ビスケットロールケーキ

だいこん

ビスケットロールケーキ


 目にとまったのは、肩身の狭そうなロールケーキだった。


 仕事の帰り道、最寄り駅近くにある大きめのスーパー。店内の棚を装飾するリースには赤いリボンやベルが添えられ、耳を素通りする歌声は歌手も曲名もわからないが、有名だからフレーズだけは知っている。


 しかしひと際に存在感を放っていたのが、クリスマスケーキのコーナーだ。


 菓子パン類が置かれている横に増設されたその一角には、王道のショートケーキ、チョコレートケーキのサンプルがこれ見よがしに並んでいる。素通りする大人たちとは裏腹に子供の目は引くようで、無邪気に指さしたり、親になだめられては立ち去るといったやり取りが視界の隅で一、二度あった。


 あらためて、このロールケーキはどうだろう。


 値段は税込み140円、賞味期限は明日まで。サイズも心なしか小さく見えるし、渦巻き状の切り口からのぞけるクリームの量はお世辞にも多いとは言えない。


 でも――今はこれがちょうどいい。


「ホイップクリームと……あっ、あとビスケットも」


 頭の中のメモを反芻はんすうし、日用品と食品もまばらなカゴの中にそれぞれを突っ込む。ロールケーキだけは、潰れないように気をつかって。


 会計を済ませて外に出ると、びゅう、と吹く風に目を細めた。


 北海道や東北で生まれた人間は寒さに強いと思われがちだ。けれど生憎あいにく、私は冬の寒さも、なんなら夏の暑さも苦手だった。季節の変わり目にはいつも体調を崩してしまうし、ふと湧いた憂鬱ゆううつなどお構いなしに街のイルミネーションきらきらと光り輝いている。


「……はぁ」


 すれ違う男女が仲睦なかむつまじそうに見えるのは、ちょっとした失恋を味わったせいだろうか。


 好きになったのは自宅から少し歩いたところにある、コンビニの店員。


 私と同じ二十代なかばくらいの外見で、会話と呼べるほどのやり取りはない。会計時に「どうも」か「ありがとうございます」をなるべく丁寧に言うだけで、ほとんど一方的に惹かれていた。


 そんな人に思い切って連絡先を渡し、そしてみのらなかったのがつい先週のこと。


 チャットアプリに寄越されたメッセージに呼吸を忘れたのも束の間、「ごめんなさい。付き合っている人がいます」という文言を目にした瞬間、自分でもあっけないくらい心の糸が切れてしまった。淡い気持ちは、脆さと表裏一体だ。


 首に巻いていたストールを指先でつまみ上げ、ため息をひとつ。思い出してしまった苦い記憶は、ドアの開く音にかき消された。


「ただいま――電気電気、っと……」


 メイクを落とし、静電気でふわふわした髪の毛を簡単に整える。部屋着に着替えている間に時刻は七時を回って、空腹がより強くなる。


 夕飯は昨日の残りをあたためればすぐに出来るけれど、だけは先に作っておこう。


 キッチンに並べたのは先ほど買ったロールケーキ、ホイップクリーム、ビスケット。ロールケーキはあらかじめ五等分に切り分けられていて、ホイップクリームは泡立て不要の、あらかじめ絞り袋にクリームが入っているものを選んだ。ビスケットは少し厚めのものを買ってしまったが、食感が柔らかそうなのでたぶん大丈夫だろう。


 作り方は簡単だった。


 お皿の上に横倒しにしたロールケーキをひと切れ乗せて、その上にビスケットを一枚、さらにホイップクリームを適量トッピングすれば完成。よく言えばシンプルな、悪く言えば素朴なケーキが出来上がった。


 名付けるならさしずめ、“ビスケットロールケーキ”といったところだろうか。


 ピークを迎えた空腹のせいか、生クリームの甘い香りに誘われたせいか。出来上がったそれをつまんで、私はひと口ほおばった。


「……っ、ふふっ……!」


 ――美味しい。


 ありきたりな感想に先駆けて、ほろりと笑みがこぼれ落ちる。ロールケーキのふわっとした食感に生クリームの滑らかな舌触りが合わさって、ビスケットがちゃんとした歯ごたえを残してくれる。


 それはとても、懐かしい味わいだった。


「ちょっと作ったから、一回食べてみてよ」


 たぶん、思い付きで作ったものだったのだろう。小さい頃、母親はそう言って、父親が買ってきてくれたクリスマスケーキの横に皿を並べたことがある。


 そのケーキは今私が作ったものとほとんと同じで、違いがあるとすればビスケットくらいだ。あの時食べたビスケットは不思議な食感で、外がしっとりしているのに中は硬めの、今までに食べたことのないビスケットだったから。


 あの時の味が忘れられない――なんて言うのは、ちょっぴり大げさかもしれない。けれどふと気になった事柄は、昔から掘り下げずにはいられないたちだった。


 スマホを手に取り、チャットアプリから電話してみる。今は夕飯を食べ終えた頃だろうか、ほどなくして聞こえてきた「もしもし」という声の後、母親は笑って続けた。


『何、急にどうしたの? 普段あんまり連絡寄越さないのに、帰りたくなった?』

「ううん。でも、ちょっと気になった事あってさ」


 私は部屋の壁に寄りかかりながら小さく笑い、


「小さい頃、クリスマスになると作ってくれたよね。ほら、あのビスケットとクリームのロールケーキ」

『あぁ……作ったわねぇ、そんなの。もう飽きちゃったけど』

「あれに使ってたビスケットって、どんなやつだった? 食べたくなって作ってみたんだけど、気になっちゃって……なんか、すごい独特な食感だったよね」


 うろ覚えだけれど、最後に食べたのは小学校中学年のあたりだったか。もう十年以上も前の話だから、さすがに覚えていないかもしれない。


 しかし、そんな杞憂きゆうを吹き飛ばすかのように大ぶりな笑いが木霊こだまして、


『いやあのビスケット、実は湿気しけってたやつなのよね』

「え……えっ?」

『でも食べないのももったいないじゃない? だから霧吹きで水かけて湿らせて、あとはロールケーキとクリームで挟んじゃえば誤魔化せるでしょって、ね?』

「ね――って、そこで同意求めないでよ。うわぁショック、今年一番ショック受けた……」


 あの不思議な食感の正体がただの湿気。どころか、あのケーキ自体が誤魔化しの産物だったなんてにわかには信じがたい。


 けれども作った本人の口から聞かされた以上、まごう事なき事実なのだろう。


「……今度実家帰った時、私が作ってあげるよ。たぶんそっちのが美味しいから」


 近況報告もそこそこに通話を切り上げる。カレンダーを見れば明日はクリスマスイブで、明後日がクリスマス。どっちかに私の好きなフルーツケーキを食べるとして――でもたぶん、それだけではきっと満足できない。


 また思い出の味に、帰ってきたくなると思うから。

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