第4話
倒れた雪を童子たちと引きずって運び、布団に寝かせた。
「雪様はどうされたの」
「呪物に当たっただけ」
童子たちは眠る雪の頭を「よしよし」と言って優しく撫でていた。
「呪物って、啓太さんのこと?」
「うん。そう」
「あのね。啓太はね、ずーと子供の頃から呪物に手を染めて、蝶子、危なかったんだよ」
童子たちの話に蝶子は驚愕する。
雪はずっと蝶子を助けていた。啓太は大人になるにつれて邪物が濃くなり、雪は穢れを浄化するのに時間が必要になった。先日には啓太は鼬妖怪を使役し、雪が倒した。力が癒えぬ間に、今回の生霊を倒したことで、身に穢れを受け、倒れたと言うのだ。
「ちょっと。待って、啓太さんが使役したって。あれはたまたま現れたんでしょう」
「違うよ。啓太が蝶子を連れ出そうとして起こしたことだよ」
蝶子は頭を抱える。
理解が追いつかなかった。
「待って、それが事実なら、なぜ、雪様はそこまでして私を助けてくれていたの、信仰している人や村人は他にもいたはずよ」
童子たちは顔を見回し頷き合うと、どこからか白牡丹の花を持ってきた。
「これが何かわかる」
蝶子は、どきりとした。
白牡丹。大切な花。花弁にした栞。
蝶子は金槌で頭を叩かれた気持ちだった。
「まさか、栞の白牡丹は、雪様が送ってくださったの」
童子たちは頷いた。
あれは、両親が亡くなり悪霊になって現れ、蝶子を殺そうとしたとき。稲妻が走り両親は砂粒のように砕け消滅した。何もかもどうでもよくなり、すべてを諦めた、あのとき、地面に寝そべり灰色の空を仰いで、冷たい雨に打たれながら、ぼんやり眺めていると、空から真っ白い白牡丹が降ってきた。蝶子は手を差し出し掴むと胸に抱きしめた。
なぜ一輪の白牡丹が降ってきたのかもわからない。
しかし、この花だけが味方をしてくれているようで、蝶子は声をあげて泣いた。
花はすっかり萎れ、花弁だけになってしまったが、それを栞にして大切に持っていた。
「じゃあ、両親に襲われたとき、助けてくれた、あの雷は……雪様だったの」
童子たちはコクリと首を縦に振った。
「それだけじゃないよ」
「男主人に蝶子が暴行されそうになったとき、氷雪が雷を落として男の家を崩れ掛からせて、未遂に終わらせてたよ」
「その主人は、啓太に殺されたけど」
そうだ。あまりにも怖くて忘れていた。
あのとき、乱れた衣服を震えながら整えていると、白牡丹が空から降ってきた。
白牡丹は手に触れると溶けて、なぜか心地のいい声が聞こえてきた。
ーー大丈夫。助けるから、必ずーー
優しくて温かい声。
(あれは雪様?)
どうして忘れていたんだろう。
蝶子は血の気を失った雪の顔を見つめた。
(本当に、ずっと守ってくれていたんだ)
それでも腑に落ちなかった。
童子たちは雪の頭を未だに撫で続け、止めると揃って正座をした。蝶子も居住まいを正す。
「氷雪が、どうして神になったかわかる」
童子たちは、舌っ足らずに懸命に雪の生い立ちを語った。
雪は人間としてこの地で産まれた。女たらしの父親には五人の愛人がいたが、雪の母が美人だと聞くと、母を見初め妻とした。父親は村一番の富豪で村長をしていた。逆らえる者は誰もいなかった。一年もすると母は雪を身ごもり、産んだ。父親は一切、子供を可愛がりはしなかったと言う。
雪は生まれつき銀髪で村人たちから迫害を受けていた。慈愛は母しかしらず、その母も正妻と子から虐げられていて、父親は正妻とその子だけを贅沢させ可愛がっていた。
そんなある日「この村がどうやって繁栄しているのかわかるか」と父親が聞いた。十歳だった雪は、どうせ私利私欲で得たのだろうと「知るわけがないだろう」と答えたそうだ。
蝶子の胸が締め付けられた。
「この村は呪物を祀って繁栄しているんだって」
童子は言う。
(そんなことがあるの)
「氷雪はその日、贄として祀る蛇塚に無理矢理連れられて、母は必死に氷雪を助けようとしたんだけど、父親と従者によって引き離されたんだって」
きっと母親は泣き叫んでいたに違いない。蝶子の目に涙が浮かぶ。
「父親にとって愛人の子は、供物だったんだ」
「氷雪は憎しみを込めて父親を睨んでた。ここからは僕たちも見てたから知ってるよ。それで氷雪は蛇塚の下にある地下洞窟に捨てられちゃった」
「ぎっしりと埋め尽くされた蟲毒の蛇がいるんだ」
「うん。痛くて、苦しくて、そのまま絞め殺されるんだよ」
そんなことがまかり通るのか。蝶子は目を瞑り当時の雪を想像した。
「氷雪、ずっと母親を呼んでたよ」
「父親を恨んで、泣いてたよ」
蝶子は手を握った。
「私たちも、気持ちわかるんだ」
「だって、僕たちも父親に捨てられたから」
蝶子ははっとして顔を歪ませる。
「僕たちは氷雪の異母兄弟なんだ」
では、この子供たちも供物にされたのか。
蝶子は童子たちを抱きしめたい衝動に駆られた。
「あのね、氷雪は強いんだよ。だって死んで魂魄になったのに、逆に蟲毒を飲み込んで魔になったんだから」
「そして優しいの」
「魂の欠片しか無くなった僕たちを受け入れて、造ってくれた。蝶子泣かないで」
気が付けば、蝶子の目から涙が溢れていた。
童子たちは語った。
魔となった雪は村を殲滅した。すると法師がやって来て、雪を封じた。
無理矢理、祀られ、転じて神とさせられた。
”怨みを捨てて神として生きて”
と生き残った母に言われ、雪は抗うことが出来ず、八十年を過ごしたらしい。
蝶子のいた村は、母親の子孫で成り立っていた。
氷雪からすれば義理で守っていた村だ。
それがある日、父の生まれ変わりが村を訪れ、雪の憎しみが蘇ってしまった。
未来永劫、許すことが出来ない。神となっても憎しみは消えずにいた雪は、役目も偉功も捨て、殺すつもりで山を下り、神の領域から飛び出した。
「そこで、出会ったのが七歳の蝶子だったんだよ」
聞かされて、蝶子は驚いた。
たまたま両親の仕事で蛇塚の森を通り、休息中の所で雪と遭遇した。
「蝶子は澄んだ瞳を向けて、お兄ちゃん、泣いてるの。痛いの。って聞いたんだよ」
(覚えてない)
「ふふ。氷雪、苛ついてたね」
「それで、すごーく困ってた」
(なんで)
「だって、蝶子ってば氷雪の足の裾を掴んで」
「痛いの痛いの飛んで行けってしたんだよ」
(雪様にそんなことしたの)
覚えの無いことに蝶子は居たたまれなくなった。
「でも、氷雪にとっては八十年ぶりの人の体温だったんだと思う」
「どうしていいかわからないって感じだったけどね」
ふふっと童子たちは笑った。
「憎悪なんて消えちゃうよね」
「そんなことないと思う」
蝶子は幼い自分を叱りたい衝動になる。童子は首を横に振った。
「あるよ。だって氷雪、泣きたいような表情を浮かべてたもの」
「それでね。蝶子は、そのとき近くに咲いてた白牡丹を摘み取って、こう言ったんだよ」
『綺麗なお兄ちゃんの様な、お花をあげる』
「……」
蝶子は言葉を詰まらせる。
神様に向かって、なんて馴れ馴れしい。
(あれ、白牡丹)
「あの頃の蝶子は氷雪の手を握って、可愛らしく、にこりと笑って白牡丹を氷雪に送ったんだ」
「それから氷雪は蝶子を守る様になったんだよ」
(待って)
「それだけ」
「うん。それだけだよ」
「そんなことで守ってくれてたの」
「あのね。氷雪はこう言ってたよ。あのまま父の生まれ変わりを殺していれば、確実に神では無い者に成り下がってたって」
「それでも、そのときは構わないと思ってたんだって。気が触れて、暴走して、誰かれ構わず皆殺しにするつもりだったんだって」
「母親は当に亡くなってたし、守る者もいなかったから。どうなろうが構わなかったんだよ」
「でも」
「初めて自分の意志で誰かを守りたいと思ったって、言ってたよ」
たったこれだけの出会いで。
「神とは名ばかりでこの手は血で染まっている。氷雪はよく言うんだ」
「蝶子はそんな氷雪の心を溶かしてくれたんだよ」
「そんなこと」
「触れてくれた。優しくしてくれた」
「僕たちもわかるんだ。泣きたくなるくらい嬉しいんだよ」
「だからね。氷雪が父の生まれ変わりを殺してたら、私たちも魔に戻ってた。それでもいいと思ったの」
童子たちは、蝶子を見上げた。
「蝶子、いてくれてありがとう」
存在価値などとっくに無いと思っていた。生きている価値すら無いと。
蝶子は雪を見て涙を零した。そのとき「うっ」と瞼を振るわせ雪が目を覚ました。だが、決まり悪げに、体ごとそっぽを向いて、布団を被ると
「何もかも、話しやがって」
と呟いた。どうやら当に目を覚ましていたようだ。
「だってね」
「うじうじと陰で悩んで落ち込んで」
「みっともないったら」
童子が遠慮もなく言う。雪はバツが悪そうに布団を投げて立ち上がった。
「雪様。急に立たれては」
顔を覗き込むと、雪の頬は真っ赤に染まっていた。蝶子は硬直する。童子たちは、雪をからかう。雪はその場を離れ庭へと向かう。蝶子もそのあとを追う。聞くなと叱られた庭の門扉を、雪が開いた。
すると真っ白な白牡丹が一面に広がっていて、花弁が風に攫われて掠めていった。
「蝶子がくれた、白牡丹だ」
「えっ」
「枯らしたくなかった。だから神力を使って種にして、ここまで育てた」
背中を向けたままの雪は、一向に、蝶子を見ようとしなかった。
「俺は、蝶子がくれた。俺みたいな花だと言った。この花のような綺麗な存在じゃない。心の中は真っ黒で」
「そんなことは」
「啓太が蝶子を狙っていた。俺はそれが許せなかった。だから蝶子を嫁として贄を捧げろと脅したんだ、俺は……」
「雪様は白牡丹の様なお方です。高潔で、微かに甘く、温情のある方」
蝶子は雪の手を握り両手で包み込んだ。
「俺に触れるな。人を殺めるような穢れている者だ。蝶子が怯えるような存在だ」
はっとする。
白蛇姿の雪を恐れていたことを恥じる。
それでも蝶子は握った手を離しはしなかった。雪も振り払うことは無かった。
「蝶子は、空っぽだった俺の心を埋めてくれたんだ。もしも人界に帰りたいなら」
「嫌です。未だに嫁とはなんなのかわかりません。雪様を好いてるのかもわかりません。でも、ここにいたいです。あなたの側にいたいです。私を本当のお嫁にはしてくださりませんか」
「つっ……意味分かってる」
「はい」
微笑む蝶子に、雪は顔を近づけ、幾度が躊躇い、蝶子の唇に触れた。白牡丹の甘い香りがして蝶子の胸が一杯になる。
「いつから、蝶子に触れたいと思うようになったのか、もう思い出せない」
そう言って、雪は強く蝶子を抱きしめた。
その晩。初めて逢瀬を交わした。タガが外れた雪に、求められるだけ求められ、満たされ、蝶子は白神様の本当の妻となった。
国色天香の華【こくしょくてんこうのはな】〜蛇神様の花嫁〜 甘月鈴音 @suzu96
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