présent Ⅱ

 株式会社レシー。


 フランス語で『物語』を意味する『récit』という単語を社名にしているその会社は、表向きには童話モチーフのデザインをあしらったステーショナリーの開発、販売を行っている。


 しかしその裏業務……というよりも、一般商社に擬態した『本業』というべきものは、そんな可愛いものでもなければ一般的なものでもない。


 幻想葬送業。


 物語や絵画の中からこちらの世界へ抜け出してきてしまった住人幻想を物語の中へ強制送還葬送する仕事。


 私が『素質』を見出されて強制スカウトされたのは、この裏業務にして本業を担うスタッフ……業界では『幻想葬送師』と呼ばれている仕事だった。


 ──いやいやいや、ただ『見える』ってだけで、それまでごくごく普通に暮らしてた人間に、『赤ずきん』から逃げ出した狼をどうにかしろとか、『鶴の恩返し』をボイコットした鶴を捕獲しろとか言われても困るんだってばぁ〜!


『というか、恩返しをボイコットしたいなら、普通に山に帰ればいいのでは……』と思った瞬間、フッと頭上に影がかかった。


 さらに傍らにそこはかとない温もりを感じた私は、グギギギギッと変な音を立てる首を無理やり動かし、己の傍らを……防火扉の端に当たる方向を見やる。


 その瞬間、視界に飛び込んできたのは、至近距離から私を見下ろす鶴だった。


 ──うわぁ……


 間近で見ると、ますます大きい。そしてフワリとぬくい。


 鳥類って、体温高いんだっけ?


「えーっと、……こ、コンニチハ?」


 私はひとまず、引きった顔を向けたまま挨拶を口にしてみた。


 挨拶は関係性の基本ですからね、うん。鳥類にまで適用されるかは分からないけどね、うん。


「お仕事、嫌ですか?」


 しかしいきなりこの話題をぶっ込むのは良くなかったかもしれない。


 本物の鳥であるのに鳥井とりい課長の鳥頭よりもよほど分かりやすく表情を見せている鶴の眼光が、私の言葉を受けた瞬間ギンッと鋭さを増す。


「あっ、あっ、あっ……嫌なら、こちらの世界に逃げるよりも、向こうの世界で普通に山に帰ったら方がよろしいのでは……」

「ケェ」

「ええ、そうです。こちらの世界はタンチョウには住みづらい状況ですし……」

「クケェェェェッ!!」


 ──しまった! 今のは『お前なんかに何が分かるっ!?』だったのかっ!!


 初手の説得は失敗だ。大きくクチバシを開き、両の羽を広げて絶叫を上げる鶴に対してきびすを返した私は、全速力でその場から撤退する。そんな私の後ろを、鶴はダチョウよろしく走って追いかけてきた。


 ──待って待って待って!? 鶴ってこんな突進かけてくるような鳥だったっけっ!?


 何かとトラブルも多い仕事だから、動きやすいように靴はスニーカー、服装もストレッチがよく利くパンツスーツだ。


 だけどいくら動きやすい格好をしていても、当人の運動神経が良くなければ動きもよろしくはないわけで。


 ──逃げ切れない……っ!!


 あと数ミリで背中にかすりそうな位置にクチバシが揺れているのが分かる。このクチバシがラシャバサミ並みの切れ味の良さを備えていることは、先程散々見せつけられた。


 触れた瞬間が私の人生の終わり……!!


仁科にしなさんっ!!」


『まだこんなところで死にたくないっ!!』と内心だけで絶叫した瞬間、その声は聞こえた。インカムごしの声ではなく、直接鼓膜を震わせる肉声だ。


「こっち!」

「っ!!」


 私は考えるよりも早く、声がした方向へ胸に抱えていた本を放った。


 その行方を追うことなく、ただひたすら真っ直ぐに走り続ける私の背後でフォンッと風が渦巻いたのが分かる。


「さぁ、幻想は物語へ帰る時間だ」


 ついでに黄金の燐光が舞い、ダンディな声も響く。


 それでも私は走る足を緩めない。だってまだ私の背後を疾走する気配は消えていない。


 ──あんの鳥頭っ!! こうなることを見越して、私の背中に陣を仕込んだなっ!?


「『こうして物語は幕を閉じました』」


 歯を食いしばって心の内だけで叫ぶ私に構わず、私達の背後を取った鳥井課長が本を広げ、ページを鶴に向けたのが分かった。


 鶴が抜け出したことで白紙になってしまった、幻想物語の住人が本来いるべき世界を。


「『めでたし めでたし』」


 さらに鳥井課長が物語を締めくくる言葉を口にした瞬間。


 私の背後で渦巻いていた風と燐光は、鶴に襲いかかるかのように吹き荒れた。すべもなく風に巻かれた鶴は、存在を崩しながら鳥井課長が広げる本の中へ吸い込まれていく。


 その気配を察した私は、体を反転させながら床を滑るように足を止めた。


 本にぶつかる爆風を事もなく支えきった鳥井課長の周囲には、キラキラと黄金の燐光が舞っていた。白紙のページに吸い込まれた燐光はそこに文字を描き出すと、やがてスッと色を黒く変えていく。


 燐光も風も消えた後には、何てことないただの本が鳥井課長の手の中に収まっていた。


「ふむ。トリあえず、解決だね」


 様子をうかがうように身構えたままの私の前で、本の内容を確かめていた鳥井課長は満足そうに口にした。


 パタンッと本を閉じた鳥井課長は、笑みを浮かべて私を見やる。……いや、相変わらずそこに表情は見えないから、『そういう風に見えた』っていうだけなんだけども。


「仁科さんも、トリあえず、お疲れ様」

「と、トリ、あえず……」

「まだ内容がムチャクチャだからね。これを修繕課に回してもらって、色々手続き取ってもらわなきゃ」

「は、はぁ……」


 それくらいだったら、喜んでお受けいたしますとも。


 少なくとも命に関わるような事態にはおちいらないはずなんで……!


「この仕事、そろそろ慣れた?」


 まだ息が整わず、結果動きだせずにいる私の方へ、鳥井課長は自分から足を進めてきた。


 はい、と本を差し出してくる鳥井課長は、相変わらず表情が読めない。その頭は採用面接の会場で初めて顔を合わせた時からずっと、ファンシーな鳥の被り物のままだ。


「慣れ、ません……!」

「ハハッ! そうかそうか! 辞めないでね?」

「辞めたくなりますが、辞められません」


 私が退職を切り出しても認められないだろうと思っている、というのもあるけれども。


 ……正式に入社してから、先輩社員に聞いたのだ。鳥井課長のあの鳥頭について。


『ん? 鳥井課長の頭の被り物?』


 あぁ、あれね、と先輩は実に軽く答えてくれた。


『実は俺達には、もうきちんと鳥井課長の素顔が見えてるんだよね』


 あれは一体何なのか。素質がない人間には普通の人間の顔が見えているのか。あれは魔法か幻か何かなのか、むしろあれが『本来の顔』なのか。


 勢いよく問い詰めた私に、先輩はどこか面映そうに笑っていた。


『鳥井課長が「一人前」って認めてくれたら、素顔が見えるようになってるんだとよ』


 一体どんなシステムなんだろうなー、と、その先輩は笑いながら教えてくれたけれど、鳥井課長の素顔の詳細については、どれだけ問い詰めても教えてくれなかった。


「あなたの素顔を拝むまで、辞めてやりません」


 そんなの『何それ気になる』の一言に決まってる。


 どんなシステムになってるのかってところも。どんなダンディな顔をしているのかっていうところも。


 全部全部気になるという内心に『もうここまで巻き込まれたら、ただで引き下がってなんかやるもんか』という意地も加えて、鳥井課長に叩き付ける。


 幻想葬送課課長 兼 人事部特殊人財採用課長、鳥井鷹雄たかお


 私をこんな『非日常』に巻き込んだ、張本人への宣戦布告を。


「ハハッ! いいね、その意気だ。さすがは僕が採用を即決した人材なだけある」


 そんな私を、どう解釈したのだろうか。


 心底楽しそうな声を上げた鳥井課長は、私へスッと手を差し伸べた。


「トリあえず、気負わず頼むよ、仁科さん」


 ──『トリあえず』なんて。


 そのうち、言えなくしてやる。


 その覚悟を内心だけで呟いて、私は鳥井課長の手を挑みかかるように掴んだのだった。



【Fin】

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鳥井課長のトリあえず〜株式会社レシー幻想葬送課の業務録〜 安崎依代@1/31『絶華』発売決定! @Iyo_Anzaki

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