第16話 掛川寛人2

 昼は当に過ぎたのにまだお客さんはいた。バスでなく彼らは車で来ているのか、のんびりと寛いでいた。見たところ家族連れより、子供を除く幅広い年齢層に此処は受けている。心を癒やすと言っても子供は、大人のように懐古調を楽しむどころか、遊園地の方が楽しく、此処にはそんなものは何一つなく、退屈すぎる場所だ。此処は未知の世界に疲れた人間がたむろする場所だと自分に言い聞かせると何か侘しくもある。俳人は此処で一句捻り出し、画家は一枚の絵を仕上げ、僧侶は現世の儚さから逃避する人に安寧を与える。掛川はともかく、石塚にはそのどれも当てはまらない。とにかく三人はかやぶきの里を出て集落の果てにある旅館を目指した。

「何でみんなこの風景に溺れるのだろうね」

「世渡りの上手い人は溺れないで、スイスイと此処を泳ぎ切って仕舞うけどね」

「そりゃあそうだろう。商売の基礎やネタはどこにも存在しない。ただそこへ奮い立たせる何かはあるが、それを感じるか感じないかは人それぞれだ」

 と二人の会話に掛川が言った。

「掛川さんには、ここには描きたいと意欲を湧かせる何かがあるんですか」

「今朝着いたばかりでもう魅せられて仕舞う人と、そうでない何の感性も浮かばないひともいる。その違いは感性の受け止め方だ。商売人には商取引の感性が有り、画家には視覚が捉えた対象物から得た感性が有る。だがここには商人には不向きな荒野にしか見えないが、画家の俺には湧き上がる芸術のみなもとなんだ。要するにこの風景そのものを我々はふるいに掛けて、残った者が此の郷愁に浸りながらもの思いに耽る。そのもっともな男が石塚だろう」

「石塚そうなんか」

「さあどうなんだろう。ここに居て俺の頭の中がどう理論づけられているのか、考えたことがない」

 たとえそうだとしても、石塚にはこの風土から閃いたものを拠り所にして、心に訴えさせる素地がない。本人もそれに気付いて感受性を高めようと宿泊客から吸収を試みた。

 少なくとも穂高に行く前の、突っぱねた雰囲気は見受けない。ただこれらの人々と、この風土から何を信じるか、何を学び取るかで悩んでいる雰囲気だ。矢張り此処は越村の穂高詣でに匹敵する何かが埋没しているのか。このまま引き返せば沙苗さんに「この役たたず!」と言われそうだ。

「石塚、帰りのバスより旅館の手配を頼む」

「相部屋なら旅館のあるじに異存ない、なんせ同じ部屋で倍の料金になるんだから。それに請求書は俺の親に行くからなあ。そこをクリアしていれば問題ない」

 と快く承諾した。

「しかしなあ。そこまでして此処に滞在する価値が俺には解らん」

「越村、お前の実家は裕福じゃあなくて、単位を落とさないギリギリの処でバイトを入れているのは知ってるだけに、この生活はズキンと腹に染みるだろう」

「掛川さんはどうなんですか。まさか描いた絵が飛ぶように売れてるようにも見えない風体ですが」

「身なりで人格を決めるな」

「いいですよ石塚さん、この服装の方が気兼ねなく絵に打ち込めるますから」

 掛川は少なくとも歳はとうは離れているのに謙虚だ。この関係はまだ着いたばかりの越村には掴めない。

「町中ならペンキ職人みたいだ」

 この景観で汚れた服装は越村にはえられない。

「それはしゃあない。咄嗟に思い浮かんだ色に変えたいときは、油壺でぬれた筆を待ちきれずにズボンで拭き取る。構ってられないのだ」

「それだけ絵に夢中になってしまうのか」

 越村は色んなバイトを手掛けているが、ペンキ塗りはまだやったことがない。塗り絵は子供の頃から面倒くさくて気乗りしない。それにズボンを手拭い代わりにして絵筆を拭く神経が、芸術家には必要なのか理解できない。

 周囲には茅葺き屋根を飽きずに見る人々が行きっている。失われて過去の世界に埋没する行きずりの人々を、越村は茅葺きの民家以上に関心を寄せて見ている。

「この人たちの中にはリピーターは多いのか」

「いや毎回来る人は希だ。幾ら良くても偶に来るから、この非日常的な牧歌的風景が心に響いてくるんだ。明日からはまた過酷な人間関係の上下社会に揉まれる覚悟を切りかえてられる者と、そうでない一部の人だけがここに居座れる」

「オイオイ居座るとは人聞きが悪い。この風景に愛着が染みついて立ち去れないんだ」

 懐の心配のない者だけが居残ってるのか。そんな奴らには何とでも解釈しろって言いたくなる。しかし此の絵描きは、それほど懐が潤ってるようには見えないが。何で喰ってるんだろう。とにかく掛川は訳の分からん男だと言って恐れることはない、その逆だ。

 十も離れているのに、時々どこを見ているのか定まらない弱々しい目をする。あれは視覚が捉えた対象物から、何か絵になるものを探しているのか。同じ目線で対象物を観ても特に目を引く風景でもないだけに戸惑う。都会では胡散臭いそんな掛川の姿も此処では日常と掛け離れた世界の所為せいか、不思議と目立たなく溶け込んでいる。

「掛川さんは何を見てるんですか」

 と一度は気になり声を掛けてみたが、くらく笑うだけで言葉を濁された。もうひとり気になる石塚は、まったく無関心なのだ。

「どうだ越村、此処の風景は」

 突然に前触れもなく訊く石塚を見ると、彼奴あいつも都会とは掛け離れてここに染まっている。

「そう言われても、穂高から突然投げ込まれたこの風景には戸惑ってる」

「そうだなあ。二ヶ月も何もない穂高に居ればここは別天地だろう」

「エッ! あなたはずっと穂高に居たんですか」

 急に物珍しそうに掛川に見られた。バイトだと言うと更に掛川は驚いた。



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