第6話 なんでもない日の妻ですけれど
夫のケイさんが車で帰宅した音がする。
私はそそくさと玄関へ向かい、そして倒れる。
ケイさんが玄関を開ける。
玄関で倒れる妻を発見し、ケイさんが「うわぁ!」と声をあげ驚く。
私はニヤニヤする。
なぜなら驚いた顔のケイさんは、バリ島の神様「バロン」にそっくりだからだ。
バロンがわからない方は、是非検索してみて欲しい。味わい深い顔をしている。
「びっくりしたぁ」とつぶやくケイさん。
私はケイさんのあとをニヤニヤしながらついてまわる。
手を洗うケイさんの背後から両手をまわし、下腹をむにゅっと掴む。
そして「ナイスお肉! ナイスお肉!」と叫ぶ。
それから洗面所から出ようとするケイさんの前に立ち「フンフンフンフン!」とスラムダンクの桜木花道のごとくディフェンスをかます。
クスッとケイさんが笑う。
私は大満足でニヤニヤと笑みを浮かべる。
そして何事もなかったかのようにコタツに戻り、アニメを見る。
そして、ふと思うのだ。
またわけのわからぬことをしてしまった。
夫婦というのは、いったいどんな会話をしているのだ?
付き合いたてのころは、一体どんな会話をしていただろうか? 思い出せない!
そして私はなぜこんな奇行にはしってしまうのだろうか……。
否、答えはわかっている。
しょーもなく、他人から見たら馬鹿みたいに思える理由のために、妻はこんなことを毎日しているのだ。
子どもを産んだその瞬間、私ははっきりと「死」をそばに感じるようになった。
十代の頃や二十代前半の頃は、まだまだ先が長いと思っていた。自分には「死」など関係ないと信じてやまなかった。
けれど「生」のカタチを手にとるように感じたあの日から、私の人生はもう「死」に向かっているのだと天啓のように感じたのだ。
それからというもの、私はあることをよく考えるようになった。
それは「なんでもない日」をどう過ごすか、ということだ。
特別じゃなくて、記念日でもない、なんでもない日。
良いこともあれば、嫌なこともある、なんでもない一日。
本当に「なんでもない日」。
どうせならば、ご機嫌で楽しい時間でうめつくしたい。
もちろん私だって人間なので、イライラしたりクヨクヨしたりする日がある。
そんな時は、鬱々とした気分を存分に味わうことにする。
無理矢理、元気になる必要はない。けれど、憂鬱の中にも見方を変えれば、楽しさのカケラが隠れている時だってある。
いつだって、自分次第で楽しさを見つけることができるはずだ。
ご機嫌で楽しいというのは、なにもパリピのような「ウェーイ! 毎日チョータノシー」というノリノリな感じではなくて、ささやかな楽しさを見つけられることだと思う。
例えば、学校の前でティッシュ配りしている人がいる。その人の前に一人の学生が寄って行き、無言のまま指で三を表す。
すると、ティッシュ配りの人がそっとティッシュを三つ渡すのだ。
私はそれをティッシュの密売人と呼んでいる。
たったそれだけの発見で、なんとなく出勤時間が面白く変化する。
なんでもない日を楽しく過ごすのは、ささやかな楽しさを見つけることの連続なのだと思う。
そして自分だけじゃなくて、周りの人にも見つけた楽しさを伝えたいと思うようになった。
しょーもなくて、お馬鹿で、楽しいことをなんでもない日から探して伝えるのだ!
伝わるかな?
伝わらなくても、たぶん大丈夫。
小さな楽しさよ、届け。
私は心の中で念じる。
クスッと笑ってもらえたら、私は心の中でばんざーい! ばんざーい! と飛び跳ねる。
なんでもない日、ばんざーい!
なんでもない日、ばんざーい!
どうか、あなたにもこのしょーもないエッセイで、なんでもない日がクスッと楽しく色づきますように。
(読んでくださったみなさまに、感謝を込めて。ありがとうございました)
なんでもない日の妻ですけれど あまくに みか @amamika
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