてきた。こんな辺鄙なところに……なぜ馬車が? と思いつつ、片方しかない耳をぴくりと動かす。馬車は道なりに進んでいくと、玄関の前で止まった。ロゾフが出てしまう前に、玄関側へと回る。

 ローブを被った男が扉をノックするのと同時に、家の入り口へ辿り着く。

 男はドンシュの頭上に目をやったが、すぐにこちらの顔を覗き込んでくる。ドンシュは佇まいを正すと、男に声を掛けた。


「……何用でしょうか」


 男の後ろにあるのは小さな馬車だ。紋章はなく、個人用なのが分かる。馬車を借りられるということは、ある程度金を持っている人物だろう──それだけで、かつて兵士だったころの関係者であると察しがついた。


「ここは、アスタン様のお宅でしょうか?」


 ドンシュは軍人時代にアスタンという姓を受けていた。その姓は既に捨てたはずだが、まあ街の人間が知るわけもないか。と息を吐き「そうですが、用件は」と聞いた。


「我が主がお話をしたいと」

「それは誰だ?」

「っ。申し訳ないのですが、それは伏せたままでお願いしたい」

「……話にならないな」


 ドンシュの態度に、従者と思われる男は苛立っているようだ。だが、ドンシュも捻くれているから、態度を改めるつもりはない。そもそも、名乗りもしないで何を言っているのか。ドンシュが家の中に戻ろうと思ったその時、男の背後からいそいそと歩いてくる長身の影が見えた。


「やあやあ! ドンシュ・アスタン殿!」

「あ、モッセさま!!」


 モッセと、従者の男は言った。その男は言ってから「やらかした」というような顔をしたが。ドンシュは気にせず、モッセと呼ばれた男を見る。

 男は被っていたローブを外した。

 フードの下には、目元に掛かるぐらいのまばゆい金髪があった。金の糸のようにきめ細かい髪。あれで前が見えるのか? と考えながらも、彼の正体にあたりをつける。


「……モッセ・ハルトヴィ、あのうじ上官の息子か」

「言うねえ!」

「モッセさま! おのれ、平民の癖して!」

「ハルトヴィ少佐だって、成り上がりでしょう」

「まあね。でも、戦で頑張ったにその言い草はないんじゃない?」

「……」


 故人。モッセの言った言葉に、ドンシュは多少なりとも驚いた。


「知らなかったか。確か、父とアスタン殿は同期だったはず」

「わたしは嫌われ者だったからな。逆に、ハルトヴィは好かれていた」

「接点がないと?」

「……立ち話もなんだ。家に上がっていけ」


 モッセはその言葉を望んでいたのか、をえがいた口で「よろこんで、お邪魔させてもらうよ」と言った。

 つたのアーチをくぐり、玄関に向かう。扉を開けると、扉に耳を当てていたロゾフがビターンと倒れてきた。


「……アスタン殿に子供がいるとは聞いていなかったな」

「違う。養い子だ」

「それはそれは」


 起き上がったロゾフは、ドンシュを見て首をかしげる。


「お、お客さまですか?」

「聞いていたのだろう。少し込み入った話をする。ロゾフは茶を用意してくれ」

「わわ、分かりました!」


 このとき、ロゾフはドンシュの過去を知れる気がして、ワクワクしていた。

 ただ、従者の男が見定めるような目で見てきて怖かったため、早々にキッチンへ引っ込んだ。


 ダイニングに来ると、ドンシュとモッセは向かい合って座る。従者の男も座れるように椅子を用意したのだが、やっぱり座ることはなかった。上流階級の仕来りは面倒だなと思いつつ、ロゾフが淹れてくれた茶に口付ける。


「あつい」

「猫舌なのか?」

「……さて、本題に入らせてもらおう」


 わざとらしく話を逸らした彼女。苦笑をしたモッセは経緯を話した。


「父からあなたの噂は聞いている。剣の腕では負けなしだったとか」

「……銃の前では何の役にも立たんがな」

「そんなこと!! いや、失礼」


 彼は顔をしかめたが、すぐに笑顔を取り繕った。口元だけでも意外と表情が読み取れるもんなのだな──なんて気の逸れたことを考えつつ、足を組みなおす。

 モッセはわざとらしく腕を伸ばした。


「僕には剣の腕が必要なんだ。ぜひ、剣術指南役をお願いしたい」


 もちろん、ドンシュは嫌な顔をしたとも。剣術指南なんてやりたくない。

 確かに、かつて住んでいた故郷のかたは同僚たちに人気があった。同僚たちに教えてやったこともあるし、やれないわけじゃない。だが、やる意味がない。ただでさえアスタンと呼ばれるのが嫌だというのに。


「……断ると言ったら」

「イエスと言ってもらえるまで待つかな」

「この家に置くつもりはない」

「馬車で過ごす」

「いや帰れ」


 ドンシュが睨みつけると、モッセは肩をすくめて「意外と遠いんだもん。お尻が痛いじゃん」と言った。

 あっけらかんと言われると、思わず息が漏れてしまう。


「ねえ、頼むよ。なんでもするからさ」

「頼まれたところで……なぜ、そこまでこだわる?」

「それはひみつ」


 前髪のおかげで、彼が何を考えているか分からない。相手の目が見えないという状況は嫌なのだ。信用以前の問題であり「話にならない」と、もう一度言おうとしたその時、あることを思い出した。

 ドンシュは今、鶏小屋がほしい。ついでに中へ入れる鶏も。そして目の前にいるのは、戦争でお金と地位を得た家の息子。つまり、彼に作ってもらえばいいじゃないか。


「……条件をやる。それを達成できたのなら、教えてやろう」

「うんうん、なんでも言って」

「そうか。では」


 ドンシュはモッセと従者の男を連れて庭に出た。さきほど、雪の上に引いた線は消えてしまったので、また引き直しておく。線を引くドンシュにモッセは首をかしげていたが、ドンシュが笑顔で伝えた言葉に、頬をひきつらせた。


「二日で鶏小屋と鶏を用意しろ。ちゃんとしたやつだ」

「へ?」

「それが出来なければ、わたしは指導しない」


 ──言わせてもらうと、ドンシュは性格が良くない。

 なのでこれくらいのこと、笑顔で言ってのける。従者が激高したけれど、ドンシュは気にせず踵を返した。


   ❆


 モッセと従者の男は、アルムハルムの街に戻ってきた。さんざめく街を歩きながら、モッセはドンシュ・アスタンに押し付けられた無理難題を思い出し、半笑いをする。


「鶏を用意しろって、冬だぞ? どうやって持ってくる」

「モッセさま、鶏はゲージに入れれば手に持って運べます」

「……なるほど」


 従者の言葉を聞きながら、モッセはドンシュの言っていた言葉を反芻はんすうする。


『作業は敷地の外でやってください。業者を呼んだら話はなかったことに』


 本当に、無理難題を押し付けられたものだ。たったひとり、二日で小屋を建てなければいけないなんて。しかもモッセには、建築の知識がまるきりない。力はあるが、何をどうすればいいのか分からないのだ。

 モッセが乾いた笑いをこぼすと、従者の男は苛立ったように言う。


「もう! モッセさまは腹が立たないのですか? あんなに馬鹿にされて!」

「馬鹿にというより警戒? 小屋なんて作ったことないけど出来ると思う?」


 モッセの言葉に、従者の男は困ったように頭を抱えた。


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