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一番最初の将来の夢は、なんだっただろうか。
団地のゴミ捨て場に来るゴミ収集車が、後部に放られるゴミ袋をむしゃむしゃと飲み込んでいくさまを「ウッ」と指さして「オミシュウシュシャ~」と嬉しそうにいっては、自由帳に青いクレヨンで四角い箱を描いたり、床にぶちまけたブロックのおもちゃを小さい両腕を広げてかき集めたり、そんなことをしていたらしい。それが2歳か3歳ごろの話。2歳か3歳ごろのことなんてぜんぜんおぼえていないけれど、それがたぶん、一番最初になりたかったものだと思う。
それ以降は、まあ、いろいろころころ変わっていって、気がついたら、少子高齢化の影響で、高校に行かずに働くのがかっこいいという価値観が、わたしが小5ぐらいのときから流行りだした。
それに、自動運転技術がだいぶ発展して身近なものになっていたり、交通事故による死傷者数もちょっとずつちょっとずつ減っていき、働き手不足だとか、運転免許証とかなんかもろもろの改正とか、トラックの車両設計の見直しによる快適性の向上だとかで、高校生ぐらいの年齢でも、大型トラックを運転して運送業の仕事ができるようになった。
団地の居間で夕方のワイドショーを流しつつ受験勉強とかしながら、へーそうなんだ、と思っているうちに、わたしは高校生になっていた。
朝起きて、駅に行って、電車に乗って、乗り換えて、学校への道を歩いていく。わりかし近場に住んでいる子は自転車だったり、自動運転の小さなコミュニティバスに乗って来る。
6月のある日のこと。大きめのトラックが学校の近くで停車して、女の子が颯爽と降りてきた。
セーラー服の肩につっかけた紺色のブルゾンが、ふわりと風をはらんだ。
トラックは自動的に走って行った。
女の子のスカーフは赤色だった。3年生だ。
なんでもその人は、在学中に運送業の会社に入ったらしい。とりあえずお金を稼いでみたいそうで、大学に行くのか、専門学校に行くのか、それとも別の職種に転職するのかは、まああとで考えればいいじゃん……という感じでやっている人だと、ヤンダが教えてくれた。
授業はどうしてるんだろう。わたしが疑問を口にすると、登校できない日はオンラインなんだって、とまたヤンダが教えてくれた。自動運転してくれるロボット、いるじゃん、ああいうのに運転してもらったり、あとどっかのPA? SA? かなんかに
「オンライン授業って、それってトラックのなかで……ってこと?」
「そ」
ヤンダはわたしの机に座り、ヨーグレットをぽりぽり噛み砕きつつ、頷いた。
「それって……実質全国を旅しながら、普通に授業受けてるってこと?」
「そうなるね。まあ、仕事は仕事だから、決まった時間には目的地に着いてないといけないらしいけど」
へえ、なんかいいじゃんと頷いているうちに、なんだかそれってすごくいいことのように思えてきた。じわじわとからだに染みていく感じがあって、そして──
そうか。
わたしは思った。
──電球がピカッと点灯するまんが的表現って、こういうときに使うんだ。
わたしはその日のうちにその先輩に話を訊きにいった。その先輩の担任の先生にも話を訊きにいって、帰りの電車のなかでググりまくり、チャットAIにも質問を投げた。
乗り換えに使っている大きな駅の近くに、家電量販店があることを思い出した。わたしは、ふしぎと浮足立ちながら駆け込んで、おもちゃ売り場に向かった。
トミカが置いてある一角にたどり着く。箱に入ったたくさんのトミカがずらりと並んでいた。
わたしはトレーラートラックを見つけた。トミカとはいえ、トレーラーともなると大きいサイズになる。他のものよりやや高い。同じお金で、マクドナルドで何が食べられるだろうとわたしは一瞬考えた。コンビニのスイーツも2個……いや、3個は食べられるかも。
……いや、いま買わないと結局明日もあさってもここに来てどうしよっかな~と、もじもじするだけだ。そんでもって結局買うんだ。ならいま買ったほうがいい!
わたしは長いトミカの箱を手に取った。
「台車が通りまーす」
店員さんがそう声を上げながら、すぐ横の通路を通っていった。わたしは横目でそれを見る。台車に積み上げられていたダンボール箱には、おもちゃの名前が印字されていた。
そうか。わたしはまたしても思う──というか、ごくごく当たり前な世界の成り立ちを悟る。
手に握ったトミカの箱を見る。
このトミカも、ああやって運ばれてきたんだ。
おもちゃのたくさん入ったダンボール箱とか、調理前の冷凍フライドポテトとか、そういったいろんなものを運んでいるのが、こういうトレーラーとかトラックなんだ。
男の子だからこういうのが好みだよねとか、女の子だからこういうのが好みだよねとか、そういう規範が社会的に多少は薄れてきても、女子高生がトミカを買うのは珍しいことだった。レジの店員さんに「プレゼント用ですか?」と訊ねられて、わたしは「いえ、テープ貼るだけで大丈夫です」とだけいって、通学用のリュックに入れた。
ごおごおと道行くトラックを、自然と目で追っていた。
電車のなかでリュックを大事に抱きしめるように両腕で抱えた。
団地のエレベーターホールには誰もいなかった。思わず、くるりと優雅に一回転した。チン、と背後で音がして、誰かが降りてきた。優雅な決めポーズのまま固まっているわたしに、見知らぬご婦人は「あら、きれい」とだけいった。
「どうしたの顔赤くして」
帰ってきたわたしを見て母さんがいった。
「えーっと……いいこと思いついたの」
わたしは鼻息荒く誤魔化した。
手洗い。そして、うがい。
自分の部屋に入ったわたしはリュックからトミカの箱を取り出し開封する。
「お、おお……!」
ミニサイズとはいえ、手のひらからちょっとはみ出そうな大きさのトレーラートラックは、すこし重い。その重さがなんだか良かった。わたしは手のひらに乗せたそれをスマホで思わず撮る。そしてヤンダに送る。
そうだ。わたしはクローゼットの奥にしまっていた、蓋付きの収納クリアボックスを取り出す。かつての遊びのお供たちと懐かしの再会をしつつ、腕を伸ばし、底の方にあったそいつを取り出した。
わたしは勉強机の一角に、塗装が剥げに剥げた青いゴミ収集車のおもちゃと、トレーラートラックのトミカを並べた。頬が緩む。
わたしはその夏、ヤンダと一緒に免許取得のために合宿に行った。
それから月日が過ぎて、こうして物を運ぶ仕事をしながら高校の授業も受けていた。
*
海岸線から崖沿いの道に切り替わっていた。いくつかの車とすれ違っていく。
……と、カーブを何度か曲がっていると、やや先に、コンテナを牽引したトラックが停まっていた。
故障でもして立ち往生をしているんだろうか。わたしが思案していると、〈キョウさん〉の上半身が天井からニュッと降りてきた。帽子を被った顔を不審なトラックに向けている。
〈キョウさん〉の主なカメラやセンサー類は車体の方にあるから、べつに顔にあたる部分をそうやって向ける必要はなかったはずなのに、そうしていた。そして右手を目の上にあてがって、左手でキャップを持ち上げて、遠くを見るようなしぐさをした。
〈キョウさん〉に蓄積された膨大なトラックドライバーたちのデータが、そうさせている……らしい。
わたしの視界の上で、〈キョウさん〉の首にかけた交通安全のお守りが揺れている。
近づいてみてわかった。トラックだけじゃなく、無人運転型の小型コンテナも2台ほど路側帯に停車していた。さいわい、山間部の道路によくあるような、やたら広い路肩に停められていた。
事故だったら、なんらかの信号が他の車に向けても出てるはず。でもそうじゃない。
わたしはスピードを落として、大きな路肩に停車する。ハザードランプを点灯させる。
〈キョウさん〉の頭からキャップを拝借して被り、トラックを降りる。念の為、グローブボックスに入れておいた唐辛子スプレーも持っていく。もしかすると、初めて使うことになるかもしれない。そう思うと緊張して、手汗がじわりと出てきた。
小さいコンテナにタイヤがくっついただけ、という感じの自走コンテナを見ていく。手前にあるコンテナには特に変わった様子はない。
もうひとつの、奥にあるコンテナは変だった。開口部が開けられ、中には巨大なプチプチ緩衝材のロールがひとつだけ転がっていた。それと、小ぶりなナップサックも。中途半端に放り出されたプチプチシートが風になびき、ざば、ざばぱぱ、と音を立てていた。
コンテナを閉める。
わたしはトラックの方を見て、次に、路側帯の向こうにある崖の切っ先に目を向けた。
嫌な予感がした。
というか、もしかして、十中八九、これは、いわゆる“とんだ”というやつなのでは……。しかも、文字通りに。
わたしは早歩きでトラックにも向かう──と、ここで違和感をおぼえた。
トラックに牽引されているレンガ色のコンテナは、見慣れたいつもの20フィートコンテナじゃなかった。室外機がある。どこからどう見ても小さめのガラス窓のようなものもあった。コンテナハウスというやつだろうか。歩いていくと扉があった。どうやらそうらしい。
「すみませーん!」わたしは運転席の近くで足を止めると、見上げ、声をかけた。「すみませーん!」
返事がない。ステップに足をかけて覗き込んでみる。中はごちゃごちゃしていた。助手席にはビニール袋が適当に置いてあって、カロリーメイトとかゼリー飲料とかが見える。ドリンクホルダーには飲みかけの三ツ矢サイダーに、紙パックのコーヒー牛乳。キーは挿しっぱなし。運転席には白いファーのシートカバー。
わたしは都市部で生まれ育ったから、多くのドライバーにとって車とはもうひとつの家のようなもので、生活空間だということを、この仕事に就いて初めて知った(父さんも母さんも車をあくまでも移動手段として使っていた)。だから、こうして人様の車のなかを覗き込むのは気が引けたし、生活の痕跡の生々しさにちょっとドキドキしていた。
ドライバーは男性っぽいと最初は思った。けれども、ルームミラーからはプテラノドンのぬいぐるみマスコットがぶら下がっているし、助手席にはトリケラトプスの大きくてかわいいぬいぐるみが座らせられていて、おまけにシートベルトも締められていた。そして助手席にはマニキュアも適当に転がっていた。キーにつけられたキーホルダーは皮でできたもので、ティラノサウルスの頭蓋骨の図柄が入っていた。フロントガラスにはかなりちゃんとした一眼レフのカメラが設置されている。
ドライバーは女性……だと思う。恐竜好きで、たぶん車載動画を撮るのが趣味の。しかも、コンテナハウスに住みながら移動してるっぽい。
わたしはステップから降りて、崖の方へ歩き出した。
今さっきまでそこに座っていた、ハンドルを握っていた、三ツ矢サイダーを飲んでいた──そういったことが想像できるものを見たあとに、その人がどうなってしまったか見に行かなきゃならないということに気がついて、わたしの脚は、止まった。
どうする? ここで、今すぐ警察を呼ぶべきか?
生唾を飲み込む。
どう考えても事件だ。絶対に何かあった。絶対に呼んだほうがいい。どうしてこんなことになったんだろう。いつもみたいな朝だったのに。あともう少ししたらホームルームも始まる。どうすればいいんだ。というかこれでマジで事件だったら荷物届けるのも遅くなっちゃうしそうなると会社に連絡して、学校の方は、えーっと、それから……。
と、頭をぐるぐる回転させているうちに、止まっていたと思っていた脚はいつのまにか進んでいて、切っ先の手前に来ていた。
そこには、脱ぎ捨てられていた白いスニーカーが、きれいに揃えられていた。
息が荒くなっているのに気がついた。心臓がうるさい。耳の奥で血がごーっと鳴りながら流れている。視界がちかちかする。だめだ。腰が抜けそうだ。今すぐ引き返して、警察を呼ぼう。崖の下を見ちゃだめだ。
「よいしょ」
どこかから声が聞こえた。
そして信じられないことに、切っ先の下から手が伸びてきた。
「よいしょーっ」
威勢のいいかけ声とともに、ぬうっと、崖の下から人が現れた。
女性、だった。というか、わたしとそう変わらない年頃の女の子だった。ずぶ濡れで、かっこよく競泳水着を着こなしている。
肩まで伸びた、透明感のある明るいベージュの髪をかきあげると、水しぶきがわたしにもわずかにかかった。
「おや、おはよう~」
目の前の女の子は通学路でばったり会ったように平然といって、なんでも食べちゃいそうな大きな口で微笑んだ。
そうか。わたしは思う。この人はたしかに恐竜好きだ。
だって、肉食恐竜みたいだ。
「おはよう……ございます」
わたしは返答する。あいさつは大事だ。これも身に染みついた癖のようなものだった。
手汗で滑って、唐辛子スプレーが地面に転がり落ちた。
次の更新予定
2024年12月19日 12:00
るる ひょうひょう 都市と自意識 @urban_ichi
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