第7話 栄光について(2)

 「それにしても」

と、ガートルードが船長の顔を見上げる。

 「その、フランス人姉妹の誘拐の件、よく知ってたね。あれのおかげで、夜、酔っ払ってるところを呼び出されて不満げだったフランスの領事が、すぐに文書を書いてくれた」

 「ああ、あんなの、口からでまかせ」

 船長が言う。

 ガートルードは意外でもないらしい。

 「それも、でまかせだったの?」

ととても軽くきく。

 それも、というのは、そのパーソンズという海賊の話に続いて、ということだろうが。

 「うん」

 船長はうなずいた。

 「フランス人のお嬢ちゃん、しかも親は資産家で、奥様が嘆き悲しんでいる、とか言うと、そりゃあ、あんまり仕事熱心じゃないフランスの領事だって、対応しないといけないと思うよな。しかも、海外でフランスの名声を高めてくれる飛行船の冒険家が紹介してきたとなると、相手にせざるを得ない」

 「嘘、ばれなきゃいいけど」

と、ガートルードは、船長への義理か、心配そうに言う。

 「嘘はばれていちおう抗議は来た。昨日、ポールマクローまで行ったときに、フランス領事館員に呼び出されて、領事直々じきじきの苦情だ」

と船長は答えた。

 「で?」

 「フランス人の血は引いているには違いないが、サイゴンのコーチシナ人の娘、しかも姉妹じゃなくて、一人がその娘、もう一人は召使いの娘じゃないか、って」

 「はい?」

 ガートルードは怪訝けげんな顔で船長を見上げる。

 「どういうこと?」

 「だから、スペイン船で逃げてきた者らのなかに女の子はいたんだが、それが四分の一フランス人のコーチシナ人の娘で、それが召使いの娘といっしょに売られてたってこと。実の母がフランス人の血を引いてるのを嫌った継母ままははが売り飛ばしたんだってさ」

 「なるほど」

とガートルードは無感動に言う。

 「まあ、嘘でも適中てきちゅう率ゼロじゃなくてよかったじゃん」

 ガートルードは笑う。

 「ま、その娘、宗教的にはカトリックだったらしいからな。フランス人領事としては軽視するわけにはいかんだろうよ。それに、フランス人の領事殿には、北アメリカ経由で来た、熱帯の熱に当たってないフランスワインを差し上げて機嫌を取っておいた」

 インド洋経由だと、暑い場所を長い時間通るので、ワインはどうしても質が落ちる。その点、北アメリカ大陸経由だと、暑い場所をまったく通らないわけにはいかないけど、まだまし、ということだ。

 「そんなもの、どうやって手に入れたの?」

 「役得ってとこかな」

 船に乗せた客か、船に乗せた荷物の荷主からもらったのだろう。

 ガートルードはまた肩をそびやかした。

 「で」

ときく。

 「わたしに、さんざん太りすぎだとか痩せろとか言ってたフランス人の船長は、どうしたの?」

 けっこう根に持っているらしい。

 コリンス船長は

「北アメリカまで無着陸太平洋横断で坊ちゃんを連れて行ってやるとか言ってたが、さすがに断念したらしい」

と、ガートルードの体重問題には触れずに答えた。

 「それで、そのサンフランシスコ行きのフランス商船に乗せた、と」

 「知り合いの乗り組んでる船なんだそうだ。で、デュピレーご本人は、ニューギニアからオーストラリアのブリスベーンに行って、ニューカレドニア、フィジー、サモアと飛んでタヒチに入る、とか考えてるらしいな」

 「南半球に行くんだね」

とガートルードが感慨深げに言う。

 コリンス船長が続けた。

 「冒険の資金集めで、あちこちのフランス人の居留民のところを回るんだそうだ。ポールマクローまで来たのもそれが目的だな。フランス人は、世界でイギリスに負けるのがいやだから、まあ、フランスの栄光を増進するとか言うとすぐにカネを出すし、ライバルのイギリス人も、フランスに余裕で勝ってるところを見せたいために、国威よりも科学の発展のため、とか言ってカネを出すからな」

 ガートルードがきく。

 「それで、飛行船をこれまで飛んだことのないところまで飛ばすことで、フランスの栄光を高めたい、ということ?」

 コリンス船長は「微笑」以上に笑って見せた。

 「フランスの栄光には違いないだろうが、いまの、皇帝のいるフランス帝国のことじゃないな」

 そこで短くことばを切ってから、そこまでより低い声で、続ける。

 「グロワール・ド・サンタントワーヌ。聖アントニウスの栄光。意味、わかるか?」

 「わかるわけないでしょ?」

 ガートルードが冷めた言いかたで言う。

 「アジアの、それも思いっきり東のアジア人に、ヨーロッパの聖人の名まえなんか」

 「いや。それは関係ない。たいていのフランス人にもわからないんだから」

と言って、いったんことばを切ってから、

「地名だよ」

とコリンス船長は答えを言う。

 「フランス語でフォーブール・サンタントワーヌ、聖アントニウス小路こうじ。パリの裏町の街区の名だ」

 「パリの、裏町の街区なんてよけいわかんないわよ」

 ガートルードがつんつんして言い返す。

 「で、なんか、それ、いわれがあるわけ?」

 「そう。そのフォーブール・サンタントワーヌっていうのは、革命のたびにバリケードを築いて蜂起する、やっかいな場所さ」

 「それの?」

とガートルードは首を傾げて、船長の顔を見る。

 「栄光?」

 「つまり、あのマルセル・デュピレーっていうのは、その、少し前のフランスの革命騒ぎのときの、敗北して壊滅した革命派の生き残りなんだ。北アメリカに行きたがってるのも、そっちに亡命した革命派と連絡を取るためなんだろうよ」

 「そのために、あんな目立つ飛行船で?」

と、ガートルードはまだ懐疑的だ。

 「だから、それで集めた資金の一部分が革命派の財源になるんだろうな。それに、いまのフランス帝国政府がたとえやつの真意に気づいたとしても、おまえの言うとおり、フランスの栄光を担う男だ。そうかんたんに逮捕はできない。見かけより、というより、自分で演じてるよりも、ずっとまじめなやつだよ」

 「まあ、だったら」

とガートルードは小さく笑いを浮かべて言った。

 「あのお坊ちゃんとも気が合うことだろうね」

 コリンス船長は、「ふん」と息を漏らしながらうなずいた。

 「ところでさ」

とガートルードが明るい声で言う。

 「船長、今日は吸ってないみたいだけど、煙草、やめたの?」

 「まさか」

とコリンス船長が言う。

 「煙草に火をつけるには風がちょっときつすぎた。それだけのこと」

 「なーんだぁ」

と、惜しそうに、でもおもしろそうに言うと、

「じゃ、わたし、こう見えても忙しいんで」

と手を振って、旧市街のアジア人街のほうへと歩き出す。

 何歩か行ったところで、こっちを振り向いて人なつこそうに笑って見せたので、船長も軽くうなずいて見せた。

 ガートルードの姿が港の人波にまぎれて見えなくなると、船長は、港の向こうの海へと顔を上げた。

 その沖合で驟雨しゅううをもたらす雲がまとまりつつあるのはいつものことだ。


 (終)

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ブックタワーを攻略せよ! 清瀬 六朗 @r_kiyose

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