第5話 奈津と茜
カフカを出ると、すぐに奈津に電話をかけた。言葉の出ないあたしに、ひとこと「うちにおいで」と言ってくれた。
缶ビール、缶チューハイ、パンダのワンカップをエコバッグいっぱいに買いこみ、奈津の家に転がり込んだ。リビングのこたつテーブルの上に買ってきたものをすべてぶちまける。奈津はあぐらをかいてパンダのワンカップを飲みながら、あたしの要領を得ないことばを相槌も打たずに聞き、あたしがしゃべり疲れて口をつぐむと、歌うように言った。
「バカだね、茜は」
あたしはかぼすの缶チューハイを飲みほし、可愛いピンクの缶のクラフトビールを手に取った。
「茜はさ、私と瑞希のことを知ったとき、何も言わなかったよね。山城くんとすうちゃんのことだって、男どうしってことについては、何も言わなかった。茜のそういうところ、好きだよ」
パンダをぐいっと飲む。
「それなのに、ポリアモリーは駄目なの?」
「だって、そんなの、いけないことでしょ?」
「今の法律ではね。でも、それを言うなら、私と瑞希だって、結婚できない仲だよ」
「それは……」
「法律なんて社会の都合で変わる。そんなものを真理と思っちゃだめでしょ。私たち、東欧で社会体制の変化がいかに人間の価値観を変えてきたか、よく知ってるじゃない?」
奈津はワンカップをくるりと回してパンダの絵を指でなぞる。
「あのね、茜がやんなきゃいけないのは、ひとつだけ。すうちゃん離れしなさい。あの子、中学生のころから、あんたや山城くんよりよっぽどしっかりしてた。茜がひとり立ちできたら、物事はもう少しシンプルに見えてくると思うな」
あたしは何も言わずにピンクの缶をぐびぐびと飲む。上を向いたまま、ビールと一緒につかえてるものを飲み下していく。
玄関が開く音がした。「ただいまあ」瑞希ちゃんだ。「茜ちゃん、こんにちは! ねえねえこんなの買ってみたの。三人で飲も?!」にこにこしながら部屋に飛び込むなり、バッグから梅酒飲み比べセットを取り出す。「うへえ、私、パス」「えー、いろんなベースの飲み比べ、楽しいじゃん?」「あたし飲む! 甘いの好き」「わあい、茜ちゃん、ふたりで楽しも?」「あー、そうして。私はパンダがいい」「おっさんめ」
奈津と瑞希ちゃんとパンダと梅酒とビールと酎ハイがぐるぐる回り、大笑いして泣いて――気づくと部屋は静かになっていた。いつの間にか眠っていたらしい。ゆっくりと身を起こすと、奈津と瑞希ちゃんが寄り添って床の上で眠っている。時計を見ると四時半だった。トイレを借り、顔を洗って戻ってくると、奈津が目を覚ました。
「おはよ、気分悪くない?」
「うん、大丈夫」
奈津が眠たそうな顔で笑う。
「シャワー使って」
「ありがとう、このまま帰る。ごめんね、今日は仕事だよね? 瑞希ちゃん、大学は?」
「心配ないよ、いつものこと」
おざなりにテーブルの上を片付け、自分の荷物をまとめると、玄関に向かう。
「いつ向こうに戻るの?」
「金曜日」
「そっか。早いね」
「うん」
奈津がふわりと動く。靴を履いて荷物を持ったあたしをまるごときゅっと抱きしめる。
「気を付けて。私は昔から茜が大好きだし、これからもずっと好きだから。力いっぱい、自分のできることをやって、また日本で会おう」
そう言うとあたしを離し、頭を乱暴になでた。
玄関を出ると、ねっとりとした空気が体を包み、洗いたての朝日が東の空でのたりと胎動する。恐ろしいほど暑い夏の日がまた始まる。
カフカの恋人 佐藤宇佳子 @satoukako
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