まだ見ぬ未来へ 4
朝になると人々は旅支度をはじめた。
アズナイと騎士団が中心となり、着々と準備が進んでいった。食糧の備蓄を出して整理して、三百人を超える人々に分配した。
いかに人々を安全に故郷へ送り届けるかを議論した。また、それについては集団を五つに分けて、兵と魔法使いが均等になるようにした。
差し当たっての課題である、魔法の吹雪の突破についても議論があった。それらは大神殿に来たときと同じように、魔法使いたちがそれぞれの力によって、人々を守るということになった。
日が中天を照らす頃には、大神殿の前に旅支度を済ませた群勢が集っていた。一部の、大神殿で警護を引き続き行う兵士や魔法使いたちを残し、大半の人々がそこにひしめいて並んでいた。メイナはそれらの人々の中で、アズナイと同じ第一隊の先頭にいた。
第一隊は王都やもっと南に故郷がある人々が中心に集まった、はじめに出発する集団だ。
アズナイとリティが並んで、雪の下り坂を見下ろしている。メイナもそのすぐ後ろにいた。
アズナイは耳当てのついた毛皮の帽子をかぶり、リティとメイナは来たときと同じ、毛皮のケープをかぶっていた。
そこでリティがふいに振り向いてきた。
「そういえば、気になることがあるんだよね」
「え? なにが?」とメイナは尋ねる。
「憶えてるかなあ。氷霊がいっぱいいた神殿があったじゃん」
「ん? あー、あったね」
「それで、最後の壁画に、女神ミュートがいて」
「あたしは観てないけど。リティはそう言ってたね」
「そう。なんだか、あの壁画だとさあ。ミュートがなにか、丸い、卵みたいなところから現れたみたいな感じだったんだ。本当は、聖地にくれば、それがなんなのか、わかるのかなって思ってた」
「アズナイさまに聞いたら?」
するとリティはまた振り向いて、アズナイを見た。
アズナイはリティが話しかけるよりも早く、振り返って言った。
「氷霊が集まる、古い神殿。それにミュートの壁画か。興味深いものを見てきたんだね。二人とも」
「アズナイさま……」とリティは言った。「そうです。それで、あの、ミュートの最初の壁画は……。誕生のようであり、または、どこかからやってきたようでもあり……」
するとアズナイは考え込むように、視線を下に向けた。
「わからない。もしかしたら、大神殿にまだ、秘密があるのかもね。そうか、あるいは……」
そのとき、後ろの方から青年の声がした。
「アズナイさまー! 第一隊、準備完了です。いつでも出発できますよ!」
アズナイはその、しんがりにいる青年のほうを見て、右手を大きく挙げた。ついで後ろにひしめく第一隊の人々に呼びかけた。
「みなさん、それではこれより出発します。来たときと同じく、まずは吹雪を乗り越えねばなりません。互いに寄り添い、はぐれないように、進みましょう。――魔法使いは、それぞれの力を駆使し、人々を守ってください」
そこで隊列の中ほどから声がした。
「すみません! やっぱり、雪山を降りるのは難しいみたいです! ましてや、あの吹雪の中を……」
そう言ったのは、年配の女性だった。
メイナはアズナイに続いてその女性の近くに行った。
女性は老婆の肩を支えて、悲しそうに眉をひそめていた。
「母には、やはり吹雪の中を歩く体力は、なさそうです。――私たちは、ここに残ろうと思います」
すると、老婆はうなだれた。
「それなら、お前だけでも、故郷に帰りなさいな。こんな老いぼれのことなんて、気にするんじゃないよ。わしは、もう十分に生きた……」
そこでアズナイは、「すみません。みなさん、少し離れてください」そう言うと、左膝を曲げて雪の上に座り込んだ。
両手を雪の地面につくと、目を細めて深呼吸をした。アズナイの両手が輝き、光の粒子が飛び交いはじめた。光の粒子は雪の上に広がり、やがて閃光とともに結晶のそりが生まれた。
メイナは驚いて手を口に当てた。周囲からざわめきが起こる。
「さあ、おばあさん。乗り心地は保証できませんが、どうぞ、この特等席へお座りください。さあ」
老婆は目を丸くして、ミュートの名をつぶやいてから、そりの上に座った。
「ありがとうございます。アズナイさま! 本当に。こんなわしなどに、もったいない……」
「いえ、なんでもありませんよ」
アズナイは近くの男からロープを借りて、結晶のそりの先端に縛りつけると、ロープを肩にかけて両手で持った。
「さあ、みなさん。日が暮れるまでに、ミルガの町までたどり着きましょう!」
そう言うと、アズナイはそりを引いて歩きはじめた。周りの男たちは我先へとロープを奪おうとするが、アズナイはそれには応じず黙って一歩ずつ、雪の斜面を下ってゆく。
アズナイの後ろ姿を見ながら、メイナはリティと並んで歩く。リティはメイナと同じく、毛皮のケープをかぶっている。リティはどことなく、狐かなにかみたいだ。
それに奇妙なことに、リティはずっと、にやけている。
「なに? どうしたの?」とメイナは尋ねた。
「え、だって子熊みたいで……。ううん、なんでもないよ」
「笑ってるじゃん。なんで? 教えてよ!」
「なんだろうねえ」
「あー。なんか悔しい」
「いいよ。歩こうよ。世の中なんてさあ。わかんないことのほうが多いんだから」
「うーん。そうだけどさー。そうなのかな……」
周囲には人々が力強い足取りで歩いている。
眼下の白い斜面の先にはミルガの町があり、その先には街道。さらにその先には、森や川や砦。果てには王都が見える。
地平線には遠い山の稜線や海の輝き。
その彼方に向かって人々は、歩いてゆくだろう。
いかなる深い雪の中へも。いかなる暗い闇の中へも。
心の奥底に眠る、氷星の輝きをたどって。
まだ見ぬ未来へ おわり
(了)
滅びの国の魔女紀行 -灰と灯りのふたり旅- 浅里絋太 @kou_sh
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