第8話
聞き慣れない音に、ふと立ち止まった。視線を向けた先には立て看板がある──“川に雪をいれないでください”。
ああ、そうか、ここには川が流れてるんだった。そのことを思いだして視線を落とした。そこで漸く気が付いた。さっきから聞こえているのは、小川のせせらぎだったのだと。
三月。例年より早い雪解けを迎え、夜でさえ氷点下を下回ることがなくなってしまった、北国の春。川に張っていた氷が解けて、いつの間にか水の流れる音が聞こえるようになった。
ぎゅ、ぎゅ、と踏みしめるように歩いていた雪はもうない。今は水と混ざってザクザクと音がする。場所によっては歩道が露出していて、すっかり冬将軍はいなくなってしまったようだ。
実際、部屋に帰って、ストーブをつけるとき、室温が今までと五度は違う。ただストーブなしで過ごすにはまだ寒い。パチリと電源ボタンを押して室温表示を眺めながら、コートを脱いだ。
夕食をとりながらテレビをつけると、東京では梅が咲いているらしかった。気温は十度を下回ることはなく、すっかり春の日差しに包まれる週末がやってくる、と。一足早く東京は春を迎えるらしい。早いなあ、と思わず呟いた後で、少し驚いた。こっちに来るまでは、三月の春を早いと感じる日がくるなんて思いもしなかったのに。
「《続きまして札幌です。今週は三月下旬並みの気温が続きますが、週末、土曜日は最高気温が一度、最低気温はマイナス六度です……》」
電話が鳴るから、テレビのボリュームを少し下げた。
「……もしもし、友加梨? どうしたの? ……今日?」
週間天気予報に出るのは雨マークではなく雪マーク。例年通りもう一度豪雪が降るという。
それでも、今日の帰り道では川が流れていた。
「……いや、そうじゃなくて、夕飯食べ始めてるの。……やーだ、私より稼がない男はお断り」
春は、まだ少し、きっとほんの少しだけ、遠い。
スプリング・バック 篠月黎 / 神楽圭 @Anecdote810
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます