第37話 追跡
けっきょく勉強なんてほとんどしないまま別れて、すっきりしない気持ちを抱えて帰ってきた。駅の改札をくぐって歩くのは、マンションへ向かううろ覚えの道だ。まだ馴染みのうすい街並みのうえにはそこらじゅうビルが乱立していて夕空はごくごく狭い。
このあたりはうるさいネオンがない代わりに日が暮れないうちから素性の知れないひとたちがあちらこちらでたむろしていて、色メガネで見るのはダメなんだろけど女ひとりで歩くってのはやっぱり推奨できない。そういう私自身がいま現にひとりで歩いているんだけどね。不用意に目を合わせたらどんな面倒事に巻きこまれないとも限らないからまっすぐ前を見てずんずん歩く。
だからふっとうしろを振りかえったのはまったく奇跡的で、たぶん虫の報せにからだが無意識に反応したのだ。
そこにはあの暗い目の男がいた。忘れようにも忘れられない目だ。
あとを尾けられた?
自分でもまだ半信半疑だけど心臓がいやな感じにどくどく言って、じっとり汗のにじんでくるのが気持ちわるい。まわりをあらためてさっと見まわす、目に入るひとたちは助けを求める相手としちゃ理想からあまりに程遠くって、わるいけど選択肢に入れられない。自分だけが頼りだ。
足をはやめてつぎの角をマンションとは逆の方向へ曲がる、曲がったとたんに走りだす。すぐに息があがるのは久しぶりに走ったからではなく心臓が緊張に締めつけられているからだ。足がいうことをきかなくって自分のからだじゃないみたい。
すぐつぎの角でまた曲がる、曲がるときうしろを見るとあの男も走ってついてきている、あの目だ、いやな目だけどノッポよりはマシだと思う、見たところノッポは見当たらないから今日は一人だけなのかも。
でももしかしたら二手にわかれててどっかの角で曲がるとノッポと出くわすとかになったら嫌だなと思う、そんな想像をしてしまうともう曲がり角をよこぎるのがこわい。
まわりの連中は全力疾走の私をものめずらしそうに見送るだけで、手助けとか警察呼ぶとかする気はなさそうだ。まあ邪魔されるよりはよっぽどいいと思う。なにしろこいつら正義の味方からはかけ離れていて悪の手先といった方がよっぽど似合うんだもん、外見でひとを判断するのはよくないかもしれないけどさ。
やみくもに角を曲がるからいまどこを走っているのかもうわからない、とにかくやつからすこしでも離れて、視界から逃れてやつを完全にまいてやること、いまいちばん肝心なのはそこだ。やつらにマンションの場所を知られてはいけない。
五分ほども走っただろうか。もしかしたらもっと長く走っていたかも。足をゆるめ、うしろを振りかえるとやつの姿は見えない。振りきったかな? 私は二歩、三歩とだんだんに足をゆるめてとうとう立ち止まる、とたんにぶわっと噴き出した額の汗をぬぐって呼吸をととのえると、駅に電車が入る音が聞こえてくる。意外と音が近い。とはいってもこのあたりに駅は三つばかりもあるからそのうちどこの駅から音が聞こえてくるのかわからないけど。
上を見てもよく似たビルが並んでいるだけでここがどこだか見当がつかない。十七にもなって迷子の気分だ。ひとまず駅に戻ってそこからまたマンションへ帰ることにするか……と駅の方へ歩きはじめたとたん、前の角からあの男があらわれた。
私の足は止まってしまう、心臓も凍りついてしまったみたいだ、いやいやそれじゃあ目立つだろはやく動けと自分を叱咤しなるべく自然に見えるよう向きを変えて歩きだす。
でも目だけはずっとあの男から離せない、そこの路地に入りこむまでこっちを見るなと念じながら男から目が離せないでいる、すると男は私を見て――気づいた。
しまった! と思ったしゅんかん呪縛を解かれたみたいに体が動いて、また私は走りだす。走りながらつぎどっちに曲がろうかと私は迷う、来たところに戻るか逆方向へ進むか、どっちに行ってもあの暗い目が待っているような気がする、あれ、でもいまうしろから追ってくるのがあの男じゃなかったっけ、それともノッポだっけ?
たぶん私は混乱してる、たぶん脳に酸素が足りてないんだ、それに恐怖が頭の働きをおかしくしている、こわい、こんなことぜんぶはやく終わらせたい。
つぎの角を右へ曲がろう、そのさきなにがあるのかわからないけどとにかく右だ、だって左にはあのノッポが待っているような気がする、でも根拠なんてなにもないからもしかしたらノッポは右にいるのかもしれない、だとしたらアウトだ、迷う、でもやっぱり右だと決める、決めたしゅんかん右へ曲がる、うす汚れたアスファルト以外なにも目に入らない。
曲がってすぐまえに立ちはだかる男にぶつかった、はずみで倒れそうになる私を男の手がつかむ、男の背は高く、つんのめった私は顔を上げられない。
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私のおっさんとフリーメイソン 久里 琳 @KRN4
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