ビスケットロールケーキ
だいこん
ビスケットロールケーキ
目にとまったのは、肩身の狭そうなロールケーキだった。
仕事の帰り道、最寄り駅近くにある大きめのスーパー。店内の棚を装飾するリースには赤いリボンやベルが添えられ、耳を素通りする歌声は歌手も曲名もわからないが、有名だからフレーズだけは知っている。
しかしひと際に存在感を放っていたのが、クリスマスケーキのコーナーだ。
菓子パン類が置かれている横に増設されたその一角には、王道のショートケーキ、チョコレートケーキのサンプルがこれ見よがしに並んでいる。素通りする大人たちとは裏腹に子供の目は引くようで、無邪気に指さしたり、親になだめられては立ち去るといったやり取りが視界の隅で一、二度あった。
あらためて、このロールケーキはどうだろう。
値段は税込み140円、賞味期限は明日まで。サイズも心なしか小さく見えるし、渦巻き状の切り口から
でも――今はこれがちょうどいい。
「ホイップクリームと……あっ、あとビスケットも」
頭の中のメモを
会計を済ませて外に出ると、びゅう、と吹く風に目を細めた。
北海道や東北で生まれた人間は寒さに強いと思われがちだ。けれど
「……はぁ」
すれ違う男女が
好きになったのは自宅から少し歩いたところにある、コンビニの店員。
私と同じ二十代
そんな人に思い切って連絡先を渡し、そして
チャットアプリに寄越されたメッセージに呼吸を忘れたのも束の間、「ごめんなさい。付き合っている人がいます」という文言を目にした瞬間、自分でもあっけないくらい心の糸が切れてしまった。淡い気持ちは、脆さと表裏一体だ。
首に巻いていたストールを指先でつまみ上げ、ため息をひとつ。思い出してしまった苦い記憶は、ドアの開く音にかき消された。
「ただいま――電気電気、っと……」
メイクを落とし、静電気でふわふわした髪の毛を簡単に整える。部屋着に着替えている間に時刻は七時を回って、空腹がより強くなる。
夕飯は昨日の残りをあたためればすぐに出来るけれど、あれだけは先に作っておこう。
キッチンに並べたのは先ほど買ったロールケーキ、ホイップクリーム、ビスケット。ロールケーキはあらかじめ五等分に切り分けられていて、ホイップクリームは泡立て不要の、あらかじめ絞り袋にクリームが入っているものを選んだ。ビスケットは少し厚めのものを買ってしまったが、食感が柔らかそうなのでたぶん大丈夫だろう。
作り方は簡単だった。
お皿の上に横倒しにしたロールケーキをひと切れ乗せて、その上にビスケットを一枚、さらにホイップクリームを適量トッピングすれば完成。よく言えばシンプルな、悪く言えば素朴なケーキが出来上がった。
名付けるならさしずめ、“ビスケットロールケーキ”といったところだろうか。
ピークを迎えた空腹のせいか、生クリームの甘い香りに誘われたせいか。出来上がったそれをつまんで、私はひと口ほおばった。
「……っ、ふふっ……!」
――美味しい。
ありきたりな感想に先駆けて、ほろりと笑みがこぼれ落ちる。ロールケーキのふわっとした食感に生クリームの滑らかな舌触りが合わさって、ビスケットがちゃんとした歯ごたえを残してくれる。
それはとても、懐かしい味わいだった。
「ちょっと作ったから、一回食べてみてよ」
たぶん、思い付きで作ったものだったのだろう。小さい頃、母親はそう言って、父親が買ってきてくれたクリスマスケーキの横に皿を並べたことがある。
そのケーキは今私が作ったものとほとんと同じで、違いがあるとすればビスケットくらいだ。あの時食べたビスケットは不思議な食感で、外がしっとりしているのに中は硬めの、今までに食べたことのないビスケットだったから。
あの時の味が忘れられない――なんて言うのは、ちょっぴり大げさかもしれない。けれどふと気になった事柄は、昔から掘り下げずにはいられない
スマホを手に取り、チャットアプリから電話してみる。今は夕飯を食べ終えた頃だろうか、ほどなくして聞こえてきた「もしもし」という声の後、母親は笑って続けた。
『何、急にどうしたの? 普段あんまり連絡寄越さないのに、帰りたくなった?』
「ううん。でも、ちょっと気になった事あってさ」
私は部屋の壁に寄りかかりながら小さく笑い、
「小さい頃、クリスマスになると作ってくれたよね。ほら、あのビスケットとクリームのロールケーキ」
『あぁ……作ったわねぇ、そんなの。もう飽きちゃったけど』
「あれに使ってたビスケットって、どんなやつだった? 食べたくなって作ってみたんだけど、気になっちゃって……なんか、すごい独特な食感だったよね」
うろ覚えだけれど、最後に食べたのは小学校中学年のあたりだったか。もう十年以上も前の話だから、さすがに覚えていないかもしれない。
しかし、そんな
『いやあのビスケット、実は
「え……えっ?」
『でも食べないのももったいないじゃない? だから霧吹きで水かけて湿らせて、あとはロールケーキとクリームで挟んじゃえば誤魔化せるでしょって、ね?』
「ね――って、そこで同意求めないでよ。うわぁショック、今年一番ショック受けた……」
あの不思議な食感の正体がただの湿気。どころか、あのケーキ自体が誤魔化しの産物だったなんてにわかには信じがたい。
けれども作った本人の口から聞かされた以上、まごう事なき事実なのだろう。
「……今度実家帰った時、私が作ってあげるよ。たぶんそっちのが美味しいから」
近況報告もそこそこに通話を切り上げる。カレンダーを見れば明日はクリスマスイブで、明後日がクリスマス。どっちかに私の好きなフルーツケーキを食べるとして――でもたぶん、それだけではきっと満足できない。
また思い出の味に、帰ってきたくなると思うから。
ビスケットロールケーキ だいこん @dadadaikon
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