スプーン一すくいの僕達
秋色
a scoopful of ……
十二月の弱い陽射しを受けた社員食堂の窓際で、鈴木優斗は厚い本のページを開いた。
「なー、鈴木、昼休みの社員食堂で読書とかどうしたん?」正面に座っている藤井匠海が訊く。
「読書っつーか、勉強だよ。これはテキスト。年が明けたら、社内試験があるだろ? っつーか、藤井は受けんの?」朝、自分で作った三個のおむすびをテーブルに並べ、優斗は相変わらずテキストから目を離さない。
「あー、あれ? どうせ社内だけのやつだろ? どうでもいいし。国家資格とかなら、転職に役立つとかあるだろーけど」
定食弁当の白身魚フライを頬張りながら、匠海は軽く言う。
「何か国家試験、受ける気あるのか?」
「いや、ない。例えばの話。にしてもこの社員食堂のここの四人席はいつも自然とこのメンバーになっちゃうけど、今日は何だかなー。鈴木は試験勉強で、あべちゃんはスマホばっか見てるし……。ね、キヨさん、社内試験についてどう思います?」
匠海は、四人席で一番年長であり、他の三人の父親くらいの年齢である清永にふった。
「まあ、来年が定年の私にはもう縁の無い話ですね。一概には言えませんが、会社では試験を受ける事を推奨しています。面白くない話で場を盛り上げられなくてすみません」
「いや、別にキヨさんはいいですよ。そんな事、気にしなくて。ただそんなに社内試験にしゃかりきにならなくてもなぁって。
な、今晩、どっかに食べに行くってのはどう? 駅前の焼肉の源ちゃんで、三人からパーティーを受け付けるって。キヨさんも、どうですか?」
「今夜は、元同僚と約束しているんです。定年後の働き先の斡旋をしてもらう話で」
ステンレスボトルの水筒のお茶を飲みながら、キヨさんは穏やかに言う。
「え? もう定年後の働き先を考えてるんですね。あべちゃんは?」
「今、海外のショートドラマにハマっててさー。家に帰ってから続き見るから無理」
「もう! あべちゃん、ドラマにハマってるなんて、まるで女子だな。な、一体どんなドラマなんだ?」
匠海は、プラスチックカップのコーヒーを手の中でグルグル回しながら、隣に座る同僚のスマホを覗き込んだ、
「これは、今見始めたばっかだけど、外国人のカップルがパーティー帰りで。金髪の美女はドレスなんか着てる。カッコいい車に二人で乗ってて……」
「ほら、やっぱパーティーだよ!」
話を遮る藤井匠海は、会話泥棒だ。
*
「なんたって外国が舞台だからな。日本人にパーティーなんて似合わなくね? 今日は、アパートに帰ってからも勉強するつもりなんだ」
優斗は、自分にしつこい誘いが来る前に予防線を張った。
「だいたい社内の試験に受かったって意味なくね? どうせ少しだけ給料が上がるくらいだろ?」と匠海が唇を尖らせる。
「まずは月に三千円。次の試験で五千円かな?」
「ほら見ろ」
「三千円ったって大きいよ。積み重なると。それに……」
「それに?」
「会社の経営が傾いた時に、社員って振るいにかけられるだろ? リストラとか。その時、試験を受けてないってなると不利かもしれないし」
「何かネガティブ」
キヨさんが言葉を補うように言った。
「じゃあ言い方を変えてみたらどうですか? 社内試験に合格したら、会社の売上が厳しい時に社が残す
「キヨさんには悪いけど、そんなに今の会社に残りたいとは思えないんです。別に自分を必要としてくれるとこもあるかもしれないのに」
「藤井、そんな夢のような話ないって」優斗が釘を刺した。
拓海は半分、窓の外を見ながら優斗に返した。
「実は国家試験受ける気はないって言ったけど、転職は考えた事あるから、オレ。元々料理が好きで、そういうの考える人になりたかったし。でも大学選ぶ時、栄養士の資格取りたいって話をしたら親からいい顔されなくってさ。何か女子の選ぶ職業みたいに思ってっから。ウチの親」
「それでまだ未練があるというわけですね」とキヨさん。
「はい。だから
ドラマを見ていたあべちゃんが声を上げた。
「
「どういう展開なん?」
「SFか」
「うん、宇宙人かもな。きっと空から見てたんだよ。優秀な人類を求めて」と優斗が言う。
「それこそまさしく社内試験の意義かもしれませんね。優秀な人材を求めて上から掬うという……」
今度はキヨさんが会話泥棒になった。
*
「でも怖いよな。何か得体のしれないやつにさらわれていくんだぞ。な、あべちゃん、そのカップルはどうなった? 実況してくれ」
「すごく綺麗で清潔感ある部屋のベッドに横たわっている。豪邸っぽい」
「わ、やっぱ選んで
「だろ?」優斗は何故かしたり顔になる。「他は? カップルはどんなとこに連れて来られたんだろ」
「何か教会の塔が向こうに見える静かな町。外にはオレンジかレモンか、そういう果実の成った木が植えてある」
「牧歌的な風景ですね。良い場所に連れて来られたんでしょう」キヨさんがあべちゃんのスマホの画面を向かいの席から覗き込む。
「試験受けて昇進してた方が、いざって時、こういう
勉強中のテキストを開いたままテーブルに置いて、優斗は遠い眼をして言う。
「実はさ、オレだけの話だったら、オレも藤井のように夢を追いかけていいと思う。でも付き合ってるカノジョと来年、結婚しようって話になってるんだ。そしたら、やっぱ待遇とか関係してくるから、試験に受かっておきたいんだ。彼女の両親を安心させたいし」
「そっか……。分かったよ。オレは結婚とかはまだだけど、良い生活には憧れる。良い車とか。夢諦めて試験に挑戦するのもいいかもな。ちょいテキスト、見せてくれる?」
「ああ」
「うわ!」あべちゃんが叫んだ。
「どうした?」
「カップルはこの家から飛び出して逃げてる。何か、全部ニセモノだったみたい。家具も木も。それに……」
「そんなわけないじゃん」聞いていた三人はいっせいに会話泥棒になった。三人ともなぜか今は、見てもないドラマのその静かな町の平和を信じたい気分だった。
*
「だけど町には誰一人いないんだぜ。それに教会に行っても空っぽだし。ふつう、そういう場所って逃げて来た人を救うよな」
「人のいない町か……。それはやっぱヤバいな」
今や、四人で、あべちゃんのスマホの画面に見入っていた。画面の中では、駅に向かって必死に走るカップルが映っている。
「あ、駅があって電車が来た。良かったな。これで町から脱出できる……」
四人は安堵の溜息をついて、スマホの画面から遠ざかった。
「でもさ、ニセモノの無人の町でもオレはそこが平和なら、いいかな。本物って信じて住んでいたい気がする」とあべちゃんは呟く。「時々、ドラマの中に入りたいって思う時あるしな」
「なに、その硝子細工みたいな発言。ドラマなんか良い事ないぞ。大体オレ達ドラマならモブにしかならん」
「ま、でも偽物の町から逃げ出せてハッピーエンドか。やっぱ、さらわれるとかロクな事ないな」
「あ……」とあべちゃんが気の抜けた声を出した。「でも電車がまた元の無人の町に戻ってきた」
「嘘だろ? まさかのバッドエンド?」匠海が返す。
「いや、静かな平和な町で過ごせって事じゃないか?」優斗がドラマの中の町を擁護する。
「い、いや。何これ〜」
「どした?」
「巨大な顔が空に現れた」
「はぁ!? 化け物?」
「巨大な少女の顔。カップルを拾い上げた。あー何これ、まじかー。巨大な世界の少女のドールハウスに選ばれたカップルってオチかあ!」
「ないわー、そのオチ」四人は爆笑した。
「やっぱ
「そりゃそ。な、藤井。今夜ステーキの源ちゃんに連れて行ってくれ。パーティーしたい気分」
「おー、優斗、ステーキ食おうぜ」
「オレもなんか行きたくなった」
「あべちゃんも?」
「私も参加していいですか?」
「え、キヨさん、まさか今夜元同僚と約束してるって話は、誘いを断る口実の嘘だったとかじゃないっすよね?」拓海は苦笑い。
「いいえ。でも定年後はやっぱりしばらくゆっくり自分の時間を楽しむ事にしました」
「そうですか。自分も試験勉強にしゃかりきになって昼休みまでテキスト見るのは止めます。カノジョにも言われたし。二人の時間も大切にしようって」
「いいカノジョだな」
「な、それに外に食べに行くと、藤井もこれから料理に関わる仕事に就いた時、色々参考になるかもしれないしな」
「ステーキでか? ま、そんな事もあるかもな」
いつの間にか外は明るくなっていて、冬を感じさせない程ぽかぽかと窓から陽は注がれていた。厚いテキストのページが閉じられた。
〈Fin〉
スプーン一すくいの僕達 秋色 @autumn-hue
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