Ⅵ:独白




 妹を殺したのは俺だ。



 乾いた冬。一本映画を観終えてからベランダに出ると、一面覆われた雲で月が邪魔されており、自分で吐き出した紫煙の軌跡を視線で追いながら冷気で痛む耳にイヤホンを突っ込んだ。洋楽が絶え間なく流れ込んで来た。正直なところそれが好みというわけでもなかったが、ピックアップされた音楽を適当に流したまでである。俺はそういう人間だ。




 煙草を吸い終えたところでスマホが光った。妹の名前が表示されており、普段夜中に連絡をしてくるような性格ではなかったので、ある種、違和感というものは感じたのだが、暇潰しの相手になるとでも思ったのだと推測して通話ボタンをタップした。



「もしもし」

「……」

「どした?」

「お兄ちゃん、私、」

「ん?ごめ、聞こえにくい。なんて?」



 後から思い返すと、電話口のアイツの声は震えていたし、砂嵐のような特異的な雑音が聞こえていた。波の音だったと今更知った。



 「私なら、何でも出来ると思う?」



 その声だけがはっきりと聞こえた。昔からアイツはことある事に俺に心を許しているように見えたし、両親よりもこちらに話しかけてくることの方が多かった。不安をかき消したい時は必ずこう訊ねてきた。その日もそうだった。今考えてみれば様子が違ったであろう妹の、普段通りの問いかけで違和感をすっかり払拭されてしまった俺はこう答えたのだ。"当たり前。お前ならなんでも出来るよ"と。

 




 明け方、妹が亡くなったとの連絡があった。



 数時間前に通話していた相手に起きた出来事を受け入れることが出来ず、一度冷静に病院からの電話を切り、通話履歴を確認した。アイツとの通話履歴はたった三分にも満たなかった。後で説明を受けた話だと、彼女は溺死だったらしい。靴を履いたまま、かつ着衣のまま、自ら海へ沈んでいったとの見解がなされた。不自然な点は全くなく、他人に手を下されたということは考えにくい。


 妹はその深海に身を投げる決意をすべく、通話ボタンをタップしたのだ。そしてその背中を押してしまったのは紛うことなき俺だった。自らの声帯から発されるこの声に嫌悪感を抱くようになった。





 当時、妹は大学生と交際していた。交際相手は妹に、あるクラスメイトを虐めるように指示していた。対象の生徒は交際相手の親と浮気相手との間に産まれた子供だったらしい。たまたま妹とその生徒が同じクラスだったのか、もしくは知っていた上で妹に近付いたのかは分からない。


 交際相手の指示通りに、妹は忠実にその生徒を虐め抜いた。妹にとってはそのクラスメイトが嫌いなわけでも、逆でも、どちらでもない。ただ一人の交際相手のためだけに、妹はクラスの虐めの主犯として過ごしていたという。



 ある日事件が起きた。虐めの対象であるクラスメイトのタブレット端末が破壊されたというのだ。データが飛ぶほど叩き割られた端末を見て、クラスメイトはそれまで虐めの主犯であった妹を犯人として問い質した。だが、その犯人は妹ではなかった。妹は担任やクラスメイトに冤罪だと何度も主張したそうだが、誰一人それを信じる者は現れず、結局犯人も不明のまま妹はクラスで孤立。冬季休暇目前で高校を辞めた。



 交際相手とはその後別れ、近隣の高校にまで妹の噂はSNSにより巡り巡って嫌がらせを受けるようになった。アイツが虐めを働いていたことは事実だ。人から依頼を受けていたとはいえ、当然許されざる事であった。だが、加担した者、そして冤罪であると知りながらその場しのぎで生き続ける者がこの世に存在していること。


 あの日妹を守れなかった、この声で最後に背中を押してしまった醜さは日々、色褪せることなく逡巡する。だからこそ恨みをどこかへ投げたいと思った自分は、やはり結局誰かに否定して欲しかっただけの醜悪な人間でしか無かったのかもしれない。








×××



 先程水槽の端へと浮遊していった海月がここへと戻ってきた。たった一桶の、黒い紫斑のあるミズクラゲ。群衆の中から漂うその姿を未だ深海に探してしまう惨めな人間を赦して欲しい。


 不埒な理由で近付いた悔恨、願わくば邂逅。君と巡り会うなら次は、自分では無い誰かとして出会いたい。そんな譫言を零す自分を、誰か罰してはくれないだろうか。


 お前にさえ壊せない明日を、俺は生きた。



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X ta sea . 永黎 星雫々 @hoshinoshizuku

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