るる ひょうひょう
都市と自意識
第1話 少女は下からやってきた
1-1
海岸線沿いのコンビニの大きな駐車場の隅で、わたしは朝の日課を行うことにした。
スマホを横向きにし、ケースに付けたスタンドの角度を調整する。地べたに置くとき、指先がアスファルトの黒い地面にふれた。日の出からまだそんなに経っていないせいか、ひんやりとしていた。
YouTubeの動画広告が流れているあいだに、自分の横に置いておいた〈うんぱんくん〉たちのスイッチを順番に入れていく。
いち、にい、さん。
大きめのピザ箱のような本体の下には、しなやかで黒い脚がきれいに折りたたまれていた。3号機・ぼんじりの調子が悪いようで、クロックスで覆われたつま先で軽く小突いてやる。寝ぼけた目をこするようにランプがまたたき、モーターの駆動音が静かに鳴りはじめた。
広告が終わり、ラジオ体操第一の動画が流れる。
軽快なピアノのイントロが、誰もいない早朝の駐車場にかすかに響く。
《のびのびと、背伸びの運動から~……はいっ》
わたしは、いつもどおりラジオ体操を開始した。
横に配置した〈うんぱんくん〉たちも折りたたまれていた脚をすっくと伸ばし体操を始める。
もう慣れたもので、動画をいちいち見なくても、音楽がなくてもできる気がした。でも、こうやって動画を流していた。それは相棒にしている荷物運搬用ロボットたちのためでもあったし、そしてなによりも、それが日課の癖になっていたからだった。
《足を開いて腕の運動です》
両腕を伸ばして開き、胸を張る。
うしろに停めたわたしの相棒の存在を感じる。
大きなトラックだ。ルーフからは、船の帆や蝶の羽のような太陽光発電シートが、めいっぱい広げられているはずだ。今日の天気は昨日につづいて快晴。短時間でもそれなりに蓄電できるに違いなかった。
いち、にい、さん、しっ。
ごお、ろっく、しっち、はっち。
《腕を上下に戻す運動~》
すっ、すっ、と動きをこなしながら〈うんぱんくん〉たちに目をやった。
起動にもたついたのはぼんじりだったけど、今日のレバ太郎(2号機)は横移動をするときにこんがらがるような動きを一瞬する。心配して見ていると、本体のランプが何度か点滅したあと、問題が解けたようにぱっと点灯し、脚の動作がしなやかなものになった。それを見て安堵する。
からだを回す運動中、左腰に軽い違和感をおぼえた。む、と眉をひそめる。軽く寝違えたらしい。この程度なら、数時間もしたら治ると思う。けれどもいまは〈うんぱんくん〉たちのセルフリカバリー機能が羨ましかった。
最後に深呼吸をしてラジオ体操おわり。
コンビニの後ろに立つ山々がちょうどざわめき、緑そのものを吸い込んでいるような気がした。呼吸を必要としないロボットたちも律儀に深呼吸の動きをする。その様子はいつ見ても不思議ですこしおかしかった。
さて、と。
スマホを地面から回収して駐車場を突っ切り、コンビニのなかに入った。しゃーませー。レジにいる肌の浅黒い青年がいった。
まずは飲料コーナーに向かい、とりあえずペットボトル飲料と缶コーヒーを眺めた。眺めるだけ眺めて、紙パック飲料のコーナーに行く。朝から炭酸を飲むことはまずないのに、こうしてしまう。これも癖のようなものだった。缶やペットボトルのコーヒーは加工したコーヒー特有の味わいがあまり好きじゃなかったから、これもあまり飲まない。お酒はもちろんこれから仕事があるから飲まないし、そもそもまだ飲める年齢じゃないから飲まない。
まだ17歳だし。
牛乳……を手に取りかけて今日はなんとなく低脂肪乳を手に取ってかごに入れる。
次に、カットサラダ、スティック状に加工されたサラダチキン(スモーク風味)、ピーナッツバターかジャムのコッペパンかで迷ってピーナッツバターのコッペパンを手に取り、さらに小さいアロエヨーグルトをかごに入れたところで、トラック内の小型冷蔵庫のドレッシングの残量が気になった。
最後に使ったのはたしか一昨日の昼で、そのときはコンビニで買ったスパゲティサラダを車中で食べているときに「なんか味が足りない……」と思って使ったのだった。あのとき、買い足したほうがいいと思った気がする。どうだっけ、と思い出そうにも「それじゃあシャバシャバの方がマシじゃんね」という声を真っ先に思い出してしまう。ヤンダの声だ。
「いっか、べつに」
一回で使い切れるパウチタイプのドレッシングではなく、ボトルの方を手に取った。しそ風味のノンオイルドレッシング。コンビニのプライベートブランドにはよくお世話になるけれど、そういえばボトルタイプのドレッシングは買ったおぼえがない。業スーとかで買うことが多いし、初めてだと思う。初めてなのはいいことだ。
かごをレジに持っていく。ホットスナックの什器が目につく。サラダチキンを食べるんだし、ドレッシングも買うから、がまん、がまん。
「あれ、ロボットたち、だいじょぶ?」
レジのお兄さんが駐車場を見ながらいった。朝陽に照らされたアスファルトの上では、三台のロボットたちが組体操もどきをつぎつぎと繰り返していた。ピラミッドをつくり、腕はないのに器用に扇をつくり、それぞれの本体の上に乗って一本の塔になったところで、そこから三台とも思い切り垂直にジャンプした。塔が崩壊する。
「オウッ」
「わっ」
わたしたちは驚きの声をあげた。
〈うんぱんくん〉たちは宙空でくるくる回転しつつも姿勢をただし、シャキッと脚を伸ばして見事に着地した。きっと姿勢制御のモーターをうまく回転させたりしたんだろう。
オー、と感心したように小さく手を叩くお兄さんをよそにわたしは店外まですっ飛んでいって「あんまそういうことすんなっつったろー!」とぷりぷり怒った。脚だけのロボットたちは先生に怒られたいたずらっ子のようにピューッとトラックの方へ走って行った。
いつ頃からか、〈うんぱんくん〉たちはああいうふうに自分たちで運動をしたり遊ぶようになった。
「そのせいかわかんないけど、たまにすごい動きで荷物運ぶようになったんですよ」しかも早かった。
わたしが愚痴っぽくいうとお兄さんは「かしこいんだね」と微笑んだ。
「まあね」わたしが仕込んだわけでもないのに、なんだか得意げになってしまう。
スマホをレジにかざして支払いを済ませる。
……でもまあ、リースだからあんまり無茶しないでほしいなと思う。
イートインコーナーに朝食を広げて写真を撮ってヤンダに送った。
カットサラダの袋にドレッシングをかけてフォークでもそもそと食べはじめる。スライスした生の玉ねぎが食べたいな、と二口目から思う。青じそのドレッシングがそう思わせたのかもしれない。でも、今はほぼ千切りキャベツのこのサラダを食べるしかなかった。
あらかた平らげてアロエヨーグルトの蓋を剥がし、蓋の内側に付着したヨーグルトを小さいプラスチックスプーンでこそいでいると、ヤンダから連絡があった。
おは
おは、とわたしは返した。
いいんじゃない
よろしい
──何様だよ。
崇めたまえ、健康の神であるぞ
ヤンダに食べるもの・食べたものの写真を送るようになったのは、いつからだろうか。
トラックドライバーをやりはじめてからだろうか。
いつのまにか、ヤンダがわたしの健康度合いをある程度チェックするようになっていた。毎朝のラジオ体操を勧めてきたのもヤンダだった。
しかしよく食うね
──そうしないと持たないからだし。
それはそう
そういうヤンダはわたし以上に朝食をガッツリとるタイプだった。
朝食を食べ終え、コンビニのトイレに入る。それなりにバリアフリー対応をした広めのトイレだった。“あたり”のトイレだ、あとでグーグルマップにメモっておこう、なんてことを考えながら顔を洗い、歯を磨く。ハトヤのタオルで顔を拭いて首からかける。おしっこもしておく。朝食のゴミをかき集め、コンビニのゴミ箱に入れた。
「すみませんこれ」レジのお兄さんにゴミ箱を指さしつついった。「お願いします。ごちそうさまでした」
「アー、うん」お兄さんはなぜごちそうさまといわれたのかわからないようで、生返事だった。「いってらっしゃいね」
手を振ってコンビニを出る。
わたしもなんで「ごちそうさま」といったのかわかってなかった。飲食店を出る際にやっている癖が出ただけだった。イートインコーナーで食事をする、ということがそうさせたんだろうと思う。
青じそドレッシングのボトルを片手でぷらぷらさせつつトラックに戻る。石ころを蹴って遊んでいる〈うんぱんくん〉たちに、もうそろそろ出るから点検して~と声をかけて、一緒にトラックのまわりをぐるりと回る。タイヤのなかのバルブに空気圧センサーが装備されてるとはいえ、つま先で大きなタイヤを軽く蹴って不備がないか確かめる。ブレーキチェックにその他諸々。
このロボットたちは荷物運搬用だけど、トラックの点検パッケージもインストールしてあった。かれらも何やらセンサーを使って問題がないか確かめたり、わたしの真似をしてタイヤを蹴ったりしている。一番真面目に点検してくれるのは1号機のつくねだった。
「ヨシ!」
指差し確認アンド点検終了。ロボットたちは車体の下の巣に潜り込んでいき、そこでスリープモードに入る。
ステップに足をかけ、大きな扉を開ける。中に入る。
運転席と助手席の後ろにある、カプセルホテルぐらいの広さのベッドスペースに行き、ぐちゃぐちゃになったタオルケットを畳んで、初任給で買ったニトリの枕をぽむぽむとやって形を整えた。ベッド下に内蔵された冷蔵庫を引き出す。
「げ」
冷蔵庫のなかのドレッシングは、たしかに量が足りなかった。でもそれはシーザードレッシングの方で、和風ドレッシングはまだたくさんあった。和風ドレッシングと青じそドレッシングで味が被っちゃったなと思う。
「ま、いっか」
ハンディ掃除機で全体的に軽く掃除をする。
フロントとサイドウィンドウのカーテンを閉めて、ロンTとハーフパンツ姿からいそいそとセーラーの制服に着替えた。べつに、オンラインで学校の授業に参加する際は私服でも構わなかった。でも一応は制服に着替えていた。その方が気持ちが切り替わるような気がした。
ハンガーに寝間着とハトヤのタオルをかける。ヤンダにやっとけといわれたのを思い出して、無印良品で買った化粧水をぺっぺと顔にやる。
腕時計を確認する。爽やかな薄いブルーのジーショック。父さんが入学祝いに買ってくれたものだった。時刻は朝6時半ちょっと過ぎ。荷物の引き渡しはお昼だから、全然ゆっくり行っても大丈夫だろう。
クリアファイルを取り出して開く。中の小型ポケットには、交通安全のお守りがぎっちり収納されていた。今日はどれにしよう……と考えていると、緑色のツインテールのキャラクターと目が合った。
「これかな~」
初音ミクの交通安全のお守りだ。先日立ち寄ったリサイクルショップで見つけた、2020年代初頭に生産されたビンテージ品だった。
そのお守りを、運転席の天井部分に設置された、自動運転装置の首の部分に引っかけた。
自動運転装置というけど、要は上半身だけの人型ロボットだ。白い、つるりとした素材とやわらかなゴムマットみたいな素材で構成された頭と、両腕が、器用に折りたたまれて天井に張り付いていた。
正式な型番は長いので、ユーザーからは主に〈キョウさん〉という愛称で呼ばれていた。
〈キョウさん〉の頭に、所属している運送会社のキャップも被せてあげる。
「今日もよろしくお願いしま~す」
シートベルトを締め、スマホホルダーにスマホをひっつけ、わたしはいう。
そのひと声がきっかけで、エンジンが始動する。フィィィィーーン……と相棒が完全に目覚めていくのを感じる。意識しないうちに網膜チェックが終わり、免許証との照合が済んだ。フロントガラスに「おはようございます」と日本語で表示された。
《おはようございます、フミカさん》女性の声のシステム音声が流れる。
《ETCカードを確認しました》
《本日の天気は、晴れ、ときどき、くもり。最低気温は──》
駐車場のアスファルトからその先の海岸線、そしてその先まで──縦長の青い矢印が、フロントガラスに等間隔に表示される。納品先の倉庫までのルートだった。
ハンドルを切って海岸線に入った。先ほどより太陽の位置が高くなっている。
思わず目を細め、サンバイザーをおろした。
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