ダイエットの、先は

川崎燈

ダイエットの、先は

「うわ~……やっぱり増えてる。」


 久しぶりに乗った体重計の数字を見て、私はそんなことを呟きながらガックリと肩を落とす。


「前着てた服きつくなってたもんな~、はぁ。」


 私がなぜ久しぶりに体重計に乗ったのかという理由は、この一言がすべてになる。現実を見るのが心底嫌だったということもあり、なかなか体重計には乗れていなかったのだが……とうとう覚悟を決めて確認をしたら、これだ。

 私は今年で26を迎える普通の女サラリーマンなのだが、社会に出てからというもの自炊する暇もなく外食メイン。そんな生活をかれこれ3年以上も続けていればこうなるのは自明の理であった。とはいったものの、乙女としてこれは死活問題。早急に対策を立てなければいけない。そこで、私は友人である『ユイ』を頼ることにした。



「……というわけで、ダイエットしたいんだけどさ、いまいち何から始めればいいのかも分からなくて。」

「あ~、納得。最近、カナコちょっと気にしていたもんね。」


 家の用事を済ませた後、体重計に乗ったその日中に私はユイに通話を掛けた。因みにカナコは私の名前である。ユイは昔から美容について詳しく、ダイエットの方の知識にも精通していた。私の知り合いの中では、もっとも頼りになる友人だ。


「そうなんだよ。食事制限とか、ジムで運動とか色々あるとは思うんだけど、ネットだと色んな情報ありすぎてよく分かんないし。でもユイはそこら辺詳しいよね。」

「まあね~」

「だからダイエットについて教えてほしいなと……」

「う~~~~~ん……」


 ユイは少し通話先で考え込むような様子を見せる。そして、改めて話し始める。


「いや、カナコにピッタリそうな方法というか、カナコみたいな人向けのジムが実はあるんだよね。パーソナルジムなんだけどさ、ダイエット始めたばかりの人向けに食事計画とかのサポートもしてくれるジムなんだよ。完全個室のジムだから周りの目も気になんないし。」

「え、本当?」

「うん。私も今そこに通っているんだけどさ、凄く良いんだよ。トレーナーの人も中々男前だし。」

「……ちょっと私に紹介するか考えたのって、もしかしてそれが理由?」


 アハハハ、とお互いに笑い合う。その後もユイが推薦するジムの情報を聞くと、場所も仕事帰りに寄れそうなところだった。ユイも通っているジムでもあるし、私はそのジムへ入会することを決めた。


 後日、私はユイから聞いたジムの場所へと向かう。ジムの外見はいかにも、といった具合ではあったが、ジムにありがちなガラス張りの壁等はなく、中の様子が伺うことが出来ない建物であった。とはいえ、特段気に留めることもなく、私はジムの中へと入る。

 ジムの受付で入会希望を伝え、取り敢えず今日は体験入会という形でジムの体験をすることになった。受付から一通りにジムの説明を受けた後に、このジムのトレーナーの男を紹介される。男は私を見てニコリと笑顔を作り、


「どうも、よろしくお願いします、トレーナーのサワザキです。ユイさんから話は伺っていますよ。」


 と挨拶をしてくれる。サワザキはジムのパーソナルトレーナーをやるだけはあり、がっしりとした肉付きの大柄な男性であった。髪はスポーツ刈りで、目鼻立ちは整っておりその見た目からは爽やかな印象を受ける。私も、「よろしくお願いします」と挨拶を返し、軽く自己紹介をした。

 その後は基本的にトレーニング機器の紹介や、私についてのヒアリングがメインだった。ヒアリングについては、いろいろ質問はされたが、「カナコさんの今の状態からベストなトレーニングや食事法を指導するため」とのことで、私もそれに対して何の疑問も抱くことはなかった。ヒアリングを終えた後は、軽く体力テストを行い、体験入会を終えた。

 ただ、ヒアリングに関して、違和感は少しあった。私の食事周りについてかなり深堀をされたのだ。基本的に外食が多いことを話していたのだが、その外食の中身についてももちろん、食事の時間や量までもきっちり事細かに聞かれた。「まあ、自分の為の食事計画を作ってくれるわけだしな。」と思って聞いてはいたが、その事を訪ねてきたサワザキの表情は、どこか不気味なものを感じた。彼の爽やかさとは反対のねっとりとした、薄気味悪い笑顔を浮かべていたと記憶している。他に気になったところで行くと、ジムの奥にある部屋だ。見たところ、ドアが南京錠で施錠をされているようだった。サワザキに尋ねると、


「ああ、あれは特別メニュー用の部屋ですよ。ある程度トレーニングを積んだ人向けのものですよ。私が見込んだ人向けに特別なトレーニングをするんです。」


 と答える。その時の私は、そういうのもあるんだ、ということくらいしか考えてはいなかった。


 違和感を覚えつつも、私は体験入会を終え、本格的にダイエット用のトレーニングをこのジムで始めることになる。ジムへは基本的に週2回通い、食事計画については1週間ごとにサワザキがメールで食事の計画表を送付してくれる手筈だ。サワザキの送ってくれる食事計画表は社会人にとっても優しいもので、調理が簡単であったりコンビニで売っている物でも代替が効いたりと実践がしやすかった。週2回通うジムでの運動も、サワザキの指導があるおかげで苦ではない。


(ユイに感謝しなきゃ)


 そんなことを頭の中で呟きながら、私はダイエットに励んでいた。


 ダイエットを始めてからおおよそ3か月、成果は出ていた。体重はしっかり落ちているし、ジムでの運動の負荷も徐々に上げて取り組めるようになってきていた。加えて、健康面もすこぶる調子が良い。ダイエットが順調なことを、夕食を取りながら私はユイへと報告をした。


「ユイのおかげでダイエット上手くいってるよ~あそこ、教えてくれてありがと。」

「よかった~、やっぱいいでしょ。あのジム。」

 「本当、頭が上がらないよ。」


 そんなことをユイと話す。そして、


 「実は私今からサワザキさんと特別メニューをやるんだよね。」

 「特別メニュー?あの、南京錠の部屋の?」

 「うん、そうそう。私も詳細は知らないんだけど……サワザキさんから、受けてみないかって。あ、そろそろジム着くしまた後で感想言うね。」


 そこで彼女との通話を終える。特別メニュー……あの南京錠のかかった部屋で行われるトレーニング。いったい、どんなメニューなのだろうか。気になりながらも私は夕食を食べ終え、家事も済ませて一日を終える。


 あの後、2日ほど経ったがユイからの連絡はなかった。感想を教えてくれると話していたが、結局、メニューの内容はどうだったのだろうか。特別メニューが気になっていた私は、朝に連絡アプリでメッセージを送る。


 『そういえば、特別メニューどうだった?』


 しかし、暫くしてもそのメッセージには返信はなく、既読もつくことはなかった。「仕事で忙しいのかな?」、そんなことを私は思いながら、仕事に勤しむ。別にジムに行ったときにサワザキに内容について聞けば済む話でもあるし、そのジムも明日行く予定だ。この時は、左程深くは気にしていなかった。


 翌日、いつものように私は夕方ごろにジムへ訪れる。ユイからの連絡は相変わらずなかったが、気にせずジムの中へと入る。そして、入ったと同時に違和感を覚える。灯りが、ついていない。まだ、営業時間のはずだというのに、ジム内は暗闇に包まれており、中の様子がわからなかった。加えて、ジムの中の空気が酷く冷たく感じたる。今の季節はちょうど冬ではあったが、普段ジムには暖房がついていたし、何よりこの空気の冷たさは気温によるものではない。刃物を直接突きつけられているような、恐怖を起因として発生しているものだった。

 私がジムの入り口付近でこの異様さにたじろいでいると、突然、静寂を切り裂くようにスマホが震えた。ディスプレイには「ユイ」の名前が表示されているが、なぜかそれが偽物のように思えた。着信音はいつもの音のはずなのに、耳をつんざくほど甲高く、異様に長く響く。私は、震えながら携帯の画面を見つめる。なんで、今、このタイミングで?私は、震える右手で通話ボタンを押しその電話へと出る。


 「ああ、お疲れ様です。カナコさん。」


 その声は、ユイのものではなかった。


 そしてこの声の主を、私は知っている。


「本当はもう少し、いい身体になってからがいいんですけどね。まだちょっと、余計な脂肪があるなあ。」


 2度目に聞こえてきたその声は、今度は携帯越しからだけではなく、私の背後からも、聞こえてきた。背後の気配に気づいた瞬間、冷たい汗が背中を伝う。振り返った先、扉の向こうに立つサワザキが、まるで影の中から浮かび上がったように見えた。彼の顔は、まるで仮面のように笑っている。目だけが異様に光り、じっと私を見つめている。その目は、人間のものではなく、獲物を見つけた捕食者のそれだ。初めて会った時に見せていたさわやかな笑顔はそこにはなく、ねっとりと、薄気味悪い笑顔がそこには張り付いていた。あの時の、あの、顔だ。そして、そんなおびえる私の顔を見つめながら彼は再び語り掛けてくる。


「いやね、1人頂いたので、そろそろこのジム畳む予定だったんですよ。カナコさん以外のジムの加入している人には、もう”伝えて”いたんですけどね。」


 あの時、何度も聞かれた『食事の時間』や『栄養バランス』……今思えば、まるで獲物の状態を測るかのようだった。そんな私の思考を妨害するかのように、私にめがけてゆっくりとその鍛え上げられた腕を向けてくる。「取り敢えず足は動かせないようにしときますか。」と言いながら。そして、その腕は私の右足をがっしりと掴む。と同時に、冷たい鉄のような力が加わる。凄まじい力に私の右足はギシギシ、ギシギシと骨が軋む音を立て、そして、ボキリ、という嫌な音が鳴る。視界が白く弾け、激痛が足元から脳天へと突き抜ける。

 そんな悶える私を気にも留めず、サワザキはゆっくりと左足にも手を掛ける。あの、笑顔のまま。――ボキリ。


 次は右腕。――パキリ。


 左腕。――ポキリ。


 嫌な音が数度にわたってジム内に響き渡る。そして、


 「さて、これで逃げられないですね。それじゃあカナコさんにも“特別メニューを”受けてもらいますか。大丈夫、心配しなくてもちゃんとカナコさんも”頂き”ますよ。」


 そういってサワザキは、四肢の骨が折られてすっかり動けなくなった私の体を悠々と担ぎ上げる。目の前に広がるのは、天井の暗闇だけだ。その暗闇は、徐々に私の視界を蝕んでいく。そして、サワザキはゆったりとした足取りでジムの奥へと歩き始める。そして、視界の端で閉じていくジムの扉――出口ではなく、まるで棺桶の蓋だ。涙が頬を伝うが、それは助けを求める涙ではなく、すべてが終わることを悟った、絶望の涙だった。


 後日、サワザキの運営するジムの付近で2人の女性が行方不明になったことが報じられた。警察はジムの捜査を行い、南京錠のかかった部屋からはおびただしい量の血液が残されていたことを発見する。しかし、『サワザキ』に繋がる記録は一切残っておらず、ジムの契約者リストもすべて消えていた。

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