第45話 お姉ちゃんを追って

 その翌日。夜中のうちから雪が降りだし、一夜明けるとあたりは一面の銀世界になっていた。朝に雪はやんだものの、いまだに空はどんよりと暗く、とにかくやたらと寒い。


「僕のインバネス、着ていくかい?」

「あ、お借りします!」

「私の領巾ひれ襟巻代えりまきがわりに使う?」

「そちらは……結構です」


 衣川さんの看病は維吹さんと志遠さんが交代ですることになり、わたしはいつものようにカフェーで仕事。

 こんな日はやっぱり客の入りが悪くて、でもこんな日だからこそ金髪碧眼きんぱつへきがんの異人さん……ラドミールさんがやって来た。


「いらっしゃいませ!」


 わたしが笑顔で出迎えると、ラドミールさんは慌てたように顔の前でパタパタ手を振る。


「実は、今日はお別れのあいさつに来たのです。近いうちに日本を去ることになりましてね」

「ええっ、あまりに急すぎですわ! もしかして故郷に帰られるとか?」


 洋子さんがお盆を抱きしめ、鼻から抜けるような声を出す。


「いえ、今度は上海シャンハイ租界そかいに行こうかと。帝都はもう十分に楽しんだので」

「そんな! 寂しくなってしまうわ!」

「つまり、恋の目標タァゲットが自然消滅、と……」

「ちょっとりん! おかしなこと言わないでよ!」

「え……? 故意の、なんです?」

「いえいえ、なんでもありませんわ!」


 わたしたちがわいわいやっていると、奥からマスターもやって来た。

 今までお世話になりました、いやいやこちらこそ、とあいさつを交わしている脇で、わたしはちょっぴり肩を落とす。


 ラドミールさんが去ってしまうのもがっかりだけど、ヴァンパイアのことが訊けなくなってしまうのもがっかりだ。

 偶然だけど、ラドミールさんは露西亜人ロシアじん斯拉夫系スラブけい。 維吹さんが見せてくれた本には、「露西亜ロシア斯拉夫スラブにヴァンパイア伝承が数多く存在する」と書いてあった。つまり、現地にいた人間のほうが、地元のあやかしにもくわしいはず……と思っていたのだ。

 でも、この別れを惜しむ空気の中であやかしのことは訊きにくい。


「これは、ほんのお礼です」


 ラドミールさんはお洒落な男物の手巾ハンケチをマスターに、


「こちらは女給の皆さんで食べてください。おやきです」


 紙袋に入ったあんこ入りの菓子をテーブルに置いて去っていく。


「わざわざお別れのあいさつに来るなんて。最後まで紳士な人だったわ……」


 洋子さんが感動したようにつぶやいて、


「おやき? これ、今川焼って言わないか?」


 さっそくひとつ手に取った燐さんが言う。


「あ、それ、わたしの地元ではおやきと言うんですよ?」


 思わず笑顔で説明しかけ、とたんにわたしはハッとなる。

 なんでラドミールさん、このお菓子をおやきなんて言ったんだろう?

 露西亜人なら、日本に来たとき誰かに教えてもらったはず。でもこの帝都に、おやきなんてわざわざ言う人は少ないはずだ。


 ――まさかそんな、という思いと、でもひょっとしたら、という思いと。


 ランチの時間が終わったら、夕食までの数時間、店は休憩に入る。そのとき六区に行けば、まだラドミールさんに会える?


 ……それからのわたしはなんだか落ち着かなくて。

 手を滑らせて料理の皿を落としそうになったり、注文を聞き間違えたり。

 そうして昼休みが来たとたん、わたしはひとり、けかけた雪道に飛びだしていた。

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2025年1月11日 06:30
2025年1月12日 06:30
2025年1月13日 06:30

わたしと帝都の陰陽師  ~は? あやかし? そんなのいるわけ……なのに出たァッ!~ 渡森ヨイク@1月16日完結予定 @watamori419

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